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世界遺産 ~シーギリヤロック~

 私は、30歳になった2年前に当時働いてた串カツ屋に1カ月の休みを貰い、スリランカ インド ネパールの3カ国にバックパッカーに行ってきました。

 理由は、海外に行ったことなくバックパッカーという自由気ままな旅に憧れてたからです。インドには前々から行ってみたかった国でしたのでインドを中心に旅行のプランを立てました。

 今回はスリランカの世界遺産~シーギリヤロック~について、初めての海外だったこともあり、一番最初に選んだスリランカは、日本語留学で日本に来ていた時に知り合いになった知人をガイドに雇いました。

集合

 しかし、彼らはシーギリヤロックでガイドをする資格がないとかでここでは別のガイドを雇うはめに、別にガイドはいらないと言ったのですが日本人とスリランカ人が一緒に歩いてるだけでガイドしていると疑われ、彼等が今後仕事できなくなるそう。(それが事実なのかどうかは分かりませんが、彼等がマージンを得ていたのかも?)

ガイド

 まぁ、このおじさん(ガイド)が話す言葉を知人が通訳してくれるので通訳付きで観光できたことは、シーギリヤロックを理解するのには役立ちました。

 ちなみにシーギリヤロックとは、五世紀後半に実の父親を殺し弟を追い出したことで自ら王位に就いた狂気の王が弟からの報復を恐れ、7年の歳月をかけて広大なジャングルの中にある自然の産物に築いた王宮の跡です。

 ここには、王様が贅の極みを得ていた跡や、大人数の兵が一気に攻め入られないようにする工夫が随所でみられます。この高い岩の上に上がるときも王様は家来に担がせて上がっていたそう。

岩

ドラクエ感すごい

ライオンの爪

シーギリヤとは「ライオンの山」という意味だそうです。

 結局、王様は弟が軍隊を率いて報復に来た時に、王様も迎え撃つために軍隊を率いて出陣したそうです。この時代は像に乗って戦いに出てたのだとか、そして、王様を先頭に弟の軍に向かっている時に王様の像がつまずいて横によろけたらしい、それを後方から見ていた家来たちは王様が逃げたのだと勘違いし、家来たちは一目散に逃げたらしいそれを見た王様は敗北を悟り自ら命を絶ったそう。この宮殿はわずか11年で役目を終えたが、今になっても人々を魅了するスポットとなってます。

シーギリヤ上から


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