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【読書感想】「ポジティブさ」との付き合い方

ポリアンナへの賛否両論

もしもあなたが、親を亡くしたばかりの11歳の女の子と出会ったとします。その女の子は叔母の家で暮らしていますが、叔母は気難しい人で、どうやら冷遇されているようです。
それにも関わらず、その女の子は常に「嬉しい」と言い続けて、さまざまな事に喜びを見つけて明るく振る舞っています。

・・・これは、児童文学の『ポリアンナ』という作品の冒頭部分について、もし、主人公のポリアンナが実在した場合を想定して書いてみました。
読んでみて、どう感じたでしょうか?

「とても精神的にタフで、強い子だなぁ」という受け取り方をした人もいれば、「大丈夫かな。何か、溜め込んでたりしてないかな」と感じた人もいるかもしれません。

ポリアンナのポジティブさは、昔から賛否両論があったようです。

今、ポリアンナを読み返してみると、全体としては素晴らしい作品だと思います。しかし、その一つ一つのポジティブな行動を、誰しもが“そのまま”、生活に取り入れるには、少し危うさを感じます。

今日は、ポリアンナをテーマに、ポジティブとの付き合い方について、考えてみたいと思います。

ポリアンナの「嬉しい探し」

ポリアンナの作中には、「嬉しい探し(glad game)」というゲームが出てきます。これは、物事の良い面を探して喜ぶという遊びです。

例えば、こんなエピソードが出てきます。

ポリアンナが夕食に遅れたため、叔母は罰として台所にパンと牛乳だけを用意します。しかし、ポリアンナは「パンと牛乳も好き」と言って喜びました。

現代で、このようなしつけが行われていたとしたら、眉をひそめる方も少なくないと思います。
しかし、それでもポリアンナは喜ぼうとします。そして、叔母に対して、「とても楽しかった」と伝えるのです。

これが、ポリアンナの本心から出ている言葉であれば、もともと楽観的で、本当に叔母からの仕打ちを意に介していないとも取れます。
しかし、このエピソードは、親を亡くしたばかりのポリアンナが叔母の家に引き取られてすぐの出来事です。

この場面には続きがあります。

ポリアンナが屋根裏部屋で一人きりになると「今は、嬉しい探しをする気になれない」と泣き続け、「そばに大人がいて欲しい」と寂しがりました。

これは、ポリアンナはかなり無理をして「嬉しい探し」をしていたと読み取れるかもしれません。

困難な状況でもあえて明るく、気丈に振る舞うことは、一時的には有効な場合もあります。しかし、常にそれだけだと苦しくなるといわれています。
人は困難に対処する時、悲しんだり苦しんだりしている自分の気持ちも、ある程度は認めて寄り添うことが必要だからです。

ポジティブとの付き合い方

ポジティブでいることがかえって辛くなる時は、それが”ルール化”しているのかもしれません。

つまり「喜ばなければいけない」というルールを知らず知らずのうちに自分に課していて、これが「悲しんではいけない」という抑圧になっていることが考えられるのです。

ポジティブがルールになっていると気づいた場合は、どのようにすれば良いでしょうか?

一つには、「許可に変えてみる」という方法があります。

コツとしては、
①   「絶対」や「常に」という言葉を外すか「たまに」等に置き換える。
②   「〜ても良い」と、語尾を変える。
と、いうものです。

「自分は、絶対に悲しんではならない」
→「自分は、たまには悲しんでも良い」

こんな感じです。

この方法は、ポジティブ以外にも、自分に課しているルールを調整する時にも役立つかと思います。

ポジティブとの付き合い方や、自分のルールを今一度探ってみたい時、
メザニンのオンラインカウンセリングがお手伝いできたら幸いです。 
 
ここまで読んで下さり、ありがとうございました。
メザニンカウンセラー:SATOMI
編集:メザニン広報室

<引用>
表紙は下記の版元ドットコム様よりお借りしました。

<参考文献>
大衆文化の中の楽観主義 : ポリアンナイズムをめぐって


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