ウェルビーイングを考える
「持続可能性」や「ソーシャルグッド」など、良いのは分かっているけれどなんだかふわっとした言葉たち。
「ウェルビーイング」も、その一つではないだろうか。
コロナ禍を経て、社会的な正しさというものに改めて疑惑の目が向けられてもいる。
正しさの追求が、時に人々の生活に良くない影響を及ぼすということを私たちは知ってしまった。だからこそ、考えてみたい。
ドミニク・チェン、渡辺淳司『ウェルビーイングのつくりかた』(BNN)
SDGsと並び、バズワードと化した感のある「ウェルビーイング」。
Googleトレンドで検索すると、2020年あたりを境目に検索頻度が爆発的に上昇し、注目が集まっていることがよく分かる。
従来、ウェルビーイングは「個人」にアンケートをとって、その結果をもとに国や会社といった「集団」の数字を出していた。
例えば、国連の「持続可能開発ソリューションネットワーク(SDSN)」が発表した「World Happiness Report 2023」では、日本の幸福度ランキングは、2020年から2022年までの3年間の平均を集計した結果、137カ国中、47位だった。
さて、『ウェルビーイングのつくりかた』の筆者2人は、いずれもデザイナーとして実践活動をしつつ、研究者という側面も持つ。
そんな2人が提案するのが、「私の」でもなく、「集団の」でもない、「わたしたちの」ウェルビーイングのデザインだ。
どういうことだろうか。
集団の数字は、個々人については語らない。
一人だけが突出して不幸せや、負担を感じていても、全体として結果の値が「良い」のなら、結論「良い」ということになる。
一方で、私たちの生活はたった一人で完結してはいない。
コンビニで物を買うときも、ネットで買って配送してもらうときも、そこには他者がいる。
そもそも、世帯を持って家族で生活していれば、「家族」という他者と協力していくことが生活には不可欠なはずだ。
個人に閉じずに、また無闇に平均化しないで、「わたしたち」を単位にして、幸福なあり方を求められないか。
インタラクション・デザインや、メディア論に興味がある人にもオススメの1冊だ。
ケネス・J・ガーゲン、メアリー・ガーゲン『現実はいつも対話から生まれる』(ディスカヴァー・トゥエンティワン)
引き続き、「わたしたち」、そして「社会的な正しさ」について考えていく。
鍵になるキーワードが社会構成主義だ。
言葉の並びを見ると、難しそうだと怯んでしまうかもしれない。
「主義」とついているので、これは考え方の種類のひとつだ。
社会構成主義は、現実についてちょっとユニークな見方をする。
私たちが「現実だ」と認識している事柄は、実際には「あるコミュニティ(共同社会)における合意」に起因している。
すなわち社会的に構成されたものに過ぎない、と考えるのだ。
東京ではエスカレータに乗る時、左に立つ。
しかし、これは関西圏に行くと逆転する。関西ではエスカレータは右に立つのが慣習だ。
あるコミュニティは同性愛を「病気だ」と主張し、実際に過去には精神疾患として国際的に認められていた。いま、同性愛は「多様な愛の形の一つ」であるという認識が世界的に広まっている。
何か絶対的な”真実”を決めなければいけないシチュエーションでは、同性愛についての上記の主張は「対立関係にある」とされることになるが、社会構成主義的な立場では、どの主張を取ることが個人にとってより良いか、という観点で支持する主張を選んで良い。
これは面白いものの見方だと思わないだろうか。
社会構成主義は、何か絶対の真理の存在を否定はしない。そういう意味では相対化とは異なる。
あくまで、「あのコミュニティにおいては、それが真実なのだ」という多元主義的な姿勢をとり、それぞれのコミュニティの合意を尊重する。
逆に言うと、「あのコミュニティでは何が正解とされているのか」を理解すること、そして「わたしたち」の間では何を正解にするのか、きちんと他者と対話を重ねていくことが大事だ、ということになる。
多様な意見が尊重される時代だからこそ、その多様さの中で自分はどこに重心を置き、他者とどのように在りたいのか、内省が問われてもいる。
文:メザニン広報室