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秋の夜長に、心を落ち着けて読みたい3冊

真夏のピークが去って、幾度かの台風を経てもう10月。
秋といえば「読書の秋」。
これまで真面目で硬い本ばかりだったような気がするので、今月は「秋の夜長に読みたい物語」を紹介します。


『カプチーノ・コースト』片瀬チヲル(講談社)

「しんどいときほど、周りに頼れない」という帯の言葉が、なんだかとても優しく感じる。
そうなのだ。私たちはしんどい時ほど、他人に頼ることができなくなる。

主人公は広告代理店で働くOLで、会社を休職中。
ふとしたきっかけで地元の海岸のゴミ拾いに出かけるようになり、海岸に漂着するゴミを拾い続けていくうちに、自分を見つめ直していく。

彼女の心の不調のきっかけは、小説の最後の方でさらっと語られる。
多分、物語的には比重が重くないのだ。
それよりもゴミ拾いの日々が丁寧に描かれていて、読んでいるうちに海独特の、何かが腐って一緒になったような潮の匂いに包まれる。

表題のカプチーノ・コーストとは、海中で撹拌された化学物質やプランクトンなどが泡のようになって押し寄せてくる自然現象のことで、外見は美しい。

人の悪意というのは、きっと彼女が拾い続けた海洋ゴミと一緒で、特定の誰かにはっきりと向けられるものではなく、漂っている。
それが私たちの心に漂着してしまう時があって、積み重なっていくと真っ白だったはずの砂浜は汚れて悪臭を放つようになるのだ。

私たちもたまには、心のゴミを片付けないといけない。


『モモ』ミヒャエル・エンデ(岩波書店)

「時間」は近代社会の産物である、と書くと堅苦しいかもしれないけれど、私たち人間が発明したものであり、それ以前にはなかったものだ。
中世や古代では客観的に、かつ厳密に時間を計測することはできなかった。
せいぜい太陽を見上げて、そろそろ放し飼いしている羊を中に入れるか、という程度。

それがいつしか、私たちは”時間に追われる”ようになった。

人間ひとりの労働時間とそれに対する報酬額を変えずに、いかに利益を上げるか。
資本主義が求めるのは2つ。イノベーションと、効率化だ。

市場をひっくり返してしまうようなイノベーションは、市場の支配者としての地位を与えてくれる。iPodとiPhoneでマイクロソフトやIBMを打ち負かしたAppleのように。
けれども、そんなことはそうそう起きない。ましてや日本経済はここ20年あまり、全く成長していない。
となると、効率化に励むことが凡人でもできることとなる。

モモたちが住む街に現れた灰色の男たちは、時間を節約し、貯蓄することが幸福になると説いて人々に効率化を促す。
のんびり過ごしていた街の人々は、幸福を求めて忙しく働くようになり、おしゃべりをしなくなる。

そんな街の様子を目の当たりにして、モモは灰色の男たちから人々に時間を取り戻すべく冒険に出る。
所詮児童小説と侮るなかれ。

Time waits for no one.


『ぼくのメジャースプーン』辻村深月(講談社)

『冷たい校舎の時は止まる』や『スロウハイツの神様』など、辻村さんの小説にはオススメしたいものが多い。
ただ、いずれも上下巻になってしまうので、1冊で読み切れる『ぼくのメジャースプーン』をここでは推そうと思う。

主人公の「ぼく」は小学校4年生。同級生のふみちゃんと一緒に、当番のうさぎの世話をやっている。
ある日、クラスみんなで大事にしていたうさぎは、一人の大学生によって殺されてしまう。そして、その第一発見者はふみちゃんだった。
ショックで心が壊れてしまったふみちゃんは、その日から動かなくなってしまう。「ぼく」は犯人に復讐を誓う。

この話は少しSF要素がある。
「ぼく」は、いわゆる超能力者であり、犯人の大学生の命を奪おうと思えば奪えてしまう。だから「ぼく」は悩むことになる。
それでいいのか。

どうしようもない他人の「悪意」について、それとどう向き合い、折り合いをつけていけばいいのか、読んでいる私たちは「ぼく」と一緒に悩むことになる。

ふみちゃんの状態は、大人たちの客観的な分析では「PTSD」だと言ってしまえる。けれど、あえて小学4年生の「ぼく」の眼差しに立って、「心が壊れてしまった」と理解しよう。

悪意への対処法もそうだ。法による裁きを期待したり、スルーするのではなく、思いっきり怒ってみるのはどうだろう。そして、奪われたからこそ、奪ってやろうと考えるのも「あり」なんじゃないだろうか。

メジャースプーンは、料理の際に使われる、分量を量る道具。
ふみちゃんがうさぎ小屋で落としたメジャースプーンで、「ぼく」と私たちは悪を量る。

文:メザニン広報室


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