『定年ゴジラ』 重松清
「私、そこまで奥さんが意地を張るんなら、籍のことはどうでもいいと思ってるの。こっちもそのほうがいいかな、って」(中略)
「だから、夫婦じゃなくてもパートナーとして一緒に暮らす、って感じ。そっちのほうが人間同士の関係として正しいような気もするし、仕事もずっとつづけたいし、苗字も変えたくないし……ウチの業界って、そういう人結構いるのよ。考えてみれば、大好きだから一緒に暮らしはじめたはずなのに、一緒に暮らすことが重荷になって別れちゃうなんて、すごくばからしくない? だから、なるべく軽やかな関係っていうか、そういうのでいいんじゃない?(後略)」 (p.228-229)
こんなにこざっぱりとした結論が出せたら、どんなに楽だろう。
しかし、考えれば考えるほど、結婚のつながりは強固で、愛は無力だ。
「うまくいっていないけれど、実は結婚している」
仲良くなってから、このように告げられたことが3回ほどある。
毎回思う。
その前置きは、要らない。
うまくいっているかどうかなんて、私にはどうでもいい。
帰る場所があって、妻がいる。
そして、これまで何度もふたりで会ってきたのに、独身と偽っていた。
事実は、ただそれだけ。
「うまくいっていない」
「離婚寸前」
「会話が無い」
「セックスレス」
みんな、長々と語ってくる。
私は穏やかな顔で、ウンウンとうなずく。
大きく手を振って別れたあと、「みんな幸せそうだな」と思いながら駅周辺をうろつき、声を掛けられるのを待つ。
そしてまた、私は不幸な記憶をつくる。
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『定年ゴジラ』 重松清 講談社 2001
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