気づけば父の歳を追い越していた。

今日10/2は父の命日。数えで36歳という短い生涯。
…あれ、わたしもう36だ…
父よりも長く生きていることにはっとした。

「あなた明日死にます」って今突然言われたら、やり残したことなんてたくさんある。
まして父なんて腹痛を感じていたけれど日曜だったから「明日病院行けばいっか」と母に言ったきり、そのまま次の朝目覚めることはなかったのだからそんなこと考えている暇すらなかったのかもしれない。(これは数年前になって初めて母から聞いた話)(死因は心筋梗塞です)

わたしが3歳のときに亡くなったから生前の父の記憶なんてほとんどなくて、でも亡くなった当日の朝の光景は覚えていて。
市営団地の1階の部屋。リビングともう一部屋を襖を開けてつなげた寝室に布団を川の字に敷いて「父ー母ーわたし」の並びで寝ていたのだけれど、目を覚まして横を見ると「お父さん!!!」と呼びながら父の体を必死で揺り動かす母の姿があって。程なくして救急車が来るんだけれど、その先自分がどうやって病院まで行ったのか、どう父とお別れしたのかはごっそり記憶がない。(次の記憶はお葬式まで飛ぶ)
「父がいないことを嘆いたり恨んだりしないよう」「わたしの人生に暗い影を落とす出来事とならないよう」泣いている姿をわたしには一切見せずに葬式はじめ一連の行事を滞りなく行った母。実はこのとき妊娠していて、30そこそこでよくこんな出来事を乗り越えてその後普通に出産したなぁと、その胆力というかバイタリティには恐れ入る。
事実、結婚式での母への手紙にも書いたけれど、今までに父がいないことを負い目に感じたり、嘆いたり恨んだりそのことを理由に母に当たったりしたことは一度もない。もちろん、一緒に暮らした母方の祖父母はじめ周りの人、何より母に支えられていたおかげだと思っている。


そんな母が先日、交通事故に遭った。車で通勤中に後ろから追突されたのだ。
朝早くにLINE通話ではなく、ケータイ番号の方に着信が残っていて「おかしいな」とは思ったのだけれど、まさかこんなことになっていようとは。
電話を取ることができた妹からわたしの元に連絡が来たが、泣いて取り乱しまくっていた彼女とは対照的になぜかびっくりするくらい冷静で「生きて本人が連絡してこれて喋れてるんだからなんとかなる」ぐらいに思って(3人とも離れて暮らしてるので今すぐわたしと妹にできることもなかったし)、その後の動きについて簡潔に伝えて電話を切った。
幸い骨折などもなく鞭打ち程度で済み、「痛い痛い」と言いながらもリハビリに励み1ヶ月程度で仕事にも復帰した。だが「いつ何が起こるかわからない」を改めて突きつけられた出来事であり、生きていること、生かされていることに感謝する出来事であった。

昨年33回忌を行い、「もう終わりかな」と母は言っていたけれど、否々、ここまできたら50回忌を母とわたしと妹揃って迎える、それが次の目標であり務めかな、と思っている。


お父さんへ
いつの間にかお父さんよりも老けてしまいました。
こんなにお酒と野球が好きな娘になるだなんて思ってましたか?(笑)自分でもびっくりしてるけど。
小さい頃は「お父さん似」と言われていたわたしも、30を過ぎたあたりから髪を結わえた横顔がお母さんとそっくりになってきて、わたしの中からお父さんの面影が少しずつ消えていくような気がして、少し寂しいです。
一緒に過ごした時間は短いし、なんなら妹の姿なんて見ないままいなくなってしまったけれど、これからもわたしたち家族3人があーだこーだワーキャー言ってる姿をどこかで見守っていてくれたら助かります。



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