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28歳、スナのはなし。

(トラウマ治療で行っている、自我状態療法の1セッションのことを綴っています)

この日のテーマは【屈辱感】だった。

屈辱感をイメージしたとき、場面が4つ連なって現れた。

1つめは高校3年生の「紫」。
2つめは中学1年生の「ミー子」。
3つめは28歳の「スナ」。
4つめは41歳 の「亜子」。

※自我状態療法では、自分自身の傷ついた過去を、ひとつのパートとして、便宜上、名前をつけます

今日は28歳の「スナ」のエピソードを書き残そうと思う。

前の夫と同棲していた頃の話だ。

帰省したある日、母にコンドームを渡された。

「これ、(お父さんとはそういうこともうしないし)もうお母さんいらんから、もったいないしアンタが使いな!」と、巾着袋にどっさり入ったコンドーム。母親の使い残しのものだ。

その当時、わたしはためらいもなく受け取ったのだけど、【屈辱感】を思い浮かべたとき、この場面がやってきたというわけだ。

気持ち悪い。父母のそういうシーンを想起させるのと同時に、女としてマウントを取られているような気持ち悪さ。

心理士「スナさんは今どこにいますか?」
わたし「実家の階段下にいて、母からコンドームを渡されるところです」
心理士「まゆさん(現在のわたし)からスナさんに伝えたいことはありますか?」
わたし「『受け取らなくていいよ』ですかね・・・」

そう聞いたスナは一瞬ハッとして、すぐに「でももったいないから(受け取る)」と言った。

心理士「ちなみになんですが、今のまゆさんなら、この場面で、お母さんにどう対処しますか?」
わたし「コンドームをぶち投げますね、母に向かって(笑)」
心理士「なるほど(笑)。では、間をとってなにかいい策を思いついたりしますか?」
わたし「あ、でも今わたしが『ぶち投げる』と言ったのを聞いたスナが、ちょっと心変わりしている感じがします。受け取らないのもありかな・・・と」

最終的にはスナがどうするか、スナの感覚に任せてみようという話になった。そしてスナはコンドームを受け取った。

スナに今の気持ちを聴いてみることにした。

袋の中のゴムを見ている。。。その目線のむこうに、ぼんやりと前の夫と過ごした家が浮かんでくる。『これを使うのか・・・』と想像した。

未来のわたし(現在)は知っている。元夫との間には結局、子どもを授かることはなかったし、元夫はわたしと離婚後に新しい奥さんとの間に子どもが出来ていたことも、それを知ったときの衝撃も、女としてのプライドを叩きつぶされたような屈辱感も。

現在のわたし「(泣きながら)子どもがほしかったです。だから『子どもがほしいからコンドームはいらない』と言って、母に突き返したい。でも、結局わたしは子どもを授かりませんでした。だからそんな言い訳をすることすらも、すごくつらい。言ったら虚しくなります」
心理士「そうなんですね。でも、今のまゆさんはどうです?子どもがほしいと思っていますか?もし今もその気持ちがあるなら、言っても嘘じゃないですから、言っていいと思います」

涙、涙、涙・・・

だって子どもほしいもん。今も。

「わたしが言ってきます」とスナがひとりで返してきてくれた。母は黙って受け取った。

最初、スナのことが頼りなく見えて心配だった。母はきっと「もったいない」を振りかざして反撃してくるはずだ。一緒に付いて行って一言、「デリカシーがないよ!」と、今のわたしが嫌味のひとつでもぶつけてやろうかとも思っていた。

でも、結果、スナにあっさりと助けられた。

スナは現在のわたしと違って、温厚で平和主義の子だ。わたしの悲しみをサラッと掬いとってくれた。彼女がこれからの旅を一緒に歩いてくれるなら、一層、頼もしいなと感じた。

(おわり)

[高校2年生、ミサのはなし。]はこちら→

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