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高校2年生、ミサのはなし。

(わたしが受けている、自我状態療法の1セッションのことを書いています)

母が家出をしたのはわたしが高校2年生のころだった。

父がむりやり母を連れ帰ったあと、母が2階で泣き叫んでいる。カーテンのしまった薄暗い部屋で、ソファーにふせながら。

あの頃のわたしはついこの間まで(50歳が見えるなあ)、ドア前に立って凍りついていた。

この場面が何度もフラッシュバックしていた。

当時のわたしは『母をなんとか助けてあげなきゃ』と思いながら、途方に暮れていたんだと思う。そして、母を救うことができない自分を責め続けていた。役立たずさに絶望していたと思う。

先週の自我状態療法で、この「ミサ」と名付けたパートを取り扱った(自我状態療法では過去の自分であっても1つのパートとしてとらえて名付けをする)。

わたし(まゆ)と心理士とでミサがいるその場面に向かうと、ミサは怒っていた。怒りで手が冷たくなっている。

心理士「ミサさん、まゆさんとわたしでミサさんを助けにきました。何かわたしたちにしてほしいことはありますか?なんでも構いません。思いつくことがあったら教えてください」

ミサは「お母さんに言いたいことがある」と言った。じぶんひとりで言えるので、ふたりは部屋にいて見守っていてほしい、と。

母の前に歩みよったミサが心理士に聞いた。

「母を叩いてもいい?」
「いいよ!叩いていいよ」

あ、いいんだ・・・とすごくホッとした。肯定してくれた。一発、軽めの平手打ちをすると母がハッと正気に戻った。

「なんであんたが泣いてんの!?泣きたいのはわたしや!泣き止んで!!あんたは大人やろ。わたしは子どもやねん。大人のあんたが守ってくれなあかんやろ!しっかりして!!!」

あのとき、本当の本当はこうしたかったんだとミサがやってみせてくれた。

もうひとつ驚いたのは、ミサの提案だったんだけど、心理士が母に専属のカウンセラーをつけたことだった(そんなことできるの!?笑)

ミサ「母には味方が必要だと思います。わたしはもう味方できない。誰か信頼できる人に相談してほしいけど・・・」

心理士「わたしの知り合いでトラウマ治療もしている心理士の先輩がいるんですが、その人にここにいてもらいましょうか?」

ミサの説得を母が受け入れた。

「カウンセラーの先生、母にはトラウマがあると思います。どうぞよろしくお願いします」とミサが最後に言った言葉に、本当にこの子は思いやりのある子だ・・・と感銘を受けた。

大人のわたしは治療当日の夜、悪夢3本だてにうなされた(脳内の回路が繋ぎ変わったので)んだけど、ミサの功績を思えば、なんてことないし、彼女にはゆっくり休んでほしい。

わたしの中にこの勇敢なパートがいると知れたことが、宝になった。

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