見出し画像

「痛いのぶん投げる側」の自己紹介

毎日がはじめまして、M(エム)です。

2021年4月からTwitterで自死遺族・未亡人という立場で、自分の心境や考えや思ったことなどを発信しては「私は一体どうなりたいんだ!?!?」と死別の悲しみと辛さの中で絶賛もがきまくってる者です。

小さな会社で地道に働きながら恋愛し

夫の希望に沿って退職して専業主婦になり

数年前に仕事がきっかけで自死を選んだ夫

子どもはいない

夫の実家は自死を隠すことを選択

私の実家は嘘はつかないことを選択

独り身で生きていくのに右往左往

というざっくばらんな経緯の持ち主です。

このたびnoteをはじめたのは、Twitterの140字では限度のある内容を読みやすくまとめてみることにしました。


私はパートナーを亡くし、自死遺族となり、ずっとずっと悲しくて苦しくて苦しいままでいました。

でも形にも言い表せないこの感情が、「何か」を通して表現できたり言葉にできた時、相手に伝えられた時などに、ちょっとだけ楽になれました。

誰かの歌の歌詞に重なったり、本に書いてあるワンフレーズに共感できたり、誰かの発言にハッとしたり。

表現できない心の「何か」を、言葉として「形」にすると、

言い表せない「悲しみ」を、別の言葉に言い換えると、

言葉を言い換えて、別の考え方に結びつけると、

少しだけ救われたような報われたような気持ちになれました。


それは、

小さい頃に砂利道で思いっきり転んで

右膝を大きく擦り向いて痛くて痛くてその場でうずくまって泣いている時に

優しい誰かが声を掛けてくれて

「痛いの、痛いの、飛んでけ―!」

と言ってくれたような感じに似ていました。

言葉で考え方の方向をちょっと変えたら和らぐような。


私はその「優しい誰か」になりたい。

一番はじめに「痛いの、痛いの、飛んでけ―!」という発想をした人になりたいし、

「『痛いの、痛いの、飛んでけ!?』…それイイ!!」と思って広めたり実行する人になりたい。

痛くした人と『飛んでけ』の呪文を唱えた人を「んなので痛みが怪我が治るわけないじゃんw」って言い放ってただ見てるだけの人を無視して、痛い人と『飛んでけ』の人の元に駆け寄って「アタッ!…どうやら私に痛みに飛んできたようだぜ……私が引き受けたぜーーー!!」と冗談を言いながら”痛み”を山の向こうへぶん投げるような人になりたい。


痛くて痛くて泣いてうずくまってしまう側でもあるからこそ、

痛みをぶん投げられる側の方にもなりたい。


Twitterの140字にこぼれたものをnoteにまとめていく予定です。

この記事が参加している募集

自己紹介

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?