興味の偏り。
久しぶりに発達障害ネタでも。
発達障害の問診のひとつに、強いこだわり(興味の偏り)があるかどうかのチェックがされる。
私の場合は医師に
という聞かれ方をした。
私の答えはこうだ。
これが医師にどう判断されたのかは解らない。
だけど、つい先週の事だ。
ツルネと言うアニメが弓道アニメとして非常にクオリティが高くて、個人的にはめちゃくちゃ好きなのだが。
それをいきなり観たいと思ったら、第1期〜OVA、劇場版〜第2話を丸1週間、永遠とリピートしていた。
その間、今期のアニメがいろいろと最終回だった訳だが、まんまとスルー。
マジでツルネしか観たくなかった…と言うのが先週1週間だ。
今し方漸くフリーレン、薬屋のひとりごと、ダンジョン飯、佐々木さんちのピーちゃんの最終回を見終わったところだ。
…まぁまぁ、こんな事はマジで良くある事だ。
今回のツルネ無限ループについては、先日の作曲レッスン日に、フツーにレッスンを受け、全く弓道的ではない感じの環境で息をした事によりリセットされた。
ちなみにADHD併発な私は、すぐにぼーっとしてしまうので、これだけリピートしても、アニメのセリフを一語一句覚えているなんて事はない。
私の興味は極めて限定的かつ偏っている。
音楽ひとつとってもそうだ。
勉強のためにピアノ以外の楽器をやろうとしたことがある。
だけど、マジで続かない。
吹奏楽系は30分と持たなかったし。
バイオリンも10分くらい触ったら「満足」してしまった。
サックスは持った瞬間にやらなくていいかな?と思ってしまったし。
ドラムも8ビートの基本形が叩ける様になったら満足してしまった。
別にピアノが特別好きだと思ったこともなければ、他の楽器が嫌いという訳ではないのだけど。
何故かピアノは続いて、他の楽器は続かない。
だけど、そのピアノも興味のない作曲家の曲はどーしても弾けなかったりするので、永遠とエチュードばかりやらされるというやり方ではどーしても進んでいかない傾向がある。
その点では、どんな難曲でも挑戦する事を許してくれたT先生のレッスンは私の肌には合っていたと断言できる。
作曲理論については、頭をめちゃくちゃ使うので個人的には1番ミスマッチだと思っていた。
だけど、何故か続いている。
「やる気な〜い」となる事は多々あっても、それが辞めてしまう決定打には何故かならないのだ。
こればかりはマジで理由が解らない。
理由探してる間に和声課題がいくつかやれそうな気がするので、探す気もないのだが。
周囲には、私がアレコレ手を出そうとする様に見えているのか、しばしば好奇心旺盛だと思われてしまうのだが。
年齢を重ねるごとに、私は存外好奇心とは真逆の性質が強いのではないのか?と言う事を考える。
これが発達障害の特性のひとつだと言ってしまえば、確かに綺麗な説明になるのだが。
この傾向の厄介な所は、必要な勉強を頑張れない事が多々あると言う事だ。
興味のある事だけが出来れば良いのだけど、全員が全員、それが許される訳ではない。
好きな事や得意な事を伸ばしましょう!!なんて、子供で尚且つそれを許して貰える環境で育った人間の特権なのである。
いろんな事情でそれが出来ない人間は居るものだ。
多くの人間は、可能な範囲で与えられた環境で、自分の中の最適解を信じてやっていくしかない訳だ。
その中には、あまりやりたくないこと、興味のない事をある程度頑張らなければならない事も当然ある訳だ。
多くの人は興味のないことでも、必要なことならばある程度形には出来るのかもしれないけれど…
私はそれが極めて難しく、頭の中を素通りしてしまう事があまりにも多いので、他人も手を焼くことはあるかもしれないが、自分でも手を焼いてる所だ。
見られる部分位は綺麗にしているつもりだが、なかなか見られないところに気を回して行動に移すのは困難なのである。
…家事全般とかね……。。。
私の日常は…というと、あの手この手で、やらなければならない事に対して少しでも自分の気を引くと言う作業の連続なのである。
興味を持てば、すぐに覚えたり行動に移せたりするのだけど、常に自分の興味の対象は突拍子がなく、一貫性もあまりない。
案外、仕事をしているだけで、私生活は“ママ”がいたら怒られそうな感じだったりするのです。。。
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