見出し画像

ファンがアンチになる心理 〜『こころ』の先生が望んだ孤独〜

日本の文豪・夏目漱石が著した『こころ』という作品をご存知でしょうか。中学、高校の現代文でよく扱われる題材なので一部を読んだことがある方は多いと思います。

『こころ』では”私”と”先生”の会話と遺書として受け取った手紙から、”K”という人物と若き”先生”の関係と”先生”の胸の内が描かれます。この作品はミステリー小説でいう解決編である”K”との経緯がメインに扱われがちなのですが、今回扱いたい場面はそこではありません。
一図な敬愛を向ける”私”に対して、”先生”が「あなたは熱に浮かされているのです」と諭す場面。この一連の言葉がファンがアンチに変わる心理をよく表していると、私は考えています。

前述した”先生”の言葉の全文は下記です。

「あなたは熱に浮かされているのです。熱がさめると厭になります。私は今のあなたからそれほどに思われるのを、苦しく感じています。しかしこれから先のあなたに起るべき変化を予想して見ると、なお苦しくなります」
引用元:夏目漱石『こころ

”先生”は過去の出来事から自身を悪辣な人間であると考えており、それが露見して”私”を傷つけてしまい、見捨てられて今よりも孤独になることを恐れています。
それが上記の台詞に繋がっているのですが、このいずれ訪れる孤独に対して多くの人は鈍感です。杞憂である可能性も勿論ありますし、何より他者に好かれるのは嬉しいことなので、その未来を許容して今を享受します。

言われた”私”は一図なので”先生”の望む孤独を理解出来ず、信用されていない為の言葉であると考えるのですが、それに”先生”はこう返します。

「とにかくあまり私を信用してはいけませんよ。今に後悔するから。そうして自分が欺かれた返報に、残酷な復讐をするようになるものだから」
「かつてはその人の膝の前に跪いたという記憶が、今度はその人の頭の上に足を載せさせようとするのです。(後略)」
引用元:夏目漱石『こころ

”先生”が抱える罪悪感に起因する言葉ではありますが、これこそファンがアンチに変わる本質だと、私は思います。

ファンというのは一方的に好意や期待を抱いている存在です。
アーティストや俳優、クリエイターがファンに好意を返すことは勿論ありますが、それは当然のことではありません。芸能人が仕事をするのはファンの為ではなく、自身の信念や生活の為です。また、知り得ないプライベートにはファンよりも大切な存在が必ずいます。そして、公表する姿は素顔ではなく魅せるように作られた姿です。
それを認識せず、熱に浮かされて好意を注ぎ続け、いつしか自分の理想像を投影して期待をかけ、相手の実態がそこからズレることを欺き(裏切り)と考えるようになってしまうのでしょう。

芸能人側は仕事の範囲内ではファンの期待に応えた方がいいと思いますが、同時にファン側は一図になり過ぎないように注意した方がいいかも知れないですね。
いずれ復讐に走るような好意や期待は向けられる側にとって恐怖になり得ますし、余程の悪人でなければ暗い感情に負けて人を貶めたことを後悔する日がいつか来るので……。

最後になりますが、今回扱った夏目漱石『こころ』には問答の中にこうした心理がたくさん描かれているので、ご興味がある方はぜひ全編をご覧ください。私が一番好きな私小説なので、またどこかで扱いたいなーと思います。

※ 文中で一般的に「一途」と記すところを「一図」と表記しましたが、これは『こころ』で筆者が作中に表記しているのに倣った為で、誤字ではありません。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?