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ライターの新しい「価値」と「在り方」を創りたい_(1)ライターという職業

皆さん、こんにちは。初めましての方は、ご覧いただきありがとうございます。

僕のことを知っている方も、記事を覗いてくれてありがとうございます。
ちょっと緊張しますが、ぜひ耳を傾けてくれると嬉しいです。

タイトルは、大きく出てみました。
ライターの新しい価値。ライターの新しい在り方。

2021年に会社員を辞めて、フリーのライターになって早3年目。
29歳になろうとするこの年に、新しいチャレンジへと踏み出します。

この想いに至った経緯と、何をやりたいのか。ステージの上でプレゼンテーションをするつもりで綴りますので、どうぞお付き合いください。

ライターという職業

まずは「ライター」という職業について、その仕組みを知ってもらうところから。

一口にライターといっても、いろんなジャンル・スタイルがありますよね。歴史や芸術、音楽などの特定のテーマに精通し、それに関する評論やコメントを書くライターもいれば、旅やグルメなどの体験記を文章にするライターなどなど。

中でも、自分は「地域の商い」や「まちの営み」に関するインタビューライティングをすることが多いです。

自分自身が、地域活動やまちづくり活動に携わってきた経験から、そのような文脈を汲み取って記事に仕上げていくことを期待されているのかなと。

ライターへの依頼主は、雑誌出版社・WEBマガジン運営会社・編集者・ディレクターなど。この方々がピックアップした人物を、ライターが取材に出向いて原稿に起こし、それを依頼主に納めて報酬をいただきます。

つまり、僕らにとってのクライアントは、「取材対象者」ご本人ではなくて、「メディア側」であることがほとんどです。

取材から執筆までのプロセス

インタビューからライティングまでの間には、「メイキング」の作業があると思っています。少なくとも、僕はお話を聴いてから文章を書き始めるまでに、結構時間を要します。

時には、思いつくままにお話の内容を絵で表しながら、視覚的に理解していこうとすることもあります。この時間はすごく楽しくて、没頭できる作業ですね。

「広く届ける」ことよりも「深く響き続ける」ことを考える

もちろん、お金をいただいて書くわけですし、メディア側の想いと取材を受けてくれた人の想いとを、言葉を用いて広くあまねく伝えることが目的。その前提でライターは存在していると思います。

しかし、ライターが書いた記事から生まれる結果はそれだけではありません。

丁寧に、そして誠実にインタビュイーと向き合うプロセスを経て出来上がるものは、時に読み手の心に深く残り、長くにわたって響き続ける文章にもなりうるのです。どちらかといえば、「広さ」よりもそんな「深さ」を宿した文章が書きたいとさえ思ってしまう。いつしか、そう思うようになりました。

僕がインタビューライティングを通じてやりがいを感じた瞬間は、記事を読んでくださった方や取材に応じてくださった方の、今までの人生・もしくはこれから先の人生に深く長く関わり続けられる可能性が見えたときなんです。

ライターをやってみて、嬉しかったこと

「ちょうど、これからの生き方に悩んでいた時に、記事で語っているこの人の言葉が私に重なった。ありがとう」

「久しぶりに取材してもらった記事を読み返したら、涙が出てきた。また頑張ろうって思えました」

不思議と、違う場所・違う人生を生きている人の記事なのに、読み手の人生とリンクする時があります。きく・かく・よむ、というゆっくりなメディアだからこそ、そんな他者が入り込める隙があるのかなとも思います。

まるで、処方箋のようにスッと心を軽くしてくれる、励ましてくれる力が、他人の人生には備わっていて。

さらには、しばらく時間が経った後にでも、ふと思い出されて優しく、熱く心を奮い立たせてくれる御守りのような持続効果が宿ることも。

それがメディアであり、ライターにできることなんじゃないかなと思うのです。

ライターをやってみて、しんどかったこと

でも、ライターって良いことばかりじゃありませんでした。順風満帆ではありませんでした。

僕はフリーのライターですが、アルバイトをしないと(経済的にも、精神的にも)やっていけないし、“夢を追いかけるフリーター”と言われてしまえばそれまでなわけで。

これは、決して報酬をいただくメディアの皆様(僕にとってのクライアント)を批判しているわけではありません。金額に不満がある、とかそんなことではないんです。

ガンガン書いて、どんどん稼いで。それを繰り返していけばクリアできることかもしれませんが、器用にできない僕にはその域まで辿り着けなかったんです。逆に、それができている世の中のライターの方々のことを信じられないほどに尊敬しています。すごすぎる。

ここまで赤裸々に話すかどうか、迷いました。
けれど、これから僕がやりたいことは、こうした苦しさや、自分の弱さや甘さ、葛藤があるからこそ芽生えたもの。

綺麗事だけじゃなくて、「ちゃんと生きなきゃ」って思っていることが原動力だったりもします。

まあ、言い過ぎると情に訴えかけるやり方になってしまうので、ネガティブな部分はあんまり表には出しませんが、ここにしっかりと綴っておきます。

次の話題は、僕の試行錯誤の道のりについてお話しします。

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