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卒業

大学を卒業します!
5年、長かった。「終わってみると一瞬だったね」となる出来事の方が多いけど、これに関しては、ようやく終わるという気持ち。

3年間で卒論分も含めて単位を取り終えていたから、実質2年間は殆ど大学へ行っていない。図書館に本を返すとか、研究室にお菓子を食べに行くとか、あとは休学届を提出しに行ったりとか。本当にそれくらいだった。

入学した当時の自分が見たら、驚くかな。
少しだけ肝が据わった自分で、後ろから脅かしてやりたいと思う。

大学には色んな人がいて、過ごし方に正解はないし。1年休学したくらいで、どうってことないってことは重々承知の上で、自分にとっては意味のある期間だった。

2020年、2年生の春ごろから色んな異変が起こり始めた。ご飯が程よく食べられなくて、髪の毛とか眉毛が抜けて、足が浮腫んで、顔色が土みたいになっていた。

だんだん動けなくなって1日ほぼ寝たきりで過ごしたりした。

心と体がヘンテコなことになり、その後2年間の暗黒期に突入。良くも悪くも、緊急事態宣言で外出が制限されて人と会うことは少なくなっていたけど、そのせいで苦しくもなった。

後に診断された詳しい症状の名前は伏せておくが、当時家族にも理解されず、そもそも自分でも何故ヘンテコなのか、殆どよく分からなかった。

ちょっと前まで、「あの時家族の理解があれば」と悔しくてたまらなくなる事があった。今では、自分でも分からなかったんだから、責められないなと折り合いを付けている。

ハイボールで酔って最寄り駅の周りを深夜徘徊した時のこととか、タイミングが分からず駅のホームでただ電車が通り過ぎるのを見続けていた時のこととか、当時は切実だったのに、今ではあまり思い出せない。

思い出せないくせに、その片鱗は確実に今も残っていて、憂鬱になることもあるけど、それでも楽しくやれている。


休学の影響で、同期の皆んなとは一緒に卒業出来なかった。だけど、実は、本当に、みんなのことが大好きだった。調光室から観たお笑いライブも、ちょっとスッキリした顔で歩く駅までの帰り道も。

飲み会の隅で、好きな音楽とか映画とか、本とか、お互い口下手なりに交換し合ったあの時間も。

12月、久しぶりに研究室に行った帰り
皆んなで歩いた道を、1人でなぞって泣いた。

一瞬で過ぎてしまった。これが私の青春だった。

自分の過去など、どうでも良いから、この出来事だけは、忘れたくない。
皆んな忘れちゃっても私がずっと覚えているよ。

と、たまに考える。
今更だけど、ちゃんと伝えられたらよかったのに。


大学4年間、1年プラスで5年間
ずっと自分と一緒にいた。心と体がチグハグになることもあったけれど、色んな感情に向き合ったし、色んな自分を受け止めてきた。

それで、今のところ思うことは
入学する時よりも、卒業する今、私のそばに居てくれる人が増えたということ。
高校生の時、どうせ離れていってしまうと人間関係を卑屈に捉えていた自分は、大学時代、ほんとうに沢山の人に支えられていた。

私の話で笑ったり泣いたりしてくれた人、夜中まで一緒にお酒を飲んでくれた友達、美味しいパン屋さんを見つけたら教えてくれるお姉さんや、人生の先輩たち。突然大学に来なくなった私に、メッセージをくれたゼミの教授。そして、手の掛かる私を、不器用ながらも守ってくれていた家族。

1人でいる時、こういった人たちのことを思い出すと、温かい気持ちになれる。
高校時代みたいに卑屈になることすらできない。

緊急事態宣言で部屋に閉じこもっていた春
窓ガラスが温かくて泣いたことがある。
その時の温かさと似ている。

今、近くに居てくれる人たちへ。

いや、離れていった人たちにも。
会いたいけど、会えない人にも。
実は少し、苦手だった人たちにも。

長い人生の中で出会ってくれてありがとうと、心から伝えたい。


正直、しんどいと思うことの方が多かった。だけどきっと、休学とか、不安定な気持ちとか、今じゃなくても必ず経験していたんだと思う。それがただ、大学時代にぶつかっただけ。
そう思うと、ちょっとラッキーだったのかも。

これからも、こんな自分と仲良くしながら、ユラユラしながら、誠実に生活していきたい。

たくさん愛情をもらった分、勿体ぶらずに自分の愛を振りまける人間になれたら良いと思う。
あと青森のねぶた祭りと、インドのジャイサルメールに行けたら良いな。


始まったら終わるから、私の大学生活も終わった。

きっとこれからもその繰り返し。
明日もずっと続いていく。

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