好きなことを仕事にする

そういうと聞こえはいい。でも、仕事になった瞬間、その好きなことの裏側や見たくなかったものまで見えてしまう。

研究の動機は単純で、わからないことを明らかにしたい、誰も知らないことを自分の手で解明したい、この部分を突き詰めて考えたい、とか。
大学院生なんてものは、人より長く学生を続けているわけだから、「好きなことをひたすら追いかけて、時には寝食を忘れるくらいに没頭して、楽しんでお給料をもらえるなんていいお仕事ね」って見える。

時には超絶優秀で、本当に好きなことをその人のアイデアだけで調べているだけなのに世紀の大発見をしてしまって全然食いっぱぐれない、なんて人もいるんだけど、悲しい哉、大半の研究者はそうじゃない。

責任のいくらか軽い大学院生という立場ですら、凡庸な人が研究者になるとどうなるのか、研究者として生きていくには何が必要なのか、学内政治をはじめとして研究の世界にある裏側などなど...、色々見えてしまう。

やっていけるんだろうか、と不安になったりもする。
好きだったことが嫌いになったりする。
もういやーってなることも多々...

見ないようにすればいいのかもしれない。けど、一日のほとんどを大学で、研究室で過ごすと、よっぽど鈍感でいない限り見ないようにするのは難しい。あと、研究者なんてものは得てして情報に敏感で、観察好きだからいろんな物事が入ってきてしまう


研究しているからには何かしらの発見があるわけで、その発見を自分一人で大事に大事にあっためてても仕方がないので、論文にして全世界にお伝えしないといけない。この論文っていうのがまた厄介。

あさぎはな さんが紹介してらした記事。

これは個人的にかなり刺さった記事なんです。

研究してると、過去に発表されていることと同じものを発表するわけにはいかないから、どうしてもいろんな論文を読みまくらないといけない。
私は1日最低1本をノルマにしているんだけど、一度調べ物を始めるともう何本読むんだってくらいに読んだりする。

論文を読んでると、

うわこの人頭いいなぁ
え、こんな手法あるんだ
この観点は自分にはなかった

等々、自分と比べて凹んだりするわけです。

この論文は、凹むだけじゃなくて、研究者としての自分の評価につながる
「国際誌に筆頭著者としての論文が掲載されていること」などがポストや奨学金応募の条件になってたりするんですね。

さらに、学術雑誌にもランクがあって、ハイランクの雑誌ほど評価は高い。
私の場合、植物系、生物系の雑誌によく出すわけですが、今、目標にしている雑誌が1つあったりする
Nature, Cell, Scienceなんてのに論文出せたら踊り出すんじゃないかしら。

学生の間でも、

あの先生はここ数年論文書いてない
あの先生、毎月のように論文出してるけどどうなってるんや?

とか、生意気にも先生方の評価をしてみたりする。

研究者と切っても切れない存在なのが論文

そんなこんなで、いつしか「論文を出すこと」が目標みたいになってしまったりするんです。

本来の目標は単純に新しいことを調べたいとか、知らないことを解明したいだったはずなのに。

いい雑誌に論文を出すために研究をする、人よりいい論文を書くために頑張る、になってしまう。


ラボメイトが修士卒と、博士進学を控えているんですが、修論を無事提出して、卒業試験に向けて必死に論文を読んでいます。
そんな彼は博士から研究テーマが変わる予定
それは、彼の希望というよりはラボの都合だったりもする。
ラボの都合である以上、論文を出すことが今後求められると思うんです。

幸い、変更後のテーマも彼にとっては興味深いものだったようでよかったんですけど、これが興味のない内容だったり、修士の研究テーマを人生のテーマ、コアテーマにしたいと渇望している場合は、本当になんのために博士に進学するのかが分からなくなってしまいそう


好きなことを仕事にする
そのために好きなことに全力で取り組む

それだけでいいはずなんだけれど、ラボの都合、共同研究者との兼ね合い、自分のキャリア、流行りのテーマ、研究費、論文などなど、いろんなことが単純な知的好奇心の足を引っ張る

実際、片手間でできる実験やライフワークにするテーマ、色々手を出してきたからこそ、これしたくないなぁなんてテーマももちろんあった(やったけど)。


論文を書くためにした研究では結局終わりが見えてしまって生き残れない。

本当に好きな内容を調べるだけで食べていけるほどこの業界は甘くない。

でもやりたくないことだけをやって生きて行くには厳しすぎる。

だから結局好きなことに帰着する。

帰着してなお、結構な頻度で、自分は研究者に向いてないんじゃないかとか、研究者になるのをやめようかとか、考えたりする。

好きなことを気持ちのままに調べて食べていけるほどの才能がないことくらい自分が一番よくわかっているから。

それでも今まで続けてきたこと、積み上げてきた努力をそう簡単に手放して無かったことにするのは惜しい。
何より、手をつけてしまった疑問をほったらかして逃げるのは気持ち悪いし、最後まで調べ尽くしたい。

だから、なんだかんだで続けている。
この葛藤って、いつかしなくなる日が来るんだろうか。

少なくとも、葛藤を上回る知的好奇心が湧き出てくる限り研究は辞めないと思うけど、もっと素直に好きなことに向き合えるようになればいいのに、といつも思う。

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