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子(ね)の会 吟行合宿記③

 寺門をくぐり出ると、人待ち顔の野村裕心さんがいた。野村さんは、ほかのひとたちを待って鎌倉大仏を詣でるとのこと。鎌倉大仏殿といえばおのずと浮かぶ、この歌。

  かまくらやみほとけなれど釈迦牟尼は美男におはす夏木立かな/与謝野晶子 

  「美男におはす」というフレーズ、というよりその発想は、私のどの抽斗をかき回してみても飛び出してこない。一読者という立場を離れ、晶子と吟行合宿に参加する気持ちでみ仏を詠もうとしてみて、あらためて晶子と自分の絶対的な違いを思い知る。この歌が無記名吟行歌会に出されたら、私はなんと発言するだろう。

 …初句に「や」、結句にも「かな」と切れ字を二つも使うのは、いくら俳句ではないといってもどうなのでしょうか。という気持ちもありますが、み仏を「美男」と呼んで憚らないその若い心が、夏木立の健やかな瑞々しさによって、美しく引き立てられています。青葉に照り返されているのは、釈迦牟尼だけでなく「われ」の若さでもあるのでしょう。そう思って再度一首を読むと、「や」「かな」も、口をついた感慨がそのまま一首になったような勢いにつながっていて、疵というより魅力になっているように思えてきました。一度読んだら忘れられないインパクトのある歌です… 

  脳内ひとり吟行歌会を終え、大仏さまは心の中で拝んだことにする。   

  唐銅(からかね)の大き香炉に立つけむりみ仏に届け あまたの願い/村井かほる

  だいぶつのかんばせ比べゐたりけり鎌倉も奈良ならもかまくら/たかだ牛道

  切れ長の大仏の眼に注ぎ込む銀河は青く春の鎌倉/西橋美保 

  背に開く窓の二つに息をのむ緑青ただる長谷の大仏/針谷哲純 

   鎌倉の大仏さまは俯いて暑さも雨もただ耐えるのみ/大矢信夫 

  野村さんに別れを告げて、ひとり海のほうに戻る。

  大海の磯もとどろに寄する波われて砕けてさけて散るかも/源実朝 

 大きな海を眺めたい。人間の小ささを呑み込むような、大きな海を。天気予報どおり、今にも雨が降り出しそうだ。空ばかりか心も足取りもすこし重くなる。一休みしようとあじさい荘隣りのカフェに入ると、やや強面ながら屈託のない笑顔の店員さんが、とても丁寧に接客してくれる。鈍色の海を前に、海の色に劣らず濃厚なグリーン・ラテ(要するに、抹茶+牛乳)をいただきながら、百均で購入した「らくがきちょう」を広げて詠草を推敲。目処が立ったところで、気力体力も回復してきた。

 (続く)

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