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嫉妬の適量を考える

 子供のころはアニメが大好きだった。大人になるにつれ遠ざかっていたけれど、ついに昨年からアニメ好きのカテゴリーに加入することとなった。ドラマのタイアップ曲が取りたいなという作詞家の思惑は、いつしかアニメ主題歌を作詞する機会はないかなあ、に変わっていった。といっても、ものすごくアニメを見ているわけではなく、毎クール好きで見続けるアニメがあるという程度の好きだ。昨年末から『葬送のフリーレン』と『薬屋のひとりごと』は毎週欠かさず見ている。特に『薬屋のひとりごと』はアニメではもの足らず、マンガを読み、果てはラノベまで読み始めてしまった。いや、あの話見てて毎回思うけど、薬と毒はいつも紙一重だな。

 そう、薬と毒は紙一重。それが今日のテーマ。作詞家にとって、いや多分全てのクリエーターにとって、薬であり毒なものはたくさんあるけど、その一つが嫉妬だと思う。私もたくさんとは言わないけれど、それなりにコンペに参加しているので、ああ、あのコンペはこの人の歌詞になったんだな…とかって場面は多々ある。作家仲間もそれなりにいるので、XやらインスタやらFacebookで、作家のリリース情報が目に入る。こんなにリリースがあって羨ましいなとか、この曲はこの人の歌詞が採用されたのか…悔しいなとか。そんな気持ちになる。悔しいとか羨ましいとか、それは紛れもなく嫉妬だ。世の中で嫉妬はネガティブなイメージだけど、純度100%の嫉妬は必ずしも悪とは言えない。『リリースおめでとう!』の気持ちは確実にあるので、そういう情報を見つけたときは反応するし、私も頑張らなきゃ!というやる気への変換ができるうちは、嫉妬は正義だと思う。やる気への変換ができず、どうせ私なんて…という負の連鎖へのスタートラインに立ってしまうと、妬み、嫉み、自己嫌悪ループに突入する。これは悪だろうな。ろくなもんじゃないので、嫉妬はすべきではない。

 じゃあ、嫉妬は一切やめようではないか。我関せず。好きなことを好きなだけやるんだ!誰がなんと言ったって気にしなければいい。というのもいいけれど、それは時として競争を放棄しているだけにもなる。『採用』という競争に参加しなくなると、もうそれは商業作詞家ではなくなり、趣味になる。趣味なら何をやってもいい。むしろもっと自由にやったらいいと思う。仕事にするのか、趣味にするのか。これに悩んでクリエーターを辞めてしまった人も多いんじゃないだろうか。それに誰にも嫉妬しなくなるということは、どうでも良くなるということでもある。採用?私には関係ない。もう誰がなんだって、どうでもいい、と全てが無関係になる。無関係になってしまえば、作詞をすることもなくなる。

 嫉妬はクリエーターにとって、薬でもあり毒でもある。適量に接種すれば、やる気を引き出してくれる。負けてなるものか。次こそ私が採用を取る。ポジティブでいられるだろう。でも摂取しすぎると毒なんだ。だんだん心が病んでいく。だから思う。長く続けられるクリエーターとは、嫉妬を適量に摂取できる人。

 

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