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言葉に色がある、共感覚のようなもの

 何をやってもうまく行かない5月がそろそろ終わりを迎えようとしている。いや、まいった、まいった。面白いくらいにすべてが悪い方向へ進むので、ちょっと疲れてしまった。ということで、作詞も少し停滞気味。今回はガツガツ思ったことを書くのではなく、ふんわりしてみようと思う。

 作詞家っていうのは、言葉と音楽を繋ぐ仕事なわけだけれど、音楽とともに言葉がとても重要な要素なわけで・・・この音というか、言葉というか、この辺に私は独自の感覚を持っているのかもしれないと、勝手に思っている話です。

 共感覚ってご存じだろうか。初めてこれに関する記事を読んだとき、あれ?この感覚はなんとなく知ってるぞ、とぼんやり思った。共感覚というのは、1つの感覚刺激から、複数の知覚がおこること。代表的なものは、音や文字に色を感じるとか。冷静に考えてみれば、音に色を感じるのはなんか変だ。でも私も、文字に色を感じる。これは先天性ではない。子供の時にそんなこと思わなかった。作詞を始めてからのことだと思う。しかも、すべての文字に色を感じるわけではない。「あ、い、う、え、お」という母音には色を感じないのだけれど、「か行」は青「さ行」は少し緑の混ざった青を感じる。ちなみに「た行」は黄色、「は行」も透明、「ま行」が山吹色、「な行」と「や行」が薄ピンク、「ら行」は何やらサイケデリックな色が混ざったよくわからない色、「ば行」が緑・・・という感じ。そして書いてある文字を心の中で発音したときに、より強く色を感じる。

 だから小説を読んでいるときは、言葉を目で追っているだけなので色を感じない。ドラマもバラエティーもラジオも、色を感じない。ただしタイトルは、目で見て心で復唱するのでよく色を感じる。どの行の言葉がより印象的に、より多く使われていたかによって、そのタイトルが青っぽい、黄色っぽい、ピンクっぽい、緑っぽい、サイケデリック色っぽい、といった印象を持つ。作詞してるときも、この歌詞は「青色っぽく仕上げよう」みたいに決めて書く時もある。

 まあ正直、共感覚というものでもないかもしれないとも思っている。単に、自分がその言葉の響きにもともと持っていたイメージが、いつの間にか色と結びつくようになっただけのことかもしれない。それにしても、私は音に関して色を結び付ける傾向にあると思う。先日、大好きなミスチルの配信ライブを見た。デビュー30周年を迎え、新旧の名曲がずらりラインナップされたセットリスト。とっても幸せな時間だった。その時、昔の曲から今の曲までを並べてみると…やはり小林武史さんの存在を感じてしまった。どの曲も好きだし、今も昔もいい意味でミスチルは変わっていない。常に挑戦していると思うし、いい曲をつくったり演奏することに貪欲だと思う。だけど、小林さんがいたときの楽曲は実に「カラフルだな」と私は思った。デビュー日にYahooニュースで櫻井さんのインタビューが掲載され、櫻井さんは「小林さんはミスチルを活かすのがうまい」と言っていたと思う。作詞・作曲ではなく、いわゆるアレンジの面でのこと。小林武史がアレンジに加わると、楽曲はカラフルでだって・・・思ってみて、音を色で表現しがちな自分に気付いたわけ。

 さらに言うと、俳句とか短歌って、言葉で写真を撮ることだと思っているし、作詞でショートフィルムまでは表現できると感じてる。つまり聴覚と視覚って、とても近い関係だよね。だからそれぞれの感覚を刺激すると、よい相乗効果になるのでは?

 ということで、今日は雑記でした。好きなこと書くのが一番楽しい。


#作詞 #歌詞 #雑記 #共感覚

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