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作詞家は辞書と友達

 11月はコロナ以来、久しぶりに作詞以外の仕事をたくさんしました。作詞もクリエイティブな仕事の一つ。こういう生み出す作業は、言葉にしずらいけれど、ある種の苦しみがあり、楽しくても大変な作業です。とはいえ、作詞以外のお仕事(私の場合は主に接客業)は肉体的な疲れを伴い、ハードに働くと風邪をひいたりして。ちょっと思うように作詞ができなかった今月です。ま、言い訳せずに頑張っていきましょう。

 そんな忙しくしてた時期も終わり、そろそろ2022年の終わりも見えてきて、今年中にやるべきことなんだったけかなあ?と考えました。とりあえず来年のカレンダーはブラックフライデーで買ったし、いやブラックフライデーで意外と必要なものが安く買えたし、よかったんだよね。待て待て、大事なものを一つ忘れているぞ、作詞家。そうだ、国語辞典買うんだった!持ってないわけじゃないんです、国語辞典。ただ私の持っている国語辞典は小学生用のもの。(日本語学校で小学生を教えている関係で。)他に四字熟語辞典とか、ネーミング辞典とか、類語辞典とか、作詞に使えそうな辞書は持っているのに、肝心の国語辞典がない。秋ぐらいに買おうと思って紀伊國屋のオンラインサイトを見ていたのに、結局どれがいいんだろうと悩んで忘れてました。

 今の時代、正直にいうと辞書がなくてもネットがあれば大体のことは事足ります。用法が心配な時は英語も日本語もネットで調べるし、そっちの方が便利かもしれません。ただ国語辞書って眺めているだけで楽しいんですよね。ネットは便利だけど誘惑も多く、ついつい目についた関係ない方をクリックして脱線したりするのです。その点、国語辞典は脱線の幅が狭い。覚悟を決めて国語辞典を購入しようと思います。(海外在住者で、近くに本屋があるわけでもなく、紀伊國屋オンラインかアマゾンくらいでしか買えないのでね。)

 そうやって辞書のことを考えていたときに、ふと思い出したことがあるんです。それは私が高校生くらいの時にやっていた辞書遊び。英和辞書と国語辞書。パッと開いたページに気に入った言葉や面白そうな言葉を見つけると、その言葉の物語を想像するのです。例えば<arise>という言葉がかっこいいなと思えば、こんな物語を想像します。朝日の前の一番暗い空の下、歩く人。自分の無力さに打ちひしがれて、そんな自分が嫌で、何かを振り切るように走り出す。その先には朝日が昇る。ベタではありますが、そんな青春物語を想像するのです。これはただ想像するだけで終わり。あ、この言葉にはいい物語が生まれるなと思って満足する、他愛のない辞書遊びです。でも気づいてみれば、私今も同じことやってるんですよね。今は、テーマや歌い手に会う言葉を探さなければいけないけれど、一度ピッタリな言葉を見つければ、後はその言葉を導き出す物語を考える。そして歌詞にする。

 いろいろな作詞パターンがあるものの、私は最初に言葉を探す場合が多いです。核となる言葉を探して、物語を作る。その言葉がメロディーのいいところにハマればそれでよし。はまらなければ、その言葉からさらに連想して別の言葉を当てる。昔とやってることおんなじじゃーん。三つ子の魂百までとはよく言ったもんです。

 作詞方法は人それぞれ。正解は何もないですが、自分の基本を作っておくのはいいことだと思います。わからなくなってしまった時に、自分の基本に戻ればいいから。私はいつまでも辞書とお友達だなあと思いました。今年中に手元に届くように国語辞書買いまーす。

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