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なぜ旅に出るのか

今回、実母にまた行くの!?みたいに言われ、ハッとしました。しかし,今回の台湾でこのところの旅行きたい熱みたいなものが消化されたみたいに感じております。

昔お世話になった人と再会してガイド的に台北を案内し楽しんでもらえて、やりたいことリストのひとつを消化した気がしました。達成感。

この歳になるとほんとお別れはいつ来るかわからない。当たり前を当たり前と思えなくなる、タイミング大事なんだと再認識することが多々起こる。

アメリカにいた時に、お世話になったホストファミリーはもうなくなってしまって、2年くらい一緒に住んでたもうあの家には違う家族が住んでいたりする。

お墓の位置すらもわからない、わかってもたどり着くのはとても労力がいる。仲が良くても血の繋がりがないってそういうこと。

50歳もすぎで,人生後半に差し掛かりまくっていますが、悔いを一つでも減らしていきたいところ。

お世話になった人に少しでも貢献しておきたいというのは、まだたくさん他にいるので頑張らないと笑。

若い頃なんて、モノを知らないですから、周りの人たちの生ぬるい視線の中で許されて育ってきたわけで。自分1人でやってるつもりでも、ちょいちょいと手を貸されているものでした。

大人になるとだいぶわかってきます。手を貸す側になるから。恩を返してもらうつもりでやってるというよりは、まあ自分が人一倍社会でやらかしてるから,罪滅ぼしーみたいなところもあって。

大体自分のやりたいことは達成したし(大仰な目標とかないので)、社会貢献することなどそういうことを意識して、小さく細かいやりたいことリストをちょいちょい消化しながら、後半生きていく所存です。


このテントが次の日からのマーケットの片鱗w

さて、4日目。
友だちは先に帰り、台湾の友だちは今日午前中仕事。わたしは自由時間を気ままに過ごせる1人になったので気になってたところに行ってみた。

四四南村!

日曜のマーケットのクリエーターマーケットが有名な場所。しかしこの日は土曜日、何もない!ちょっとうっすらマーケットしてたらいいなあと思ったけど。

何もないところでガクーっとなりました。四四南村、古民家ぽい建造物がありそこを改築してるようだけど、

まー何もないではないですか!

一つだけ,有名店があります『好丘』

パッションフルーツマンゴースムージーと
アップル入りエッグタルト、美味しい!

おしゃれなんだけど、買いたいものがないからカフェ利用だけしました。オサレカフェのわりにはとても居心地が良い。

しばらくぼーっとして過ごす。贅沢!

雑貨探しにきたのになあ。作家ものとかを期待してましたが…そういうのは日曜のマーケットの時を狙わないとダメでした。

うーん、やはり繁華街の中山が1番かなー

知らないところを1人で歩いたりすると、なんか大人でできることが広がった気がして楽しいです。

台北は東京とちょっと似てて親近感湧く。

東京だと慣れすぎててウキウキがないのと、新しい施設とか昔はときめいたけど今はなんか新鮮さがわからなくなってて。

バスステーションの上のショッピングモールまで行きましたがお目当てのものは見つかりませんでした…まあ仕方ない。日本で探します。


この旅の学びとしては、『盛者必衰』でしょうかねー勝ち組のあの人も、この瞬間風速的な勝ちであり、しかしながらLife Goes onなわけで。

ずっと幸せなんてこともなく、七転八倒しながらもがいて、よりよく生きるために努力するもんだなと思います。

わたしも生きて、そんな「わたしめっちゃ幸せやん!」という多幸感には出会ったことがありません。

占い師なので色んな人の話を聞くのですが、大抵の方は完璧な幸せはUnbreakableだと思ってる節がある。

幸せってふとした瞬間の感情の揺らぎで掴む一時的な主観の感情であり、Comes and Goesなもの。波のようにゆらゆらした,曖昧なもの。

そんなちゃんとした形にはならない気がします。

人間は危機意識が防衛的に必要なので、不幸とかのがシャープに認識しやすいのではないかなと思います。多幸感でアホになってると、食物連鎖的に食われますからねぇ。


冥王星が山羊の領域を出て、水瓶に入りました。山羊サインのおさらいとして、所感。

システムとは安定もしくは固くなさであり、情報を数値として決め込んで変わらないとした決まりごと。

新しい情報を弾き刷新されることを厭うし(再構築は時間と労力の無駄を生む)、個々の微々たる違いは無視して大体の平均を取るもの。

教育にはメスが入るだろうなーと思いましたが、個々の違いを無視して、こういう国民になってほしいという価値観を中心に現場を無視した機能は色々なハミダシを産んでる気がします。

そのハミダシという揺らぎを無視してシステムを動かしすぎると、例外のケアに労力が取られて、先生たちのオーバーワークにつながってるんじゃないかなと。

あと、両親の人生を自由時間を捧げたりね。この辺はプライドとか愛とかで片付けられない労働量になってるような気しかしません。善悪とか以前に、人の生き死にがかかってくるし。

新しいこと(揺らぎ)を受け入れるということはそもそもの前提条件を見直さなくてはならず、システムを再構築することになることで。

再構築には最適解弾き出さなくてはならない。

射手座と山羊座は常にウロウロとしなくてはいけない問題だなあと。

パターン化してそこを毎日安定して運営してる側からすると,  

不安な状態になるわけだから、悪認定してしまう傾向もあり。よく見もせず排除してると対応が遅くなり。

状況は刻一刻と変わるから、
いつかは調整しなくてはいけないわけで。

その調整、いつにするのか?!というのが水瓶の個別ケアと普遍性なのかなと思います。

(それをなるべく避けるために想定する、想定できるように情報を集める)

新しさは不安定さ、把握できない不安の中でしか生まれない隙間が大事で、許容範囲が広がるわけで。

New me!
に、よくわからないけどなっておき、受け止めてまた安定運用に戻っていく。

システムに依存した効率厨は、システムエラーが発生しても騙し騙し続けてしまって、エラーがクリティカルになって機能しなくなってから,気がつく。

鑑定で『変わらなければダメなのですか?』と良く聞かれるのですが、

自主的に変わる方がダメージ少ないのでは?と思うわたしの価値観であり、正しさではないなとふと思ったわけです。

ある人からすれば完全に使えなくなるまで今あるシステムにしがみついて、壊れてから考えればいいというのが正しくもあり。

新しい可能性が何かもわからない状態で
安全な巣から出るタイミングだよと言われてるようなものなのだなあと。

鼻面にんじん的な要素を提案できなければまあ無理だよなとも思いました。

あと、変化してる人というのは、
新しい要素を消化するときにエネルギーがいるからそのとき副産物として怒りやイライラがでるので傍迷惑でもあるのですが,皆通る道、寛容にありたいなと,改めて思いました。

傲慢といはカチカチになった殻みたいなもので、目も見えてないし耳も聞こえてない、脳も理解しようとしていない膜がかかった状態。

目の鱗が何かの拍子で落ちれば、反省し謙虚になり、受け入れられるものが増える、不要な愛着を手放せる状態でもあるかなと。


今回のテーマは己の傲慢さに気がつくでもあったかなー

旅は日常から抜け出し、確固たる安定から抜け出した状態。楽しいも、なんか殻を突き破るときの麻酔みたいなもの。興奮ってそっちに全部気を取られ他に無防備でもあるので。

なんらかの刺激で生まれた緩みから、さらに刺激を受ければ今のカチカチからいつのまにか脱し、価値観が変わったり固定概念の解除に役に立ってくれる感じか楽しい。

あーわたし、小さいことに囚われてた!みたいな

そんなところがわたしが旅が好きな理由かも。



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