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MIMMIのサーガあるいは年代記 ―53―

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    第 四 章
   少女よ 誰よりも輝く神話になれ!

 再び時間を半時間ばかり巻き戻して、場所も蛸薬師小路たこやくしこうじ邸での桃子の捕虜尋問のところに戻しましょう。
 
「さあ早く!」
 エリカがするどく急きたてます。”地下会議室”と呼び習わしている地下防空壕、さらにその実態は大規模核シェルターへ移動を勧めたのです。桃子がすぐさま反応しないのを見てとると、彼女はこう付け加えました。
「このロシア人捕虜のことは、気になさらずに……先に行ってください」
 エリカは、捕虜から距離を少しおいて、腰を低くしています。右手は腰裏にまわしていて見えませんでしたが、肌触りの善い絹布にくるんだ剣山けんざんのような殺気が言葉の端から洩れていました。
「なんてことするつもり? ナイフをしまいなさい」
 桃子は、エリカの行動の予測がつきます。なんといっても十年あまり一緒にいるのですから。つまり、エリカが身を引いて身構えているのは、両手両足が自由になった捕虜ヒョードル・アンドロヴィッチ・ザハロフが椅子を手にとる前に、腰裏に隠し持ったナイフで仕留めようと企んでいるのを見抜いたのです。
「わたしの捕虜なのよ、殺しちゃだめ!」
 桃子が重ねて厳しくさえぎりましたが、構えをゆるめようとしません。
 
 桃子が輪っかにまるめていた鉄鞭てつべん/てつむちを床にのばします。それははたから眺めると、あたかもエリカの鉄鞭で桃子がエリカと対決しているように見えました。
 不意になんら予備動作もなく、彼女は手首のスナップだけで鉄鞭を振るいました。エリカに向けてではなく、ヒョードルの座っている椅子の脚です。脚の一本に絡まっています。彼女が鉄鞭を引くと、椅子は右横へ飛び、背もたれが砕けます。
「お前も変な気をおこすんじゃない。まだまだ聞くことがあるから、ついてきなさい」と、尻餅をついて壊れた椅子と桃子と鉄鞭の先端を順に見比べているロシア人に命じました。
「さあ早く」と、桃子が扉を開け放ち急きたてると、ヒョードルはバネ仕掛けの人形のようにケガをしていない右足で立ち上がり、廊下へ片足跳びで向かいました。
「松葉杖がいりそうね。取りあえず間に合わせの杖を探してあげる」
 彼女はまるで猛獣の檻に入り込んだ、一分の隙もない熟練の猛獣使いのようでした。

 エリカは、この二分間に起きた桃子の一連の振る舞いが、理解できませんでした。頭の中で秩序立てようとしましたが、響き渡る甲高い警報の方に気を取られてしまいます。
『敵襲? 奇襲をうけた? 敵勢力は? 侵攻方向は? 敵の武器は? 味方は計画どおりの防備についた? 被害は? 非戦闘員は防空壕に全員避難できた? 防空壕の対爆ドアは完全に閉鎖できた?』疑問と心配が次々に追い打ちをかけてきます。
 とりあえず彼女は、桃子がテーブルの上に忘れた尋問を録音したICレコーダーとメモ用紙を鷲づかみして二人の後を追います。

 屋外へ向かう廊下に桃子は見当たりません。この司令棟を一度出ないと、防空壕のある業務棟へはたどり着けないのです。反対を振り返ると、あのロシア人が飛び跳ねて廊下を曲がったのが見えました。そうしてその先にいるはずの桃子の企図も。その先の階下には武器庫があるのです。『お嬢さまをとめなければ!』
 一時間前に雇用主のお婆さんの厳命があります。桃子に武器を持たせてはならない、地下防空壕で大人しくしているように、という命令です。

「お嬢さま。ダメです」と大声で叫びながら全力で走りだしました。片足で飛び跳ねるロシア人を突き倒し、階段を駆け下ります。
 ……やはり武器庫の扉が解き放たれていました。桃子がポケットに二十発入りの弾倉を詰め込んでいました。胸には破砕手榴弾が取り付けられています。M4カービン二挺が弾薬函の上に放り出されていました。
「お婆さまの言葉を忘れたのですか? お嬢さまは絶対に手にしてはなりません。さあ、防空壕へ移りましょう。時間がありません」
 こう言いながら、桃子から弾倉を取り上げ、アサルトライフルを手の届かないところまで蹴りしりぞけました。
「何をするの! 武器がなければどうにもならないわよ。まるですっ裸みたいで心細い」
「要りません。闘うのはわたしたちです。お婆さまの言いつけを守ってください」
 エリカはこう言いきると、大きな音をたて武器庫に入ってきたロシア人に、「出てろ!」と英語で叫んで、手元にあった弾薬函の蓋を投げつけました。そしてそれは捕虜の顔面に正確に命中し、気を失わせました。彼女は激高して、母国語である英語に戻っていました。

「オフィーリアの死を無駄にしないで! わたしたちの身代わりになった彼女を忘れないで。次はお嬢さまかもしれない。これ以上仲間から死者が出ることに耐えられない。……お嬢さまだけでも確実に生き残ってください。お願いです。もうたくさん……」
 涙があふれ、涙声になり最後までは聞き取れませんでしたが、桃子に崩れ落ちるように抱きつきました。
 
 オフィーリアの名前を耳にすると、桃子の動きを止めました。オフィーリアの満ち足りたような死顔と、無惨な腹部の傷口を生々しく思い出しました。思わず彼女が遺した婚約指輪を仕込んだペンダントを強く握りしめていました。お婆さんと、ひこうき雲を眺めながら交わした会話の断片も横切ります。聴いたエリカの経歴の単語も。……目頭に涙が滲みそうになりました。
「……わかった」
 冷静さを取り戻した声で、力強く断言しました。手榴弾を元の位置に戻します。
「エリカ、死なないで。もう誰も死なないようにして!」叫ぶように頼みました。これが儚い希望に終わるのではないか、とも反問していました。
「お婆さんのそばにいてあげて。あっちは一人でも手助けが必要でしょう。わたしは防空壕に立て籠もるから、大丈夫」
 エリカが大きく頷きます。
「だてに、わたしはロンボーンの美しき虐殺者と呼ばれていません」
 ハシバミ色の瞳が輝いています。

「念の為にこれは着けていてください。防空壕へ行く途中は、外に出ますから」と言って、ヘルメットとプレート入りの重いボディアーマーを、ロッカーから取り出して、手渡します。そうしてこう続けました。
「お前もだ!」と、気を失って仰向けに倒れ込んでいるロシア人捕虜に、ヘルメットを投げつけました。頭に投げつけられた衝撃で、ヒョードルは気を取り戻しました。
 彼はのちのちまでこの日に受けた仕打ちの愚痴を繰り返しました。内容はこうです。
 あの凶暴なメキシコ人は狂っていたが、奴らより乱暴で思考が推測不能で恐ろしかったのは、あの若い美女たちだった、と。ちなみに、彼は橋本ナナミンにも、棒手裏剣で股間を狙い撃ちされ、金玉袋を壁に縫い付けられそうになったことがあります。この金玉袋の挿話は、また別の機会にたぶん触れることができるでしょう。

 
 桃子が尋問をした司令棟の地下から出ると、深い塹壕沿いに防空壕のある事業棟へ向かいます。この塹壕は応急にここ数日で掘ったものですが、プロによる設計と重機を使ったので、巧妙にできていました。塹壕は爆風避けに不規則に幾度も鋭く屈折し、要所要所に機関銃座が設けられていて、これら銃座の射線に死角はまったくないようです。ですが、この塹壕に人は誰もいませんでした。もっと外側の掩体壕えんたいごうの機関銃座に立て籠もって応戦するか、司令棟の高所から射撃していました。いわば桃子たちがいまいるこの場所は、攻防の真空地帯のようになっていましたが、時折、大口径の銃弾がそれ弾となって頭上を飛び去り、手近なコンクリートや土壁に命中し、鉛の弾片と土塊をばら撒きます。

「もっと頭を下げて」とか「ちょっと待ちましょう」、「伏せて!」などと、エリカが指示をだしながら桃子を導きます。迫撃砲弾が近くに着弾し、死の爆風と弾片をまき散らします。さすがにエリカは野戦を、もっと大きく熾烈な苦しい野戦を経験しているだけに指示が正確でした。迫撃砲弾の弾着予想地点と予測秒数を飛翔音から判断していました。また捕虜ヒョードルもエリカの喋る日本語が分からないのに、みずから判断して塹壕の底に体を投げ出しています。彼も大規模野戦経験者であることが、察せられました。

 桃子といえば、銃火や砲撃を怖れてはいませんでした。銃弾が自分を避けると、半ば本気で信じているのです。しかし、あの廃工場の銃撃戦と路上の待ち伏せ攻撃で、銃火の洗礼を受けたのですが、ただいまとはまったく様相が異なっていると感じていました。
 あの銃撃戦は小規模な、しかも小火器による単純なものに過ぎなかった、と。
 今は敵の攻撃正面だけで、一キロメートルちかくに及び、さらにこれからどれだけ拡大するか予想できません。ゴンザレスが予想したように、裏側かの陽動攻撃やヘリボーンによる邸宅中心部への急襲を、いままでに拾い読みしたエリカたちの戦術書や教本で理解していましたが、どう砲弾を避け待避するのかという具体的訓練を受けていません。さらに激烈になる戦闘の只中で、生き延びられる可能性に否定的になっていました。ある意味それは桃子にとっての人生最初の挫折感だったでしょう。
 知能と学識や創造力は誰にも勝り、運動能力は一流アスリート並みだから不可能なことは何一つなく、生来のリーダーだと自他ともに信じていたのですから。

 次にエリカの怒声に従って、塹壕の黒土に顔を押しつけた直後、迫撃砲弾が近くに着弾しました。土砂に上半身が埋まってしまいました。エリカが伏せている捕虜の背中を踏みつけて桃子に駆けより、土を払いのけます。
「急いでください。偵察ドローンに発見されたようです。砲撃がここに集中します」と叫び、桃子が立ち上がるのを待たず、ボディアーマーの襟を引きずって掩体部へ待避しました。エリカの息があがっています。
「少し休みましょう。ここならほんの少しだけ安心です」こう言い終えるとペットボトルの蓋をねじり開け、冷水で桃子の顔を洗いました。
 塹壕の底部に着弾しても、屈折部が爆風などの大半を逸らすでしょう。また塹壕の幅は、一メートル足らずですから、迫撃砲弾をピンポイントで着弾させることはほぼ困難でです。こういう意味でエリカが安心と言ったのでしょう。
「本当に安全? どのくらい」
「ロト7に大当たりするよりちょっと確率が高い程度じゃないんですか」他人事のように答え、桃子のヘルメットを脱がして、髪の毛を指で梳いでいます。桃子は、急に数学頭になり、いまの場合確率を算出することができない、誤りだ、という考えがうかびましたが口をつぐんでしました。
 
 こうして普通なら五分足らずでたどり着く防空壕の入口まで、この夕刻には塹壕と交通壕の底に身を屈めて走り、這いつくばり、体を投げ出して十五分あまりかかりました。入口を囲むヘスコ防壁と土嚢の隙間から来し方を覗き見ると、砲撃は少し疎らになっていましたが、敵の発砲音が三重の外壁に近づいてきていました。司令棟のビルから照明弾が間断なく打ちあがり、辺りを真夏の白日に変えていました。さまざまの物の濃密な陰影が揺らめきながら移り過ぎました。きっと敵の赤外線暗視装置や光増幅暗視装置を無効化にする意図なのでしょうが、照明弾が無限にあるわけではないでしょう。
 正門の外壁にRPGが命中しています。あの透かしがはいった青銅製の正門のあたりで大きな爆発音と噴煙が立ち上がります。
「一番外の門は破壊された。あの爆発規模、きっとリモートの自動車爆弾を使ったんだわ。門の前の道路には地雷を設置してませんから、まもなく敷地内へ侵入してきます。さあ」と、エリカが促しました。

 桃子は、防空壕の対爆ドアを開けるために少し離れた目につかないところに隠されているボックスの蓋を開け、暗証番号と個人IDを素速く入力し、数各所に隠されたカメラのレンズに顔を向けました。
 核シェルター仕様の防空壕は、セキュリティ上、いったん誰かが待避すると外部からは開けられないようになっています。内部から味方確認してからでないと、新たに壕に入れないのです。しばらくして、緑色の”permission”の文字と桃子の名前が表示されました。入口のスライド式防爆ドアをブロックするボルトが解放される、鈍重な金属音がここまで響きました。
「エリカ……」とだけ、振り返った桃子が口走りました。それ以上言葉が続きません。
「大丈夫です。お嬢さま。わたしには神がついています。戦闘では決して死にません」
 落ちついた口調で応ずると、十字架を取り出し口づけしました。

 エリカのかおは濃い陰に隠れ、桃子には表情が読めません。ただ彼女が掲げた金色の十字架に、茨の冠をかぶったイエス・キリストが文字どおり十字架に架けられ、頭を垂れている像が、浮き上がっているのが眼に焼き付きました。
 エリカは黙って身を翻し姿勢を低くして土嚢の壁の向こうへ消えました。
 桃子は、十字架のキリスト像とエリカの陰影だけの貌が重なり、不吉な連想がおきました。オフィーリアの次はエリカを喪うのではないか、と。
 
 防空壕の対爆ドアが少し開けられ、お嬢さまと、大声で呼ぶヒロコーの声がします。
 桃子は、地面に座り込んだヒョードルに向かって、「さあ中に入るのよ。まだ聴くことも山ほどあるし。それからまだ完全に信用していないからね。ちょっとでも怪しいことがあったら、桃子親衛隊の隊長の席がないどころか、肉屋のフックに逆さまに吊してやるから」と、ロシア語で脅しました。

  (つづきますよ)

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