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MIMMIのサーガあるいは年代記 ―42―

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          第 四 章
          王の帰還(2)
 
 お爺さんは二日酔いで頭痛と吐き気に思考が仮死状態なうえ、足元も覚束ない状態でしたが、本人は頭の働きは完全に復活しているとかってに決め込んでいて、椅子の肘掛けで腕を支えながらなんとか立ち上がりました。
「今から桃子に会いに行く、すぐに車を廻せ」と、しわがれた声でまた咆哮ほうこうしました。

 ……
 お爺さんはあわてて乗り込んできた天野とサンチョに訊ねます。
「天野、サンチョ。車の中で、わしが酒におぼれていた間に起こったことをつつみ隠さずもういっぺん話せ」 
 サンチョは、昨日起こった銃撃戦のあらましと桃子の負傷程度、人的被をくどくどと説明しました。
 天野は、お爺さんが酒に逃避するようになってからとみに影響力が落ちたこと、これを見透かしてそれまでお爺さんを怖れあがめ奉っていた政財官界の有力者たちが、反旗を翻しはじめたこと、そしてその数は次第に増えて、まるで水に落ちた仔犬を打つようにお爺さんの事業などにあら探しを始めたこと、を手短に喋りました。
 また、桃子お嬢さんがこの不利な状況を挽回するためにイメージ戦略を大がかりに展開しようとしたが、その成果はまだ明確に顕れていないことも言いましたが、彼女に求婚者が五人も現れたことは、伏せたままでした。これは桃子の怪我に荒ぶった状態のこの老いた雇用主を、この車内の狭い空間でさらに激怒させることを怖れたからです。

「ですから、事業の方も大変なことになっています。警察、国税庁、労働基準局、消防、保健所などが立ち入り調査をしようとしてます。大学、病院を含むあらゆる事業所が目をつけられています。なんとかごまかしていますが時間の問題でしょう。これが焦眉の案件です。したがいまして邸宅の事業棟も、警察や国税庁などから密かに監視されているとお考えください」
 こう天野が話し終わるころに、車は病院の正面車寄せに滑り込みました。

 お爺さんの大邸宅から桃子たちが入院している病院までは、自動車で十分足らずの距離ですから、お爺さんは二人に細かい質問をする暇もありませんでした。しかし、彼は桃子が入院している病院だと気づくと、彼女への心配に頭が切り替わってしまい、車中で聞いた説明のことなどすっかり忘れてしまいます。それはあたかも、電源のブレーカーが突然に落ちたようなものでした。
『迷惑もハローワークもあるかい』が口癖の元気なお兄さんとその手下三人が、人目につかぬ柱の陰などに潜んで警戒していることも、とても危険なメキシコ人二人が病院の屋上に見え隠れしていることも、お爺さんは気づく余裕などなくなっています。桃子を警備するこの態勢を仕組んだサンチョだけは、車を降りるとすぐに視線をすばやく巡らせて危険の有無をチェックしていました。

「桃子はどこだ? 大丈夫か」と叫びながら駆け込み、病院職員に取り囲まれて静止させられる始末です。桃子の病室前ではもっと大変な騒ぎになります。居合わせた医師や看護師の胸ぐらを摑んで大声を上げます。
「桃子を元に戻せ! 体に傷跡一つ残すな! 桃子の命に万が一のことがあったらただではおかないぞ。お前らのくびを切り落としてやる。家族も親類も友人も全部根こそぎにしてやる! 脅しではないぞ!」

 天野とサンチョが「騒ぐとお嬢さまの治療に差し障りますよ。落ち着いてください。桃子お嬢さまは命に別状ありませんから」などと、必死になだめました。
「別状ないとはなんだ! 桃子がケガをしたんだぞ、殺されそうになったんだぞ。それが別状ないとはなんだ!」 
 天野とサンチョはこんな難癖をつけられ、お爺さんが酒浸りのままであったら、どんなに楽だったろう、と思いながらもなんとかなだめすかしました。

 桃子の病室にはいるとお爺さんは桃子に駆けより、「桃子、かわいい桃子、お前をこんなにしたのは誰だ!」と、病室には相応しくない大声を張り上げました。 
 ですが彼女はお爺さんの大声ににも反応しません。彼女の顔面や腕には包帯や絆創膏で数カ所が覆われています。心電図を計測するために、彼女の入院服の袖口や胸元などから、コードが伸びていますが、集中治療室のスパゲッティ状態とはまったく雰囲気が異なっています。それはそうです軽傷なのですから。
「桃子の返事がない。生きているのか? まともな治療もできない医者なのか? サンチョ、そのクズ医者の心臓をえぐり取れ!」と、さんざんなことを喚きます。 
「お嬢さまは、鎮静剤で眠っているのです。傷はたいしたことないようです。むしろ人が死ぬのをご覧になってますから精神的な負担が大きいようです。ですから主治医は鎮静剤を投薬して……」と、天野が恐る恐る説明します。
「本当だろうな天野。いい加減なことを言うとお前でも目玉をえぐるぞ、いいか?」

「いま、主治医を呼びますから」と、彼は言い訳をしながら病室を飛び出し、廊下にいた主治医を病室へ押し込みました。
「落ち着いてください。静かにしてください。お嬢さんは大丈夫です。今は鎮静剤で眠っているだけです。ケガは全部軽傷です。擦り傷や軽い火傷、出血はほとんどありません。MRIも撮りました。軽い脳震盪の兆候がありましたが、注意して見なければわからない程度のもので、懸念はありません。また感染症も見られません」とだけ、彼はおどおどと説明するばかりでした。
「懸念がないだと……擦り傷だと……本当だろうな? 自分と家族の命を賭けて、言ってるんだろうな?」
 主治医は、震えながら、小さくうなずくしかできませんでした。
「傷跡一つ残らないようにしろ。赤ん坊の時のように綺麗な肌に戻せ」
 こう脅すと、主治医にふらつきながら近づくと、医師が頸から紐で吊したネームプレート兼IDカードを引きちぎり、サンチョに放り投げました。 
「桃子にもしものことがあったら、こいつがお前の心臓をナイフでえぐり取る」 と、おどろおどろしい容貌のサンチョを指差しました。

 桃子が目ざめていれば、お爺さんは眼球とコンタクトレンズの間に入れても痛くないような桃子を抱きしめて、悲嘆する歌舞伎の大袈裟な愁嘆場しゅたんばのようになる筈でしたが、眠っている彼女の前では、彼は黙って桃子の寝姿を見守るしかありません。
 あと数時間は桃子がこの状態だと知らされると、「ここには置いておけん。ワシの家へ引き取れ。エリカたちもな。ここよりずっと安全だ。医者はワシの大学病院から寄越すようにしろ」と、お爺さんは、雇用主の気紛れを避けて廊下に避難していた天野に命じました。
 天野はすぐさまスマート・ホーンを取りだし、蛸薬師小路たこやくしこうじ邸に受入準備の連絡をし始めます。次に彼が大学病院に電話をかけようとしていると、サンチョを従えたお爺さんが病室を出てエレベーターの方に去っていきます。
 その後ろ姿を眺めながら、彼はぼんやりとこう危惧しました。
『いつもは温和で理性的でしかも合理的な経営者でもある雇用主が、今は政財官界と裏社会・反社会の暗部とつながるフィクサー黒幕という、市井の人間がイメージするとおりの極悪で粗野な人物に変じてしまった。以前のような精神状態に果たして戻ってくれるのだろうか。またそれはいつのことになるのか』

 (つづきますよ)


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