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MIMMIのサーガあるいは年代記 ―62―

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          第 四 章
        -戦場のプリマドンナ1-

 さてさて、ここまで久しく登場しなかった主人公桃子の様子です。
 
 桃子は地下防空壕(核シェルター)の隅で、外部監視カメラを通して地上の戦闘の模様を嘆くばかりで、他にできることはありません。
 隣の大会議室では、避難してきた従業員やその家族の笑い声や歓声が起こっています。最初パニック状態だった彼(彼女)たちも、ヒロコーをはじめとする”元気なおにいさん”たちの即興芸に和んできたようです。桃子の意図はあたったのですが、この地下防空壕(核シェルター)の外は、死と炎、閃光と爆風、流血と死臭に覆い尽くされていることには変わりありません。
 
 味方に大きな被害がでている、と容易に想像できます。心配でした。ですがまた一台、外部監視用カメラが破壊されてモニター画面が砂嵐のようになりました。ここからは外部を監視し、電波を受信する以外の機能がありません。お婆さんたちと連絡をとる術がないので、モニター画面で味方が傷ついていくのを見守るという拷問に耐えるようなことしかできません。
 オフィーリアの遺品である婚約指輪を固く握りしめます。『もうだれも彼女のように亡くなってほしくない』
 
 生き残ったカメラを旋回させると、中空へむけて重機関銃の火箭とロケット弾が集中し、爆発します。煙と火炎を引きずってヘリコプターが錐もみになっています。彼女がレンズをズームアウトすると、残り四機のヘリがさまざまな高度で、周囲を旋回しています。何故か着陸をためらっているようで、機内から狂ったようにアサルトライフルで銃弾をばら撒いています。
「源さん! はやく来て、これ見て」と、背後の大会議室に呼びかけました。
 のっそりと入ってきた源さんは、モニター画面を一つずつ眺めわたしてから、桃子にこう言いました。
「お嬢。あれはヘリによる強襲じゃ。だが、馬鹿な奴らじゃ。情報不足。三日前の敷地内の情報でたてたお粗末な作戦じゃ」
「どういうこと?」
「『龍の歯』とやらを空き地に置いて、エスコ防壁を要所要所に造ったからな。これではヘリが屋敷内に着陸する空き地はない。のろいバカ鳥は、絶好の射的の的じゃ。……しかし、心配でもある。敵は意外な手札を揃えていやがる」
 
 そういえば数時間前まで、「パワー・ショベル」が口癖の”元気なお兄さん”が、エスコなんとかを造っていたのを、桃子は思い出しました。三日前どころか数時間前に敷地内の様子が変わってしまっているのです。

 ですが、戦況はさらに急変しました。
 源さんが、桃子の肩越しにカメラを操作して、敷地内のようすを俯瞰します。すると、業務棟の玄関あたりから二十人あまりの男が、注意深く周囲を探りながら相互支援をしてゆっくりとでてきています。明らかにメキシコ人たちと挙動が違いました。
 彼らは、二、三のエスコ防壁に身を隠して敷地内を見まわしています。そして、敷地内の銃口炎が烈しい箇所をめざして慎重に寄って行くのが見えました。
「まずい! 敵が侵入した。食品加工工場につながる隠しトンネルが見つかったらしい。奴らはトンネルを逆用したんじゃ。……もう組織的な防御はできん。一人ずつの個別戦闘になってしまう。守りきれん」
 
 隠しトンネルを通って、敷地内へ入り込んだのですから、もう外壁も『龍の歯』も役立ちません。それに外敵用に設計配置した掩体壕、塹壕なども……。
 桃子は源さんの説明を理解し、受け入れるのに少し時間がかかりました。

「わたしも闘いに行く! 助けなきゃ!」と叫びました。
「……」
 桃子が勢いよく立ち上がり、後ろのドアから出ていこうとします。が、源さんは軽く足払いをかけて、彼女の行き足を止めました。ドアノブを握ったまま、桃子は前のめりになりました。
「ワシが行く。お嬢は武器を執ることを禁じられておるじゃろう。ここにおれ。婆さんの言いつけを守れ」
「源さん一人ではどうにもならない。わたしの力が絶対いる!」
「ワシはガダルカナルやインパールでも生き残ったぞ。敵の中枢、要人を潰してやる。そういうのは得意じゃ」
 桃子はまったく信じられませんでした。腰が曲がりかけた小柄な、年齢不詳のこの老人が闘えると、だれが信じるでしょうか。

「四四式騎銃と弾六十発あれば十分じゃ。さて行くか……忘れておった。外の様子はあいつらには絶対口外するな。パニックになって碌なことはせん」と、彼は大会議室に顎をしゃくりました。
「それと、外へは非常時脱出口から出るが、そこには侵入防止扉がある。中からは開閉できるが、外からは開け閉めできない仕組みじゃ。だからワシが出ていったあと、扉を中から閉じてほしい。これは絶対必要なことじゃ。ここの非常脱出口が発見されて敵が侵入してしまう」
 桃子には最後まで聞き終えなくても、その必要性がわかります。彼女はまだ少しも納得していなかったので、不承不承にこうべを縦にふりました。

「じゃあ、出るぞ。気づかれないように静かにな」こう言って源さんは、古びた毛布でくるんだ騎銃と弾薬盒がついた革帯を肩に担ぎ、あの九八式円匙を手にしました。
「そのシャベルは?」
「非常脱出通路が、雨水なんかが流れ込んで泥で埋まってるかも知れんでな。何事も用心と用意が必要になる。ワシもだてに百五十過ぎまで生きてきたのではない」と、源さんは小さく笑いました。
 
 
 小会議室、食糧貯蔵倉庫、機械室などの横をとおり、非常時脱出口へ通じる壁にいたりました。お爺さんが足元の消火器がはいった赤い箱の蓋を開け何かレバーを引くと、金属音がしてロックが外れて行き止まりの壁に隙間ができました。壁を押し開くと小部屋がありました。源さんが非常灯の電源を手探りで点けます。
 小部屋の奥へは、大きな回転式ハンドルを廻し潜水艦の水密扉のような小さな出入口をくぐります。源さんは、小部屋にあったカンテラや懐中電灯を取り上げて足元を照らし出します。非常灯の弱い明かりが照らし出した通路は、幅一メートル程度と狭いものの高さは二メートル近くあり、腰を伸ばして歩いていけるようです。
「足元に注意しろよ。ここから先は照明がない」

 桃子は源さんの背中と懐中電灯で照らした自分の足元を交互に確かめながら慎重に一歩を踏み出しました。また行き止まりです。源さんが右横の水密扉のハンドルを回します。

 通路、天井、壁などが綺麗に内装されていたのはここまでで、先はコンクリートの打ちっぱなし、出口に近いところはただ岩盤をくり抜いただけになっていました。通路はまた、爆風よけに何カ所かで屈折し、そのたびに水密ハッチにさえぎられていました。行き先は、次第に登り坂になり、その奥では岩盤を掘削しただけの階段になっていました。この階段は緩い勾配ながら、高く続いていました。
 通路がやや平坦に戻ったのが足裏から伝わります。先ほどと同じような屈折部の扉をあけると、その先はコンクリート打ちがない自然石の洞窟でした。
 
「狭くなるぞ。頭を打つぞ。足元も悪い。土砂は流れ込んでいないようだな」と源さんは言いますが、桃子はトレッキングシューズの中程まで軟泥らしき気味悪い物に埋まっているのを感じました。防毒マスクを被っているのに、嫌な臭いをかいだような気にもなってきました。
 
「明かりを消せ。これが最後の扉じゃ。外側にはハンドルもなにもついておらん。自重で閉まる。ワシが出たらロックしてくれ」源さんは淡々と言ったのち、古毛布の包みの両端を紐で縛って肩に斜め掛けにしました。紐を取り外した九八式円匙を後ろに投げ捨てます。
「源さん。本当に一人で行くの?」
「なんべんもおんなじことを言わすな。お嬢が心配することは起きない。安心しろ。……では、桃子お嬢元気な……」それだけ言うと体を翻し、垂直に伸びた鉄梯子を登り始めました。
 
 錆びた金属同士がこすれ軋む音がしたあとしばらくして、生暖かい外の夜気が垂直坑に満ちてきました。外の様子は桃子には、しかとは分かりませんでしたが銃撃音が響いているように感じました。
 
 もうそれから何一つ起きません。扉がふたたび開いて、源さんの間延びした声がすることも、顔を覗かせることも……。ただの闇です。
 
 桃子はここで決心しました。
 お婆さんの厳しい言いつけを破ることを。お婆さんやエリカたちの命を助けるために……。それ以前に、オフィーリアとサンチョを工場跡の汚いコンクリートの上で死なせてしまい、生き残った自分の償いを少しでここでしよう、と決めました。

 彼女はふたたび点けた照明を足元に放りだして、その薄明かりだけを頼りに垂直坑の鉄格子に手をかけました。足元に捨て置いた源さんの「円匙」の柄だけを拾い上げると(注)、昇り始めます。天頂の出入口扉はロックが外れていて、スライド式に横へ開き上半身を乗り出します。

 外の様子、人の気配をしばらく窺って地上に腹ばいになり、闇に目が慣れるのを待ちました。夜になったとはいえ、まったく下がらない気温と昼間より増した湿度のため、外気はサウナのように息苦しく感じられました。腹の下は荒いコンクリート、手先に触れるのは乾いた土と雑草。背の高い草むらが右側に拡がっていることが分かります。振り返り、いま這い出てきた出入口を透かし見ると、扉の上は稲荷の小さな祠があります。この祠がスライドしてその下に最後の出口が隠されていることが分かりました。

 銃声と閃光が奔馬のように荒れ狂う蛸薬師小路邸を眺めると、ずいぶん遠く離れているように見えます。とにかく、この近くには明かりも人の気配もありません。彼女はお婆さんたちの命を救うのだと、いきり立ってここまできたのですが、途方に暮れてしまいました。手元には武器とも言えない一メートル足らずの木の柄だけです。あとは蚊か何か正体不明の虫が汗塗れた肌に貼り付く不快感だけでした。
 桃子は、とりあえず銃声が密集する方向に向けて、闇に潜み音を殺して進むことしか考えが浮かびません。なにも具体的なことをことを考えていなかったのです。

  (つづきます)

 
 (注)
 九八式円匙はシャベル部分と柄が紐で連結されているだけで、簡単に分離できる
 

  


※ 冒頭の画像は、お絵かきAI (image creatorで)作製した『戦場のプリマドンナ2035年版』の一部分です。せっかくですので全体画像を次に添付しておきます(Microsoftさま、感謝です)。

戦場のプリマドンナ2035年



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