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MIMMIのサーガあるいは年代記 ―39―

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        第 三 章

          血まみれの桃子(12)
            弔 銃

 この手榴弾の炸裂後、エリカが戸口へ匍匐前進し、扉の裏に潜みます。
 次の手榴弾が目前に転がってくると、拾って屋外へ投げ返しました。
 彼女は最後の手榴弾二つを胸ポーチから引き出し、手元に置きます。
「とっとと掛かってきやがれ! 腰抜けども」と、見えない敵に叫びました。

 オフィーリアが『地獄の妖精』という二つ名に立ち返って死闘したように、エリカも『ロンボーンの美しき虐殺者』(注1)の異名に相応しい戦士に立ち返っていました。
 
 さし迫った敵はエリカの罵倒には反応せず、手榴弾を寄越すだけでした。 敵はスペツナズ出身の傭兵に相応しく、点火から爆発までの秒数を計算し、投げ返されないタイミングで投擲してきました。
 手榴弾はほかにも、工場の西側、東側にばら撒かれました。桃子たちが左右に機動牽制することなく、工場の一角に押し込めるのが意図でしょう。
 
 敵の先鋒との距離は四十メートルを切っているでしょう。しかし、正面の開口部からは敵兵が見えません。ただ傷だらけのランクルがゆっくりと寄ってくるのが目にはいるだけです。すでにこの工場跡は、両翼を押さえられたと言っていいでしょう。敵は三方から押し寄せ、これまでのように正面だけに備えることはできません。あらゆる方向から押し寄せる敵に、弾の尽きかけた小銃と、最後の一、二発の手榴弾を使い果たすと、ナイフや鉄パイプで肉弾戦しかないのです。
 
「みんなー! いままでありがとうね」と、桃子がこんな時でも明るい声をあげました。ですが誰も反応する余裕はありません。汚らしいコンクリートに顔を押しつけ、もっと身を低く隠せないか、と考えているばかりですから。

 不意に銃声がありました。それはずいぶん離れたところからです。丘陵への登り口あたりからでしょうか。
 敵がなにごとか喚いています。
 この直後、敵の背後で炸裂がありました。二回、三回と続きます。そうして四発目はランクルの辺りで起きました。五発目は、工場跡の下の崖でした。
 敵の手榴弾投擲とうてきも銃撃も止みます。桃子たちは、あっけにとられたように頭を上げ、開口部から敵の様子を探ります。
 
 あわてて退いていくではないですか。その敵の群れの間近で爆発が起こります。二、三人が爆煙の中に消えました。次は丘陵の西側で……。
「砲撃だ! 国防軍の砲撃だ! 助かったぞ!」と叫んで、ゴンザレスが雄叫びを上げました。
「いや、ちょっとおかしい。迫撃砲でもない。発射音も遠くに聞こえる。射撃速度も遅すぎる。油断するな」と、エリカが言い、ナナミンやガルシアも賛成しました。
 
 桃子は入口まで這っていき、首を伸ばして敵を見ました。
「逃げてゆく」
 ゴンザレスも近寄り、屋外を見渡します。「なんておかしな砲撃なんだ。照準が悪すぎる。だがとにかく助かった」こう言うと、彼は地面に大の字になりました。
 ほかの者も入口に駆け寄ります。

「あそこだ!」
 ガルシアが、東南を指さします。発砲炎が一・五キロメートルほど先に上がっていました。そのあとに発砲音が続きます。とても長いように思えるあいだをおいて、敵のランクルあたりに着弾しました。
 
「なんて遅い大砲なの。弾が飛んでくるのが見えた」と、桃子が口にします。
 エリカがまだ壊れていなかったカールツアイスの双眼鏡を取り出しました。
「あの格好はサンチョね。ヒロコーもいる。救援がまにあったのよ!」
 彼女が大喜びしました。ナナミンが双眼鏡を横取りしたあとで言いました。
「へんてこな、ちっちゃな野砲を撃ってる。あんなのどこから手に入れたのよ」
 
「喜ぶのはそれぐらいにして。みんな、まだ敵を撃退してない。この丘から追い落とさないと安心できない」と、桃子がたしなめました。
「ガルシア。信号弾は残っていたでしょう。それに近距離光通信器もあるでしょう。サンチョにすぐ連絡するの。取ってきて」
 ガルシアが工場の奥に走り、引き返してきました。
 信号拳銃は大丈夫ですが、発光器は壊れて使えません」
「まったくー。連絡がとれじゃいじゃないの。しかたない、青の信号弾を一発打ち上げて」
 梅雨時の暗い鈍色に垂れ込めた雲の底へ、真っ直ぐに青い信号弾が駆け昇ってゆきます。
 
 しばらくしてからサンチョらの歓声が、風に乗って渡ってきました。
「追撃よ。ゴンザレス! 動け! 残敵掃討よ。あんたたち麻薬カルテルのお得意のやつでしょ」
「ガルシア。砲弾の着弾が近づきすぎたら、すぐに赤の信号弾をあげるのよ」
「さあみんな。あと五十メールだけ歩けばいいのよ。前へ!」
 
 草むらやくぼ地に敵がひそんでいないか確かめながら、ゆっくりと丘陵上を北へ歩いて行きます。死体ばかりで生き残った敵はみあたりません。
 
 ちなみに桃子が口にした『近距離光通信器』とは、ヒロコーの全身に書いた暗号の中にも書かれていて、サンチョたちが救援に近くまできたら、不通の衛星電話や無線通信の代わりに連絡をとるためのものです。
 彼女は、仰々しく言っていますが、昔からある発光通信器のことで、光の点滅によってモールス符号でやりとりする原始的な信号灯にすぎません。着眼はいいのですが、桃子はサンチョらがモールス符号を使えないことを知りませんでした。
 
 六十メートルほど左横で砲弾が着弾します。桃子たちの頭上を越えたのです。ガルシアがすぐに赤の信号弾を打ち上げます。次は二発続けて、丘陵の登り口あたりで炸裂しました。
「へタックソな照準だわ。サンチョって砲兵出身じゃなかった?」エリカが貶します。
 丘陵の北の方で、銃声があがります。M4カービンの銃声で、散発的にAK系のそれも交じっていました。
 
 サンチョから黄色の信号弾が二発打ち上げられました。警告です。
 メキシコ人の小部隊が、丘陵のまわりで敵を撃退しているのでした。敵を砲撃で丘陵状から追い落として、桃子たちを開囲し、平地で敵を殲滅する作戦を立てていたのです。
 
「やっと終わった!」こう言って、桃子は銃やヘルメット、ボディーアーマー、ピストルなど身につけた重い装備を放り出し、工場跡に立ち戻ると大の字になりました。
 助かったという実感は未だ湧き上がってこないのですが、これで少し休めるという安心感だけはありました。
 
「桃子お嬢さま。そんな汚れたところに寝っ転がっていけませんよ」と、いうオフィーリアの小言が聞こえました。確かに聞こえました。
 彼女が生き返ったのかと、望みにすがり死体の方へ四つん這いで進みます。先ほど見たオフィーリアは、疲れ切った闘いの只中でみた幻覚なのだと信じながら……。
 
 オフィーリアの顔には薄汚れたハンカチが掛けられ、直視できない胴体の損傷部分は誰かのボディーアーマーで隠されていました。隣に、両手の紐を外した捕虜が座り込んでいます。彼も戦闘に巻き込まれながらも生き延びていたのでした。オフィーリアへの心遣いも彼がしたのかも知れません。
 
 ……慟哭どうこくという単語はこのときのためにあったのかというほど、桃子は哭き叫びました。オフィーリアにすがりつき、頬を頭に押しつけました。オフィーリアの胸に何度も頭を打ち付けます。
 
「これを」と、ガルシアが百日紅さるすべりおおきな紅い一房を、オフィーリアの胸にそっとおきました。
「残念です……」彼はこう言い、ラテン語で祈りの一句を捧げました。
 彼はオフィーリアとRPG潰しに出かけたとき、百日紅を、紅い樹頂を目標にしていたので、彼女は百日紅の花が好きなのも知れない。そうでなくても彼女にはこの花の色が相応しいと考えて、供えたのでしょう。
「ありがとう。綺麗な花」
 
 桃子はオフィーリアが薬指に指環をはめているのを目に留めると、抜き取りました。プラチナの婚約指環でした。刻んだ文字はとうにすり切れて読めません。桃子はそっとその指環を自分の右手の薬指に嵌めました。そうして百日紅を持ってきてくれたガルシアを見上げました。
 
 服装はボロボロで、あちらこちらに止血帯や包帯が巻かれていて、血がにじんでいます。服も顔も泥にまみれていました。
「なんて格好なの。どうしよもないぼろ雑巾よ」と、桃子はオフィーリアを失った悲しみを紛らわすためにも、軽口が必要でした。
「お嬢さんも同じですよ」
「……」
「それはそうと、ホセが見当たらないけど」
「戦死しました」
「エッ、あのしぶといホセが?」
「サンチョの砲撃が始まる寸前に、やられた。喉を貫いた一弾が致命傷です。顔を敵に向けたままの勇者らしい最期です」
「あと三分で助かったのに……」
「……」
 彼は、黙って首を横に振り、ホセの胸にも百日紅の紅い一房をおきました。
 
 サンチョが部下とヒロコーを率いて工場跡に入ってきました。
「遅れてすみません。被害状況はエリカから聞いています。早く引き上げましょう。ほかの者はすべて収容しました。警察なんかが殺到するとまずい。さあ、早く」
「オフィーリアとホセにお別れをさせて」言うと、桃子は直立不動の姿勢になり、見よう見まねで覚えた挙手の礼をしました。長い間そのまま……。
 猛き勇者にはこの礼が相応しいと考えたからです。
 
 サンチョも威儀を正した敬礼をし終わると、手近な部下三人に、「弔銃用意! 五発」(注2)とだけ命じました。
 いっせいに乾いた銃声が響きます。
 戦闘中の銃声は死の恐怖でしたが、この発砲音は悪霊を追い払い、二人の魂の道先を明るく照らすように乾いて明るく聞こえました。サンチョも、弔銃隊に号令をかけながらも、涙を流していました。
「丁重にあつかってね。それから捕虜は虐待しないで。もう終わったんだから」と言うと、桃子が膝から崩れ落ちました。

 ……
 桃子らは邸宅近くのお爺さんの影響力が及ぶ病院に運び込まれました。そこで桃子が知ったのは、全員が見かけ以上の重傷だったということです。ロドリゴが重傷なのは分かっていましたが、エリカやゴンザレスも銃創と出血がかなりありました。負傷を隠して闘っていたのです。そのなかで桃子が一番の軽傷だったそうです。

 ……
 三日後の朝、動けるようになった桃子は、メキシコ人や「元気なお兄さん」たちの警備の目を盗んで、院外の自動販売機へ『生茶』を買いに降りました。
 
 梅雨が明け、積乱雲が青空の一角を占めて猛々しく立ち上がり、蝉のこえがか喧しい盛夏が充溢していました。夏がやっと戻ってきました。
 ですが悲しいことに彼女は、取出口から冷えたペットボトルを取り出そうと、かがみ込んだ瞬間倒れ、自販機の角の出っ張りで頭を打ち付けたのです。
 そのまま昏倒しました。
 傷は裂傷で五針縫う重傷でした。全治一ヶ月の診断が下され昏睡は丸一日に及び、エリカたちを心配させました。
 
 原因はオフィーリアを喪った心痛、鎮静剤の影響、いや桃子お嬢さまはお酒を隠れて飲んで酔っ払っていた、などと推測されていました。

 (つづきます)



(注1) ロンボーン
 英国の片田舎の地名 エリカの出身地
 詳しくは、「登場人物の紹介ー「MIMMIのサーガもしくは年代記」ー」をご覧ください。

(注2) 五発
 弔銃の規定発射数を越えて発射し、哀悼を示した設定のため敢えて五発とした。

信号弾

信号弾 発射拳銃
発光信号機 但し、艦艇用



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