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「死ぬ気でやる/やれ」の精神的ヤバさとそれに代わるオススメフレーズ

 すっっげえ久々な投稿というか、もうほぼ初めてと言ってもいいくらいの二つ目の記事っすね。
こんにちは。琳堂ヤコです。みなさん息してる?深呼吸しなね。

 今回はね、「死ぬ気でやる/やれ」というフレーズについての考えと、それに代わる比較的健全な効果を持つフレーズについて書きたいなあと思います。オススメのものはちょっと物騒なフレーズなんだけど、人や生き物を対象としてないってことをここで予め宣言しておくね(笑)

そもそも「死ぬ気でやれ」ってなんやねん

 まああんまり今は聞かなくなったような気もしますが、まだまだ存在しますね、「死ぬ気でやれ」ってフレーズ。私は基本的に好きじゃないですね。だって大体このフレーズ多用する人って、自分にじゃなくて他者に向かって「死ぬ気でやれ」って用法使いがちなんだもん。ウザッ

 そもそもさ、「死ぬ気でやれ」ってなんなんですかって話なんですよね。
え?死ぬかもしれない勢いでやるの?死ぬつもりでやるの?それって自殺推奨っすか?くらいには思っちゃいます。いや、自分で思う分にはいいんだけどね、このフレーズを自分に使って健全にやってきてる人は「死ぬ気」までは本当はいってなくて、「この勝負に一発限りの最大限のエネルギーを込めて」くらいでやってるんですよね。
 私がここで言いたいのはですね、「死んだら元も子もねえじゃねえか!」ってことなんです。「死ぬ気」じゃなくて「最大限のエネルギーでやれ!」でええやんという。しかも「やれ」って……なにに対して「死ぬ」かは個人の勝手やろがいと思うわけです。

 特に、注意欠陥の目立つタイプのADHDは「ちゃんとやれ」の派生形で「死ぬ気でやれ」という言葉を浴びた人は少なくないんじゃないかなと思います。いや、死ぬ気でやったら脳の特性越えられるとしたら、お前も死ぬ気でやって目だけで机浮かせてみろやくらいの話なんです、極論。

 「死ぬ気でやる」ってのは、「この戦いで死んでもいい」くらいに本人が自発的に思える場で自分自身にかけるための言葉なんじゃないかと私は思っているんですよね。だから「死ぬ気でやれ」が大嫌い。こちとら毎日が「死ねる気」起きるくらいしんどいうわアホっていう話です。

「死ぬ気」でやり続けたらどうなると思ってんの?

 で、まあ発達特性持ちとかその他障害、精神病あたりを持ってる人って、実生活とかマジョリティーに合わせられた環境とかで生きていくと結構必死にならなきゃいけないこと多いんですよね。だから支援級だとか、障害者枠雇用とか合理的配慮とかも存在するわけで(合理的配慮については後日また書くわ)。

 既に必死にやってるけど、やっぱりいつも120%とかでやってるとすげえ疲れる。ていうか100%でも疲れる。典型的発達をした脳特性ができることに追いつくために必死になってやってたら、やっぱり生き物だし疲労もあるし取りこぼすことだって出てくる。一般的にも取りこぼしちゃうことってあるでしょ。
 そんななか、「死ぬ気でやれ!」って言われたら。「死ぬ気でやったらできる!」と斜め上の励まし(笑)をされたら。そのフレーズを自身の気持ちを無視して自分に言い聞かせながらやっていたら。

まあ、心身が死にます。だってずっと死ぬ気でやってたら死ぬやろ。死ぬ気でぶつかっていくときってだいたい短期決戦のときじゃないですか。
実生活とか普段の職場生活なんて長期戦なわけで、そこで死ぬ気使ってたら死ぬんですよね。
もう一回書いときます。長期戦である場で死ぬ気でやってたら死にます。

オススメフレーズ教えたるわ

 じゃあ「死ぬ気でやる/やれ」は「全エネルギーでやる/やれ」って言い換えればいいの?って疑問を持ってる人もいると思います。まあそれもいいと思う。でもなんか長いよね。ていうかフレーズ見ただけで疲れるよねなんか(笑)
 ここで私からおススメするのは、「殺す気でやる/やれ」というフレーズ。
冒頭でも書いたけど、人や生き物に対して言っているんじゃないよ。てかそんなこと言っちゃだめだよ。それじゃ他者に「死ぬ気でやれ」とか言ってる人と一緒だし。
 「死ぬ気でやる/やれ」って、まあ大体タスク(やるべきこと)に対して使われますよね。だからこの「殺す気でやる/やれ」も、タスクに対してのフレーズです。フレーズから受け取るイメージが違うのは各々感じるところかと思います。

でもなにが違うんだよこの2つ!

 まず「死ぬ気でやる/やれ」の問題点については前述のとおり、「マジで死ぬから」と書きました。特に長期戦の場や短期戦後に十分な休息が取れないなら本当にヤバい。我々は生き延びる方法を選ばなくちゃならないんです。なんで喜んでやりたいわけでもないタスクのために死ななきゃいけねーんだよ。だったら好きなことしながらぽっくり逝きてえわという人がほとんどじゃないですか?
 そして私の提案である「殺す気」について。お察しのとおり、これ、自分が生き残る前提がうかがえるフレーズなんですよ。「死ぬ気」は自分が死ぬかもしれないことを想定しているでしょ。対して、「殺す気」ってのはもう、相手(タスク)を殺して自分が生き延びることを目的としているフレーズなんですよ。

 「死ぬ気でやること」は、このためなら死んでもいいくらいにやりたいしやらねばならんと自発的に心から本来の自分が思う事柄です。
 「殺す気でやること」は、自分を不快にし、本来の自分がやりたいとは別に思ってない「やらねばならない事柄」です。

 だから、実生活や障害をカバーできるツールのない環境やらでの長期戦で生き延びるためには、「死ぬ気」より「殺す気」の方がおススメなわけ。
自分の目の前に立ちはだかる壁に死ぬ気でぶつかったらもうそれ死を感じちゃってるでしょ。殺す気でぶつかったら、粉塵晴れたあとに自分が立っているイメージですよ。
 上司でも友人でもどんな関係でもさ、励ましたいなら「タスクを殺す気でやれ!」くらいにしてください。特に、なにもせずサボって見えるADHD当事者は、状況に頭が追いついていないか、やりたくないことをやらなきゃいけない状況への拒否感で動けなくなってることが多いので。

精神論について

 特に若い世代である10代の方たちは、「精神論」嫌いな人が多そうだなあと想像してます。まあ他の世代にも結構いるとは思うんですけど。
 私は精神論自体は悪いものじゃないと思っています。気高い精神とかあるでしょう。だから、精神論というもの自体が悪いものではないと思います。
 ちょっと小難しく漢字を並べると、「死ぬ気でやる/やれ」を長期戦において、もしくは非自発的に用いることの問題点は、そのフレーズが困難な問題や課題や目標に向き合いつつも、生きながら解決する方法を導く模索を支えるイメージを持ちにくいことにあります。
 そして前述したとおり、オススメフレーズ「殺す気」は、生き残ることが前提になっています!

最後に

 ここまで2300文字超え、読んでくれてありがとネ。
「殺す気」とか物騒なこと書いたけど、実は他の方法もある。
それは、「壁に沿って歩く」こと。
 立ちはだかる壁を殺す気でぶん殴って壊せるときもあるけど、そもそもそんなエネルギーがなかったり、そもそもマジで壊すのは無理な壁もありますよね。
そんなときに試してほしいのが、壁に沿って歩いてみることなんです。
 「その壁、壊さなくても他の道があるかもよ?」
こういうことです。

じゃ、そろそろマジで寝るわ。おやすみお前たち。

琳堂ヤコ

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