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ホットケーキが食べたい ~ショートショート~

 ホットケーキが食べたい。不意にそう思うときがある。



「なんで! なんでできないの!」
 ヒステリックに怒鳴る上司。泣いている後輩。後輩は私の1年後に入社して、私も色々と面倒を見てきた。
「これもう全部やり直し! 今から! 今もう14時でこの資料は16時には提出しないといけないの! どうすんのよ!」
 わんわんと響く声ではないけれど、きんきんと頭にくる声で、同じ島で少し離れたところに自席を持つ私にも、その声は聞こえた。そんなにスケジュールがタイトなら、喚く前に仕事を割り振ればいいのに。
 後輩はただ泣いている。誰もみな、見て見ぬふりだ。触らぬ神に祟りなし、といったところだろうか。小さく息を吐いて、席を立った。
「前島さん、それ急ぎ案件なんですよね。手伝いますので指示ください」
 突然割って入った私に、前島さんは怒った顔をそのまま向け、後輩はおずおずと顔を上げた。目が真っ赤で化粧もはげている。その様子だと仕事を任せる方が不安だ。
「斉木さん? これ、笹山さんの案件なんだけど」
 前島さんは課長で、笹山さんも私もその部下だ。部下にどう仕事を采配するかは、前島さんの権限で判断できるはず。
「今叱責するよりも、案件を無事終えた後でフィードバックする方が効率的なんじゃないでしょうか。私、今なら手が空いてるので時間取れますし」
 私にも私の業務がある。定時に帰りたいという希望もあるから、早く判断してほしい。
 前島さんの眉がピクリと震えた。私の言葉選びに腹が立ったのかもしれないが、それは知ったことではない。
「――っ。じゃあ、斉木さん、これとこれ、修正お願い。データはこのフォルダに入ってるから」
 それでも私に指示を出す前島さんに私は、承知しました、とだけ返して作業に取りかかった。別の島の人間がひそひそと話す声が聞こえる。

「え、態度偉そうすぎない?」
「役職もないのに、あんな意見する~?」
「しゃしゃり出すぎ~」

 ――聞こえてるっつうの。ここには仕事しに来てるんだから、態度云々に陰口たたくんじゃなくて、生産性のあることしろよ。
 そんな台詞は胸の内に留める。さすがに今ここで反撃するつもりはない。
 暇ならお前らもやれよ、とは思うけれども。

 資料はきちんと時間までに仕上げて、定時に退社した。文句は言わせない。そのために私は、能率的に仕事を回している。


 会社の入ったビルを出て、まだ明るい空を見上げた。
 早く帰ったとて、やることがあるわけではない。会社で納得いかないことを指摘して針のむしろになったとて、見返りがあるわけではない。生産性を最優先して業務を遂行しても、感謝されるわけもない。
 なんのために、こんな優しくない世界で生きているのか。何も考えず、のほほんと過ごしていた頃が懐かしい。
 きっとストレスが溜まってるんだ、と思う。ストレスと言えば甘いもの、という単純な発想でスーパーのデザートコーナーを覗くけれど、太るし身体に悪いしなあ、と考えて結局サラダを買う。


 子どもの頃、休日のおやつと言えば、リビングの机の上にホットプレートを置いて、そこで焼いたホットケーキだった。母が次々に焼いてくれるそれを、出来あがったそばから妹と競うように食べる。熱々のホットケーキは、いびつで薄っぺらくてほんのり甘くて、蜂蜜かバターを付けて食べるのも美味しくて、いくらでも食べられた。身体にいいとか悪いとか、考えなくてよかった。

 
 スーパーを出たら、空は既に薄暗くなっていた。そんな空を、ちょっと見上げる。
 お母さん、またやってしまったよ。また、自分の勝手で人のテリトリーに口を出して、結局叩かれたよ。間違ったことをしたわけじゃないと思うんだけどね。正義って人それぞれだよね。



 家に帰ってサラダを食べながら思う。
 ホットケーキ、食べたいなあ。


ーーーー
わんこそば式にホットケーキを食べる。
またやりたいけど、この歳ではちょっときついのかな。(笑)
ホットケーキって、日本独自の言い方らしいですね。

 
 

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