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曖昧の一幕 ~ショートショート~

「なんや、まだ2合目くらいやん」

 目の前に来るなり、俊哉はそう言ってちょっと笑った。
 私は一瞬きょとんとする。2合目? 私今ワイン飲んでるんですけど?
 それが、日本酒の量を指すのではなく、登山に例えてなのだと分かるまでに2秒ほどかかった。
 その間に俊哉は空いた椅子に腰を下ろす。
 先ほどまで、私は友人と飲んでいた。既婚者である友人は、「旦那が待ってるから」という私にとっては羨ましさしか生まれないような理由で、終電よりも早く帰った。夕方からスタートしたふたりの飲み会は、二軒目を出たところだった。

 飲み足りない。

 私の脳内を占拠したのは、欲求だった。だから、手当たり次第連絡した。その連絡に引っかかったひとりが、俊哉だ。
 けれど、俊哉に送ったメッセージに既読は付いていない。怪訝に思って目の前の端正な顔を見る。気だるげな黒目が見返した。

「なんや」
「いや、なんでここおんのかなーって」
「金土はだいたい飲み散らかしてるやろ。おるっていうたらここやん」

 ほどよく酔いの回った頭では、俊哉の台詞の主語が私なのか俊哉本人なのか判然としない。それでも、それを追求しようという気は生まれなかった。

「さっき2合目って言うたやん?」
「うん?」
「私の何合目まで知ってるん?」

 ハイボールを一口含んでから、俊哉はこちらに向き直った。

「うーん、6合目? いや、7合目までは知ってるかな」
「ふーん。ほな私まだまだ大丈夫やな」
「うん。まだまともに喋れてるからな」

 と、いうことは、まともに喋れていないこともあるということか。まあ7合目までいっていたらそうだろうな、と得心して杯を進める。
 私たちの間に乾杯はない。いつもなんとなく、それぞれに杯を重ねている。
 
 取り留めのないことを話す。私はお酒は進むと何度も同じことを話すから、俊哉は「それ聞いた」と言いながら笑う。

 そのうち、私が声をかけていた別の友人ふたりが到着して、席は賑やかになった。自然、私と俊哉での会話は少なくなる。近況を話すのは、もっぱら後からやってきた賢人と牧。この図も、だいたいいつも通りだ。


 やがて酒に弱い牧が潰れて、賢人がそれを介抱しはじめた。賢人自身も酔っ払いなのに、ご苦労なことだと思う。私も俊哉も、介抱というものをあまりしない。私は相手によってすることもあるけれど、どうやら俊哉は本当にやらないしやったこともないようだ。
 その間に、私はワインを三分の二ほど空けていた。これもだいたい、いつものペース。
 呂律の怪しくなった口調で、牧の弱さを冷やかす。性格の悪いことである。俊哉は、もっと飲め、などと言って煽っている。これもまた性格が悪い。

「もー、あかん、寝るわ」
 賢人の言葉で、賢人と牧がはける。まさに、嵐のような二人組であった。

 私ももうだいぶ気分がいい。飲み足りないのも落ち着いた。
 ふわふわとした頭で、もうお開きにするかーと考える。時刻は丑三つ時。まだ眠くはないけれど、いい時間だと思う。

「俺さ」
 俊哉が口を開く。んー、と緩い返事をしてその目を見る。
 俊哉はいつも、瞬きもせず私を見る。私もそれを見返すけれど、ドライアイのせいで瞬きをしてしまう。
「もうなんか、セックスしたいって欲なくなってさ」

 私は目を見開く。それでも口は勝手に開く。
「え、なにそれ、歳なん?」
 語尾に笑うのも忘れない。まるでプログラミングされた反応。

「やー、もうほんまに欲がない。どうしたんやろな」
 そういう俊哉に悩んでいる様子はないし、答えを求める様子もなかった。私はグラスに目を落とす。あと1杯飲もう。

 そこから、何を話したのか記憶はない。たぶん、いつも通り無難に会話をしたんだろう。
 部屋に戻ってから、俊哉の目が、その台詞が脳内を占拠した。



 今日、私は用済みと伝えられたんだろうか。

 だって私は最初から、彼の『そういう相手』だった。
 仕事の話もする。プライベートの話もする。身体を重ねない夜もある。何なら最近はその方が多かった。
   それでも、そうだったのだ。


 私は今日、終止符を打たれたのだろうか。
 ふうわりと始まった関係は、こんな風にふうわりと終わるものなのだろうか。



 私のこと分かってるって顔したくせに。目を見詰めて笑ったくせに。
 こんな仕打ちあんまりだ。



 せめて最後にもう一度、キス、して欲しかったなあ。


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パンジーの花言葉は「私にキスして」。

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