マガジンのカバー画像

【ものがたり】ショートショート

60
短い物語を。温かく見守ってください。修行中です。
運営しているクリエイター

#短編

あちらとこちら、夢のまた夢 #月刊撚り糸

 僕から見て、彼女はいつも『あちらに行ってしまいそう』な人だった。あちらってどこかだなんて訊かれても答えられない。とにかく、ここじゃない、もう二度と会えない、そんなところだ。  はじめて彼女に会ったのは、僕が新卒で入った会社を燃え尽き症候群で辞めたばかりのころだった。もうなにもやる気がしなくて、なにもできる気がしなくて、残業のおかげで貯まる一方だったお金を頼りにひたすらぶらぶらしていた。食べることにだけはやる気を見出せたから、その日も僕はずっと気になっていたお店に出向いた。

薔薇とラベンダーとブルースターと #月刊撚り糸

 花屋というのは、よく目にするし香りも主張する割に、日常的に立ち寄る場所ではないというのが一般的な見解ではないだろうか。最近の若い人について言えば、個人で営まれている花屋で花を買ったことのある人の方が少ないくらいだろう。大手のスーパーにはだいたい花屋が入っているし、わざわざ町の個人店に行くほどのことはない。  志摩子(しまこ)が働く『グリーンゲイブルス』も同様で、長くの常連さんが訪れる他に客足はほとんどない。店主の槇笠(まきかさ)は花屋一筋でやってきた63歳だが、営業活動を一

【あとがき】無花果の愛

 初めて5000字を超える小説を掲載した。いつも投稿している『ショートショート』のジャンルは800~4000字のものを言うらしい。なので今回は『短編小説』とくくることに。  せっかくなので、あとがきを書いてみようと思い立った。ネタバレというか解説を含むので、本編未読の方はどうか本編を先に読んでいただきたいです。 +++  愛の形ってなんだろう、そう考えたのがはじまりだった。かつては見合い結婚の時代であったし近年は恋愛結婚の時代であるが、その様相もどうやら変化しつつあるらし

無花果の愛|短編小説

 かぐわしい食べものの香りと、人々のさざめきに溢れた空間。温かみのある木でできたテーブルと椅子。男が初対面の場に選んだ店はまさに、ムードがある、と言うに相応しいところであった。その男がお手洗いに立ったタイミングで、溜まった通知を消化しようと千晃(ちあき)は自身のスマホを手に取る。顔認証で画面を開き、その瞬間目に飛び込んだ文字に思わずえ、と声を漏らした。 ――今日なにしてるーん?  少し考え、一旦未読のまま放置して他のメッセージに返信を送ることにする。その作業を終えてちらり

やさしい人 #やさしさにふれて

 やさしい人ね、とよく言われるけど、僕はその度に困って曖昧に笑うんだ。だって僕は、全然やさしくない人間だから。 ***  小学生の頃、まあありがちだけど、僕はいじめられていた。痩せてメガネをかけていたから、っていうのがきっかけだったんだと思う。中学生になっても、一部でそれは続いた。だってほとんど同じ小学校から来てたんだもの。だから僕は息を殺して生きていた。  変わったのは高校生になったときだ。だれも僕を知らない環境に行きたかったから、同じ中学から志願者がいない高校に出願

それで君は幸せになれるの? ~ショートショート~

「またあかんかった!」  電話口の友人は今日も元気だ。私は見ていたアニメの音量を下げて、彼女の話に耳を傾ける。どうやらまた、男とうまくいかなかったらしい。 「またかよ~。ほんまあほやな」 「もういやや! なんでどいつもこいつもこうなんの!」  喚くくらいならやめればいいのにと思う。彼女はいつもいつも、だいたい同じ経緯でだめになっているのだから。だから私は笑いながらそれを指摘する。 「すぐヤるからやん?」 「いやだってまあ、楽しいし、求められたら嬉しいやん?」  返答に苦笑いし

不幸だなんて誰が決めたの ~ショートショート~

「またあかんかった!」  叫んだのは、私。26歳のいい年した大人が自宅で電話に向かって喚いているわけだ。電話の向こうにいる10年来の友人は、私の台詞に苦笑を返してきた。 「またかよ~。ほんまあほやな」 「もういやや! なんでどいつもこいつもこうなんの!」  私はつい先日の合コンで会った男と、いわゆるイイ感じになっていたところだった。ところがそこで、ぷっつりと連絡が途切れて、今に至る。  男にフラれて、――フラれるほどの仲にもなっていないのだけれど――、とにかく関係が駄目になっ

曖昧の一幕 ~ショートショート~

「なんや、まだ2合目くらいやん」  目の前に来るなり、俊哉はそう言ってちょっと笑った。  私は一瞬きょとんとする。2合目? 私今ワイン飲んでるんですけど?  それが、日本酒の量を指すのではなく、登山に例えてなのだと分かるまでに2秒ほどかかった。  その間に俊哉は空いた椅子に腰を下ろす。  先ほどまで、私は友人と飲んでいた。既婚者である友人は、「旦那が待ってるから」という私にとっては羨ましさしか生まれないような理由で、終電よりも早く帰った。夕方からスタートしたふたりの飲み会は

悪趣味な ~ショートショート~

「ねえ。あたしといて、シアワセ?」 カレは答える。 「幸せだよ」 真っ直ぐに、あたしの目を見て。 カレはいつも素直に、率直に、あたしに答えをくれる。 微笑みかけて、唇を合わせる。 その勢いのまま身体を重ねる。 カレとのそれは、いつも最高に甘くて、あたしは何度も悦びに啼く。 そしてお互い満足して、脚を絡めて眠る。いつものルーティン。 眠りに落ちたカレの傍からそっと抜け出す。 「さようなら」 と、声に出せないまま。 終電はもうない。 タクシーを拾って、その中でひっそりと