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中国の自由、日本の不自由

意外に思われるかもしれませんが、中国では「中国人って自由だよな」と感じる瞬間があります。

今回は、そんな中国で感じる”自由”と、日本が抱える”不自由”について考えてみたいと思います。

なお、今回の内容は、私自身の体験の中で得た感想をまとめただけのものであり、客観的な研究や調査を経たものではございません。団体の意見を代表するものでもありませんので、ご批判やご意見等は個人宛にお願いします。

1.中国にある自由

広州のような大都市では、昔に比べると随分マナーが向上したと感じます。地下鉄は行列を作って電車を待っていますし、信号無視も、横断歩道以外の場所での横断も減りました。エレベーターに乗り込んだ中国人が話を控え、大勢の人がシーンと静まり返ってしまったりすると「ここは日本か?」と思ってしまう程です。

ただ、それも、まだ大都市に限ったこと。地方都市、それも発展の遅れた地方に行けば行くほど、昔の中国にタイムスリップした感覚になります。

まず、公共交通機関の車内がうるさい。これは、高速鉄道でも、普通の鉄道でも、あるいは公共バスでも同じです。

電話の着信音は基本マナーモードではありません。あちこちで電話の着信音が鳴り響きます。電話が鳴るとその場で会話が始まります。他にも、イヤホンも付けずに音量全開でドラマを見ている人がいます。車内販売が大声で通路を行き交います。子供が大声で泣き続けています。大声で言い合う男女の声に目を向けると、狭い座席で横になり上半身を男性の膝の上に乗せて足を窓に放り出した状態の女性が、男性に向かって何やら怒っています。

街中でのマナーも、なかなかのものです。

あちこちで「カァー」という音がして、ペッペッと痰を吐いている人がいます。車の窓が開いたかと思ったら、ゴミを放り出す人がいます。歩きスマホ、歩きタバコは当たり前。子供はその辺の水溜りにおしっこをしています。会話の声は大きく、あちこちでクラクションが鳴ります。行列に並んでいても割り込もうとする人がいますし、窓口は声が大きい人が優先されます。

駅を出ると宿の客引きがたくさん寄ってきます。タクシーは相乗り。メーター使わずに料金をふっかけられます。運転手はお客そっちのけで熱心に電話をし続けています。レストランでは、昼間から酔っ払い客が大声をあげています。観光地では平気で単価の高い観光客用メニューを出されます。路上で麻雀をやっています。野良犬が歩いています。ゴミが散乱しています。驚くほど汚いトイレが存在します。開け放った民家のドアの向こう、床にしゃがみ込んで食事をしている人がこっちを見ています。下着の洗濯物が堂々と道路に並んで干してあります。

もちろん、全てがこのような状態ではありませんが、時折こういう風景に出会うと、ある種のノスタルジックな感情と共に、こう思うのです。

「あぁ、中国って本当に自由だよなぁー」と。

2.日本における不自由

でも、なぜこれを「自由」だと感じるのでしょうか?

これには、私自身の日本人としての習性と切っても切り離せないものを感じます。

上述した中国の地方都市では、各人は法律で禁止された違法行為を行なっている訳ではありません。もちろん、日本でも違法ではありません。しかし、我々は普段、公共の場で携帯の着信音を鳴らしてしまったら大慌てで音を消しますし、痰は吐かず、行列には整列し、ゴミ箱が見つかるまでゴミを持ち歩き、灰皿が見つかるまでタバコを我慢し、野良犬がいたら役所に連絡し、外から家の中を見られるのは嫌だし、麻雀は雀荘でするという生活をしています。

こうした中国の地方都市で見られる光景は、あるいは、日本でもかつて見られた景色なのかもしれません。しかし、日本人は、誰に強制される訳でもなく、こうでない社会の方が良いと考え、特に罰則がある訳でもないのに、自主的に自分勝手な行動を控え、何となくそんな同じ価値観がじわりと全国に浸透しているのです。

これは、どちらが優れた社会か…、という話ではありません。私自身は日本人なので、そうした社会を当たり前の事として過ごしてきたというだけのことです。

しかし、中国の地方都市に赴き、一見生きたいように生きているように見える人たちを目にすると、彼らに対して「自由に生きているな…」と感じるとともに、自分が普段日本で行なっている振る舞いが、知らず知らずの内に様々な制限を受けているものだということを実感するのです。

3.人の目に関する日中比較

では、日本人はなぜ、ここまで自主的にマナーを遵守するのでしょうか?

個人的には、やはり「人の目」が気になるからです。他人に迷惑をかけ、他人から白い目で見られたくない、という思いがあります。この時の「他人」は、「知らない人」を含みます。全然知らない人に対して「自分はマナーが悪い奴と思われたくない」という気持ちが働いているということです。

これに対して、(地域や個人間で差はありますが)中国人にとって、知らない人の視線はあまり重要ではないように思います。人口が多く、文化も多様な中国では、知らない人と自分が同じ価値観を共有しているという感覚が、日本人ほど強くありません。他人は他人、自分は自分、という意識の方が強いのです。

そのため、側から見ていると、中国人は日本人より自己肯定感が強いように感じます。何かについて意見を求めると、はっきりと自分の考えが返ってくることがほとんどです。セミナーの質疑応答の時間になると、職位や年齢に関係なく手が上がり質問が続きます。少なくとも「自分なんかが手を挙げて場違いだと思われないだろうか?」といった発想はなさそうです。

また、それぞれが自分の考えのもと、自信を持って生きようとしているように見えます。例えば、就職活動の履歴書には、自分の素晴らしい経歴と、恥ずかしいくらいの美辞麗句が並びます。「言わぬが花」では、誰にも気づいてもらえない恐れがあるのです。そのため、社会には色んなタイプの人が存在しますが、文化やライフスタイル、それにまつわる考え方の多様性は大前提として受け入れられているように思います。

もちろん、ここには彼らなりの葛藤や人付き合いの難しさもあるのですが、そのポイントは日本人と異なっており、少なくとも「知らない人の視線」について考慮する比重はかなり低いように感じます。そのため、日々、他人からどう見られているかを気にしながら生きることに慣れた自分から見たら、その開放感を「自由」と感じてしまうのです。

或いはこれは、中国に限らず、外国に出て行った日本人が共通して感じていることかもしれません。人の目を気にしないということは、自分の行動を決める要素が自分の意思に委ねられているということ。自分がやりたいことに忠実に生きる。皆がそんな生き方をしている社会が良いか悪いかということはさておき、日本人として、時にはそんな環境に身を置き、他人の視線から解放されながら、自分自身と向き合う体験をしてみるのも決して悪いことではない。そんな風に思うのです。


《 ライチ局長の勝手にチャイナ!vol.20 》

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