「できれば普通の家庭で育ちたかった」

こんにちは、ヨウです。


今回のテーマは、「葛藤」です。

タイトルにしている言葉は、先日、ジェイと対談させていただいたときにふと出てきた言葉です。私はとても共感しました。しかし、施設で良かったな、という面もあります。そんな複雑な心境を書きたいと思います。

↑ 2020年8月24日に対談をしました。他の会もありますので、良かったらご覧ください。



「普通の家庭」を知らない

私たち児童養護施設出身者は、当然のことながら「普通の家庭」を知りません。虐待を受けていたり、育児放棄されたりしていて、世間一般でいうところの家庭を知りません。

いや、正確に言うと「普通の家庭での生活体験がない」ということです。テレビやアニメ、小説や漫画で「普通の家族」のことは知っていますが、それは妄想空想の中での話であって、当たり前の光景だということにピンとこないのです。

私たちは、「普通じゃない家庭」で育ちました。だから、施設外の普通の家庭のことが、どうも超スーパーエリートが築いた最強の家族だと思ってしまうのです。



虐待から救われたことには感謝している

ただ、私たち自身、「施設に助けてもらっている」ということは理解しています。虐待という劣悪な環境から社会が救ってくれているということについては、ほとんどの子が理解して、心の奥底では感謝しています。


ただ、親が原因で不遇を強いられているという現実に対して悲観的で、時にそれが暴力や暴言、不法行為や逸脱行為として表出してしまうのです。本当は、たくさんの人に認められたいだけなのですが、いかんせんこういう成育歴ですから、それを上手に伝えることができないのです。

「自分のせいではない。親のせい。」という他責の念(いや、実際はその通りなのですが…)のせいで、世界がゆがんで見えたり、受け取った言葉を素直にキャッチできない時があるのです。



「家庭」は虐待の現場であるということ

ジェイは、「施設と養育里親だったら、どっちがいい?」と尋ねると、すぐに「施設がいい」と答えました。それは、「家庭そのものが、虐待を連想させるから。」とのこと。

ここで私はハッとさせられました。

厚労省は、子どもに家庭的養育を与えようと努力しています。そういう個人的なかかわりから愛情を注げるような仕組みを作るために、児童福祉に関わる多くの方々が様々な取り組みをしてくださっています。それにはとても感謝しています。

しかし一方で、「家庭」という場所が、虐待を連想させてしまうことがあるのだということにも気づかされました。家庭で暴力や暴言を受け続けた子どもは、似たような環境に置かれると、その状況を思い出してしまうのです。それを客観的に見ることができる人もいるかもしれません。大人になり立場が変われば、考え方も変わるかもしれません。それでも、虐待を受けた経験自体が、虐待を連鎖させるきっかけになる可能性は大いにあるのです。


私もジェイも、虐待を受けていました。しかし、私たちは社会的養護に救われ、虐待は間違っているということを周りが教えてくれました。そして「虐待は連鎖する」という知識を得ていて、それを繰り返さないように福祉や教育を学んでいるからこそ、そうならないような努力ができているのです。

でも、そのことを学ばない、学べない、学ぼうとしない人も大勢いることでしょう。それが、昨今の虐待死の事件につながっているのかもしれません。



成育歴が考え方に反映される話

少し脱線しますが、私は母子家庭で育ち、母が精神疾患を患っています。そのためか、母子家庭で子育てをしている方に、ひどく同情して心配してしまうのです。「1人で育てるのって、大変ですよね。」「無理はなさらずに、頼れるところに頼った方がいいですよ。」とお節介な言葉を言いたくなります。

もちろん、そういう考え方が児相の仕事で生きたことはたくさんありました。その母親が何で困っていて、どういうニーズがあるのかを想像して、的確に支援することができたと思っています。そういうメリットはあったと思います。

ただ、逆を言えば、「虐待をしてしまっている母親」にも同情的になってしまうというデメリットもあります。ですから、そういう「私の過去」を連想させるような方と出会ったときに、強い言葉で虐待を咎める自信がなかったのです。児童福祉司としてあるまじき行為だと思っていました。とにかくそういう状況で強い言葉を使わなければならない時は、本当に心苦しかったのです。



少し脱線しましたが、話を戻します。

スタート地点から「普通の家庭」にいたかった

結局、私とジェイにとって「施設で育ったこと」がプラスになった反面、「最初から普通の家庭で育ちたかった」という思いが残っていることが分かりました。

確かに、自立していく中で、施設で学んだ自立のための指導は役に立っています。そして、施設にいたからこそ貰えた経験や支援もたくさんありました。施設にはとても感謝しています。

それでもどこかに「普通の家庭で育ちたかった」という思いを抱えたまま、私たちは生きていかないといけないのだと、悲観的かもしれませんが思ってしまいました。ジェイとの対談で、たくさんのことに気づかされました。



終わりに ~過去は変えられない~

世の中の多くの成功者は、過去の失敗を糧にしたり、辛い経験をバネにし足りしながら努力を続けていました。逆境に立たされても、「前を向いて」頑張ってきたから、社会で大成することができているのです。


世の中のほとんど人は、葛藤や困難を抱えて生きています。虐待もそうですが、難病がある、マイノリティである、というものもあくまで一例に過ぎません。家族、友達、恋愛、スポーツ、仕事、お金、見た目、夢、権力…。何に困難を抱えているのかは人それぞれで、その大小は測ることができません。しかし、誰しもが何かしらの「負の感情」を持っているのです。誰しもが「負の感情」を持っているからこそ、この世に自己啓発本が溢れているのだし、宗教を必要としている人が大勢いるのです。

「前を向いて歩く」というのは、成功するための言葉です。成功するためには、過去にとらわれずに生きなければなりません。しかし、そんなことが全員が全員できません。私だって、いつでも前を向いて、なんて難しい。


だから私は、前を向けない時は、足元を見るようにしています。これは、自分が「今立っている」ということを確認する作業です。

私は、基本的にコンプレックスの塊です。見栄っ張りで強情なところがあるし、思い付きで突拍子もないことをしがち。計画性はないし、変な自信とプライドが失敗を呼び寄せる。それから、自分の荒れた肌は大嫌いだし、くせの強い前髪は毎日アイロンで必死に伸ばしています。色白で痩せた頬は、病弱な印象を与えるし、食べても食べても大きくならない体は極力露出しないように努めています。自信がありそうに見せるのも、自分の不甲斐なさを隠すためであって、本当に自信があるわけでもありません。裏で恥ずかしいくらいしょぼいレベルから調べています。とても内向的な性格です。

ただ、私は五体満足です。妻と子どもがいて、大した仕事はないものの、少しだけ勉強ができる。ギターを弾きることは尊敬されるし、優しい性格だと褒められることもある。私が大嫌いな痩せた体も、見る人によっては「スリムで羨ましい」と言われるし、それ以上に、私は他人に容姿や性格を批判されることが少ないのです。そう、私はとても恵まれているのです。育つ環境には恵まれなかったものの、今の自分には多くの「財産」があるのです。


前を向いて進む、なんて偉そうなことを成し遂げていない私なので、私の経験から言えることは何もありません。しかし、「今、生きている」を確認するために、私は足元を見ます。足元を見ると、そこには地面があって、固い地面の上に自分の足があって、その足が自分の体や頭や心を支えてくれていると思えば、なんかとりあえず「あー生きてるなあ。」って思うし、それで別に幸せだとか不幸せだとか測る必要はなくて、あくまで自分は自分でって思える。過去は変えられないけれど、自分はなんだか生きてるっぽいって確認できればいいやって思っています。



結局何が言いたいのかというと、何を言っているかわからなくなってきたので、この辺で終わりたいと思いますということです。駄文失礼しました。



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