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大学生に聞かれた「なぜ教師?」

こんにちは、ヨウです。


今回は、私の母校である大学でお話をしに行った時の話をします。


「ヨウ君が学校の先生だったら…」

私が教員を目指した理由は、とても単純な理由です。

児童養護施設にいたとき、私は小学生に勉強を教えていました。理由は簡単で、その時間ヒマだったからです。なんとなく職員さんと一緒に小学生が勉強しているところに紛れ込み、わちゃわちゃと宿題か何かよくわからないプリントやらドリルやらをしていました。

その時に、当時小学校3年生の男の子とこんな会話をしました。

「ヨウ君さ、なんでそんなに楽しそうなん?」
「いや、そうかな? 別にいつも通りだけど?」
「ふぅーん。なんかさ、ヨウ君が学校の先生だったら、たぶん学校楽しいと思うんよね。」
「そうなん?」
「うん。なんとなく。」

当時、私は高校1年生の冬。文理選択やら進路選択やらを迫られていたにもかかわらず、夢や希望は皆無で、将来のビジョンなんて全く何も見えていませんでした。

そこでこんな会話があったので、第1希望の欄に「教育学部」と書いたのです。で、小学生に言われたので、小学校教員と。

「憧れの先生とかいる?」と聞かれて、いません、と答えた時の担任のポカンとした顔。教員を志した人にとっては珍しいタイプだと思います。


「なんとなく教育学部」と正直に申し出た大学生

そんないきさつを大学で堂々と話す私も私ですが、これを聞いて、質問をしに来た大学生がいました。

「どうやってモチベーションを保っているのですか?」

どうやらこの学生さんも、偏差値と”なんとなく”でこの大学を選んだようでした。わかるわぁ~。


仕事さえ遂行できれば

私は、とりあえずその気持ちめっちゃわかるよ、と伝えたうえで、簡単にこう答えました。

「仕事さえきちんとこなせられれば、仕事は続けられますよ。僕は、授業でいろんな教育方法を試すことが好きだし、そのフィードバックが即座に受けられるこの環境好きです。それは、現場で見つけた楽しみです。まあ、子どもが好きでなくても、学級経営が素晴らしい先生も結構いますし。もし教員になるのなら、仕事さえしっかり遂行できれば、別のところで楽しみを見つけられるだろうし、続けられますよ

その大学生は、ありがとうございます、と一言言って、去っていきました。



何が正解かはわからない世の中

考えてみれば、モチベーションがなければ仕事をしてはいけない決まりなんてないし、逆にモチベーションがあっても仕事が続かない人も大勢いるわけです。

したがって、どうやったら続けられるかとか、モチベーションはどうだとか、その個人で適当な解を見つけていくしかないのだと思います。もっと言えば、その道を選ぶからといって、そこに明確な理由はなくたっていいのです。

自分では向いていないし、適性は高くないと思う職業でも、周りから見ると「向いてるね」と思われることだってあるわけだし。

だから、一度やってみて、それで考えたら良いのではないのでしょうか?

変な話、教師になったからと言って、一生続けなくても良いんですよ。

まあ、そうやって脱線してみた結果、最初に進んだ道が正しかったと気づくことだってあるわけですよ。

↑こんな人もいるんで。笑


なんとなくでも成り立つことは多い

私の短い人生の中で、上手く行ったことと行かなかったことがあります。

その中で、意外や意外、一生懸命考えてやったことが上手くいかなかったことが多いんです。適性だとか、合理的だとか、自由だとか、儲けだとか。無い頭捻りまくって出した結論ほど、予定通り行きません。そしてそれがダメだと気づくショックも大きいし。

むしろ、直感で「これ楽しそう!」と選んだ道が案外上手くいくもんで。そして、それでミスった時は簡単に方向転換できるもんで。

だったら、あんまり深く考えず、目の前のことを楽しんだ方が、意外に幸せなのかもしれません。

ただし、お金をかけない方法で!笑


今やるべきことは

とにかく目の前。今やるべきこと。それを頑張りましょう。宿題とか、レポートとか、仕事とか、家族とか。そんな感じで、さっさとこのブログを閉じて、明日に向けて、ご飯食べて風呂入って寝ちゃいましょう!

お互いに、細く長く生きていきましょうね。


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