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救われたければ、学べ

こんにちは、ヨウです。最近更新が滞っていますが、音声配信にハマっているためです。ご容赦ください。


皆さんは、今まで何を学んできましたか?


と問われると、「学校での勉強?」「資格の勉強?」「コミュニケーション?」「人間関係?」と首をひねると思います。皆さんが思い浮かべた何かは、おそらく”学び”と言って間違いない内容でしょう。

私たちは、たくさんのことを学びながら成長し、大人になっていきます。その中で見聞きしたことをもとに、自分の考えや意見を紡いでいるのです。多くの知識や経験を材料として、自分の好む形に料理することが、”学び”なのです。


そんな、皆さんが当たり前にやってきている”学び”について、私の経験をもとにお話しさせていただこうと思います。人生論を語れるほどの年齢ではないかもしれませんが、他の方とは一風変わった経歴の私だから話せることがあると思っています。


しばし、お付き合いください。



18の時に、一人暮らしを決意した

私は、児童養護施設から国立大学に進学しました。

当初、大学の学生寮に住んでいたのですが、自治寮だったことから、とにかく寮の仕事が多かったのです。そのため、アルバイトに割く時間が取れずに悩んでいました。

1人暮らしよりも断然寮費は安かったので、それに越したことはありませんでしたが、集団生活とそれに伴う付き合い、そして自堕落な先輩からの誘いなど、私の大学での学びを阻害するものも多く存在していました。18歳の冬、私は一人暮らしをしようと決心したのです。



救ってくれる身内は少ない

未成年が賃貸物件を借りるときは、「親権者の同意を得ること」と「保証人をたてること」が必須でした。

私の母親は、精神疾患で障害者年金と生活保護で暮らしていました。そのため、「同意をすること」はできても、「保証人になること」は不可能だったのです。

私は、母を通じて、親族(母の姉の夫に当たる人)に頭を下げ、保証人になってもらうこととしました。借りる予定のアパートが月3万円という値段だったので、了承を得ることができました。

賃貸物件の契約のため、私は年末年始に地元に戻り、母と親族の方のところへ回り、嫌で仕方ない親族の集まりの場へ顔を出し、ニコニコ愛想を振りまいて過ごしたのです。帰りの特急電車の中で終点まで爆睡していたことを覚えています。



未成年に「頼れる身内がいない」ことは綱渡り

私の場合、母から同意を得ることができましたし、親族に保証人になってもらうことができました。これは施設出身としてはかなりラッキーなことなのです。

施設出身者の半数以上は虐待による入所です。そのため、施設を出た後、親との関係を取り戻さない子どもも多いのです。親と関係が戻ったとしても、ポジティブな関係に戻ることは少なく、施設入所前の状況に逆戻りしてしまう方も少なくありません。

そうなると、施設出身の子は、「頼れる身内がいない」と言えます。(頼れる身内がいるんなら、施設に入所しませんよね…)


多くの子は、高校卒業と同時に施設を出ます。つまり、18で社会的な存在にならないといけないということです。

しかし、何かしらの契約をするためには、「親権者の同意」というものが必要になる場合があります。その親権の効力は20まで続きます。ということは、18~19で社会に出た「親を頼れない子」は、スタートの状況から環境を変えようとすると、「親権者」という高いハードルが待ち構えているのです。



知識と経験が、私を救った

私は、一人暮らしをするうえで、どんな手続きが必要で、それに合わせて誰に何をしてもらえばいいのかを学びました。不動産屋さんから教えてもらった内容とネットで調べたことを踏まえて、しなければならない諸々の手続きをリストアップしました。母親や親族に同意をもらうために、どういう風に交渉すべきかを考え、どのように話すかを考えました。最終的に断られた場合、どのようにしたら自分一人で生活することができるかも調べてみました。

すると、私たち施設出身者は、「親の同意がなくても、元々保護者である施設からサインをもらえば、親権者の同意が不要になる」ことや、「保証人は、親族でなくてもなることができる」ということも知ることができました。つまり、別の手段があることを学んだのです。

だからこそ、私は親に積極的にアプローチして、行動をしました。その中で多少は嫌な思いもしましたが、念願叶った一人暮らしも始めることができました。そしてこの経験から、母と親族との確執の根源や、その後の親族のつながりが見えました。

この知識と経験は、弟と妹が一人暮らしを始める上でとても役に立ちました。弟妹は、私の知識と経験をもとに、スムーズに一人暮らしを始めることができたのです。



失敗も多かったが、「わからない」よりだいぶマシ

これまで書いたことは、あくまで一例です。実際は、私はもっと多くの経験をしてきました。その中で失敗して、お金を無駄に使ってしまったことや、自分の気苦労が増えてしまったこともありました。しかし、「何も分からない」よりもだいぶマシだと思えたのです。

ただ間違いなく言えることは、私はこうして知識を得て行動したことで、多くのことを学べた、ということです。間違いの情報で、失敗したこともたくさんあります。しかし、失敗したことで「わからない状態」から脱出することはできました。

「わからない」ままにしておくことは、恐怖しかありません。そして、新しいことを始めたり、今まで見ていた世界について学ぶことを躊躇う原因になってしまいます。


そういう意味で、知識を得て、それをもとに行動し、経験を積んでいくことは大切だと思っています。



知識と経験を覚えておくことが”学び”

しかし、知識と経験を積んでも、人生の役に立っていない人も少なからずいます。それは、「知識と経験を忘れているから」です。

知識は、実際に行動しないと身に付きませんし、経験を自分のものにしておかないと、役には立ちません。

結局、知識と経験を覚えておくことが、所謂”学び”にとなるのです。



救われるために、学ぶ

そして、私たちは、そういう知識と経験をもとに他者と話をします。たくさんの知識と経験を話すと、それに合わせた他者の知識と経験を引き出すことができます。

もし、高校時代の私に声をかけるのならば、「施設退所者を支援するNPOをググれ」と言います。間違いなく。そこと繋がることで、「親を頼れない」状態でも、経済的にも精神的にも楽になることを知っているからです。当事者として支援をしてもらったことはないのですが、後々に学んだこととして、自分や周りの人の役に立つのです。

そういう救ってくれる場所を見つけるのにも、学びが必要なのです。


多くのことから学び、自分から勉強し、行動して積み重ねてきた経験が、また学びを生み出します。そうやって成長していくことが、自分自身を救ってくれるのです。

そして、多くのことを学び取ろうという姿勢は、多くの人から共感と称賛を得ることができます。こうすることで、たくさんの方があなたを支援しようと言ってくれます。支援までいかなくても、大切な考え方や必要な情報を提供してくれることがあります。


私は、そうやって、自分の知識と経験に救われ、それのおかげで多くに人に支えられることができました。

皆さんも、学びを大切にしてくださいね。




終わりに~「わからない」が言えること~

今回は、”学び”の重要性について綴りました。

学ぶことが上手な人に共通していることがあります。それは「わからない」がすっと口から出てくることです。

私の尊敬する親友は、常にいろいろなことを教えてくれますが、私が何となく発した言葉に「何それ?教えて。」と言います。

知らないことを「知らない」と、わからないことを「わからない」と言えることはとても大切です。それ以外にも、困った時には「助けて」と、悩んだ時に「聞いてよ」と言えることも大切です。

結局、学ぶことが上手な人は、こういう「わからない」をすぐに口に出して、何となく解決しようとする姿勢を常に持っているのです。


私自身、昔は「わからない」が言えない子でした。何でもかんでも自分で背負ってしまい、いつも自分一人で抱えては悩んでいました。誰も助けてくれないし、結局自分は一人なんだと思い込んでいました。

しかし、多くのことを学び、練習を繰り返し「わからない」がすっと言えるようになったおかげで、私の周りには人が増え、多くを与えてもらえるようになりました。その分、私は感謝の気持ちを込めて、より多くの人に与えたいと思えるようにもなりました。


私自身が主体的に学んだことは、今でも私の人生の軸になっています。皆さんも、一緒に沢山学んでいきましょう。一緒により良い人生を歩んでいきましょう。



こう、言えるようになったのも、つい最近の話なのですが、ね。



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