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「教員」という生物の観察記

こんにちは、ヨウです。


今回は、「学校の先生」という生き物について、外からも中からも見てきた私の、個人的見解です。

教員として息が長い(長く続けていける)人の傾向について書いていきたいと思います。もし、教員をしたいと思っている人がいれば、参考にしてください。

※あくまで、「傾向」の話です。


学校過剰適応者

そもそも、「学校の先生になりたい」ということは、自身の学校生活にいい思い出がある人がなる場合が多いです。学校の先生にかわいがられ、友達とも上手くやってきた人が、学校の先生を目指します。(私は例外です。)

近年の学校は、いじめ、不登校など、かなり多くの問題を抱えています。さらに、学校の教員のブラック労働ぶりたるや、すさまじいものがあります。

そういう現状がありながら、学校の先生になりたいと手を上げるわけですから、学校に関して何らかの「いい思い出」があるわけです。教員採用試験でも聞かれることは「なぜ、教員を目指したのですか?」「憧れの先生はいますか?」という項目は必ずあるわけです。つまり、先生は、「学校に適応した人間である」という大前提があるのです。


私の場合、施設の小学生に「ヨウ君みたいな先生がいたら、学校楽しいと思う!」という言葉を信じて、学校の先生になったわけですので、全員がそうだとは限らないということを付け加えておきます。



いじめっ子タイプが多い

学校で適応できていた、ということは、「いじめの対象にならなかった」可能性が高いはず。一時的にハブられたりしたことはありつつも、おそらく、慢性的に嫌な思いはしてきていないはずです。


私が担任を持っているとき、「〇〇君がちょっと人間関係が上手くいっていないみたいなのですが」と同僚の先生に相談すると、「あの子、なんか気に障るような動きするもんね~」とさらっと言われたことがあります。

また、いろいろな先生と飲み会やらなんやらで話していると、「こんなやつがいて、いじってやったことがある」という話をよく耳にしました。


そうやって、自分が主導権を握って「いじめる側」に回ることで、学校に適応している人が割合多いのです。

ただ、「いじめ問題に適切に対応できるかどうか」は、別問題です。いじめ子タイプだったからこそ、いじめる子の気持ちが理解でき、いじめを未然に防止したり、いじめの原因を探ることができる場合もあるのです。



我が強く、自己主張が激しい

「私はこう思う!」「それはまちがっている!」などと、自信満々に話している人の多いこと。

教育という分野は、人間相手の学問ですので、その土地の環境や人柄、雰囲気によって、手法を変えないと成り立たない業界です。しかし、学校の先生は、「前の先生はこうやっていたかもしれないけれど、私はこうします」という自己主張が強い人が圧倒的に多いのです。そのため、先生独自の価値観を基に、学級が運営される場合が多くなりがちです。

先生によっては、先生による絶対王政的な雰囲気を作ってしまう人もいて、「学級王国」などと揶揄されることもあります。


ただ、これはこれで、子どもに多様な価値観を学ばせる上では、大切なことかな、と思っています。実際、どの会社に行っても、文化や伝統、ルールが違いますから、子どもには「そういう先生もいるみたいだね。」と、現状で何とかしていく方法を教えてあげてもいいかもしれません。(明らかな体罰や孤立などは、相談した方がいいと思いますが…)



終わりに ~強くないと、やっていけない~

学校の先生について、この記事を読むと「学校の先生って、やっぱり嫌な奴が多いんじゃない?」と思うかもしれません。しかし、現状、今回記事に挙げた性格の方が、学校の先生として息が長いのです。

自分を保つために、自我を強く持っていないと、やっていけないのかもしれません。公務員の中で、「病休」を取る割合がとびぬけて多いのが、学校の教員です。私は、私自身が働いていた学校で、5人、病気休暇に入る先生を見ました。たった4年間で5人です。それほど、精神的につらい仕事なのです。

そして、勤務時間もさることながら、仕事量も多く、責任も重い。そんな仕事だからこそ、プライドを持って自己主張したり、自分の意志を貫いたりする精神的強さが必要なのです。そうじゃないとやっていけないのです。


しかし、これはあくまで傾向であって、そうでない人もたくさんいます。

私の尊敬する女性の先生がいます。その方は、どの学年、どのクラスを担任しても、素晴らしい学級を作り上げます。子どもたち自身の満足度も高く、去年学級崩壊をしていたクラスだったとしても、魔法をかけたように「良い子たち」に変える力を持っていたのです。職員室内ではとても謙虚で、「こうした方がいいのではないか?」などと自己主張することはなく、あくまで「上司に従う」というスタンスでした。年齢は、私の母よりも上にも関わらず、どの職員に対しても敬語を使い、社会人として立派な方でした。その先生のお子さんは、私と同年代で、学校の先生をしています。

そんな先生を目指して、私は学校の先生として勉強していました。その頃の努力が、これからどこかで活かせたらいいな、と思っています。



いろんな先生方の姿を見て、子どもたちには、学んでもらいたいな、と思います。



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