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「子どもを養子に出す」という責任

こんにちは、ヨウです。


今回は「特別養子縁組」について考えてみました。社会的養護の中でも、かなりコアなものだと思っています。しかし、コエールを通して、「特別養子縁組の当事者」と出会い、興味を持ちました。

9月1日に、上記イベントを実施しました。特別養子縁組によって迎え入れられた”ぎゃろ”が、その後、育ての親から心理的虐待を受けるというストーリーです。このイベントをもとに、考えていきたいと思います。



お互いの利害が一致した関係が「特別養子縁組」

上記サイト(厚労省)には、このように書かれています。

「特別養子縁組」とは、子どもの福祉の増進を図るために、養子となるお子さんの実親(生みの親)との法的な親子関係を解消し、実の子と同じ親子関係を結ぶ制度です。
「特別養子縁組」は、養親になることを望むご夫婦の請求に対し、下記の要件を満たす場合に、家庭裁判所の決定を受けることで成立します。

特別養子縁組が成立するには

(1)実親の同意
(2)養親の年齢(配偶者がいる25歳以上の人)
(3)養子の年齢(15歳未満)
(4)半年間の監護

というステップがあります。家庭の状況によっていろいろ縛りが変わってくるようなので、詳しくはサイトをご覧ください。


つまり、特別養子縁組は、「親を必要としている子ども」と「子どもを受け入れたいと思っている大人」のマッチングによって成立するものであって、言わばウィンウィンの関係であると言えるのでしょう。



子どもを「養子」に出す親とは?

ここでは、児相でのほんの少しの経験と、イベントを通しての想像による私見を書きます。

養子を出す親には、様々な事情があります。もちろん、養育能力も意欲も著しく低いだけの方もいるかもしれません。しかし実際は、身寄りがおらず、一人では子どもを育てることができない人が多いのです。

私の知る限り、特別養子縁組の「実親」は未婚のシングルマザーで、父親が認知していない人ばかりでした。DVからの回避、望まない妊娠、中絶を言い出せなかった等々の理由です。どれも、父親が妊娠の責任から逃げ、母親がすべての事情を抱え込んでしまったパターンです。

中には、状況として子どもを養育することができない方もいるでしょう。収監されている母から生まれた子どもがいたとするならば、その子の生活の場は檻の中ではなく、乳児院(乳幼児専用の児童養護施設)となります。その親が「自分で育てるのは無理だ」と判断すれば、養子に出すことになる可能性があると思っていいでしょう。


いずれにしても、普通に生活していて、「養子に出そう」という考えは出てきません。ある種、実親が何かしら問題を抱えていることは明らかです。



養子に出すことは悪いことか?

「我が子を養子に出すなんて、親としての責任はいかがなものか?」と糾弾する方もいるかもしれません。確かに、子どもを産んでおいて、赤の他人に養育を任せるのは無責任だと思う人もいるかもしれませんね。それがいわゆる「捨てた」と揶揄される原因にもなりかねません。

しかし、一歩下がって全体像を見ていただきたいのです。前述したとおり、特別養子縁組の実親には、「未婚のシングルマザー」が多く、単純に家庭環境が整っておらず、その後十分に子育てできると言えないために、養子に出すのです。

妊娠は、男性と女性がいて初めてできるもの。しかし、妊娠は女性しかできません。無責任に避妊をせずに行われた性行為により、女性だけが逃れられない状況に追い込まれていることは容易に想像できます。また、この中には、レイプ被害者もいるかもしれません。妊娠したことを相談することができず、堕ろすことができないところまできてしまう方もいるかもしれません。私は、そうやって一人で抱え込んで、子どもを必死で育ててきて、その上で子どもに虐待をしてしまった母親を何人も見てきました。


そう考えると、自分の状況を理解し、児童相談所等に相談して「養子」に出すことを決断することは、ある意味「子どものため」を考えている行為だと思いませんか?

「自分が育てるよりも、他の家庭で育った方が幸せなのではないか?」と考え、我が子を手放す決意をすることは、とてもとても辛いことです。精神的にも肉体的にもつらい時期が続き、激痛とともに自分のお腹から生まれた新たな命。それが、書面上の手続きによって、他人になってしまうのです。

私は、「養子に出すこと」は無責任な行為だとは思いません。様々な葛藤の中で、「子どもの幸せを願い決断したこと」だと思います。勇気と覚悟が必要な行為ですので、私は尊重したいと思っています。



終わりに ~実親に対する思い~

コエールのスピンオフ企画の中で、ぎゃろは「ひどい虐待をした養親より、実親を選びたかった。」と話しました。しかし、実親はどういう人かも分からず、写真すらない。父親に関しては認知されておらず、国籍すら不明。「私、ハーフかもしれない」と笑って言うぎゃろの目には、不思議と輝きがありました。

どんな人かもわからない実親。どのような経緯で自分が生まれたのかすら分からない。父親の国籍も分からない。何もかも正体不明の実親に、ぎゃろは期待をもっているのです。


児相での体験談

しかし、私の経験上、その考え方は危険だと思います。以下は、私の児相での実体験です。


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