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[前編] 「混沌とした時代をたくましく生きる子を社会で育てる」 工藤勇一 x 中邑賢龍 イベントレポート

新型コロナウィルスが世界を震撼させる中、私たちは突然、新たな日常 (New Normal) に直面しています。多くの学校は3月から休校となり、子どもたちや保護者、教師は、それぞれとまどいつつも、自宅で自習をしたり、オンライン教育に取り組み始めたりしています。

Learn by Creation (事務局長 竹村詠美、詳しくは ラーン・バイ・クリエイションの生い立ちといま を参照)は、ポストコロナの世界を見据えつつ、これからの学びについて考えようと、4月29日、緊急のオンライン対談を企画しました。

第一回は、横浜創英中学校・高等学校の工藤勇一校長と、東京大学先端科学技術研究センターの中邑賢龍教授による対談です。(司会は竹村詠美、本文の文責は草本朋子、日出間真理子)

工藤校長は、前職の千代田区立麹町中学校の校長時代、宿題や定期テストを廃止したり、学級ごとの担任制をやめて「全員担任制」にするなどの改革を行いました。こうした大胆な改革は大きな話題になり、工藤先生の著書「学校の『当たり前』をやめた」(時事通信社)は10万部を超すベストセラーになっています。教員のみならず生徒や保護者も当事者として巻き込み、最上位の目的を共有したらそこに到達するための具体的な方策や道筋は現場に任せるという手法は、多くの人の共感を呼び、麹町中学校には全国各地の教育関係者が視察に訪れました。麹町中学校を定年退職後、この4月から、私立横浜創英中高の校長に就任されたばかりです。現在、新型コロナによって登校による教育活動を停止せざるを得ない中、生徒や教職員、そのご家族の生命を守ることを第一義に掲げ、横浜創英の先生方と、オンラインを活用したハイブリッドな教育活動を創造すべく奔走中です。

中邑教授は、異才発掘プロジェクト「ROCKET」を主宰し、志ある特異な(ユニークな)才能を有する不登校の子ども達を全国から集めて新しい学びを創造する試みを続けておられます。そのミッションは、「子どもの生きにくい社会、イノベーションが起きにくい社会を変えていくこと」。AI時代に必要な力を、R2D2(Reality リアリティ, Resilience レジリエンス, Development 深掘り, Diversity 多様性)と定義し、こうした力を育むべく、行き先を告げずに生徒を海外に連れて行ったり、アーティストと生徒をコラボさせ「100点がないゴール」があることに気づかせたりなど、ユニークな教育活動を展開しています。また、子どもが自分で選んだ探究活動に没頭できるよう、学校を休んでも欠席としない「お休み券」を年間10枚配布することを提案。学校で出来ない学びを自治体や企業と連携して全国各地で展開する「School of Nippon 構想」を提唱しています。

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休校中に子ども達は何を学ぶべきか?

まず、2人に話し合っていただいたのは、この2ヶ月間休校措置が取られ、突然毎日学校に行くことが「当たり前」ではなくなったことへの対処です。

工藤先生にとっては、4月に校長として着任早々、生徒がいないという事態でした。対談時点で、まだ横浜創英の生徒にはだれも直接は会えていないそうです。

力を入れたのは、ICT環境の整備です。「まず教員が生徒や保護者と繋がるための術が必要」と考えました。

「僕はもともとICTに長けておらず、横浜創英も得意な学校とは言えませんでした。初日に職員に伝えたのは、教職員がオンラインの技術を身につけるしかない、自宅で仕事をする環境をまず作らないといけないということです。子どもと繋がる術を持っておかないとただただ時間が停止してしまう。1週間ほどで全教員が自前の携帯やPCを使って自宅で仕事が出来るまでになり、並行して、生徒に課題を出し動画を作って配信し始めました。Zoomを使ったオンラインホームルームも始めました。」

ICT環境の整備は、多くの学校が取り組んでいることだと思います。
工藤校長が、整備する際に意識していたのは、「学校が子どもに手をかけすぎていて自律型の子どもが育っていないため、学校がストップすると親も子どもも不安が掻き立てられて必要以上に不幸になっている状態ではないか」ということでした。

「多くの子どもは、小学校に入ってからずっと指示され続けて主体性を失い、自分で物事を考えられなくなっています。本来、教育とは子どもが自律して歩いていくのを大人が横からあるいは後ろから支えてあげることだと思います。そもそも教員は支援者であるべきなのです。生徒にとって安心な環境を作ることが最初にやるべきことです。

工藤先生のもとで学んだ麹町中の生徒たちは、数学の授業でAI教材を活用するなど「先生が教えない学び」を体験してきました。休校中の今、誰に指示されることなくLINEのビデオ通話などで友人と一緒に勉強し学び合っているそうです。こうした環境下でも学ぶ意欲を高めるために人と繋がって工夫しているのです。

一方、中邑先生のROCKETの生徒たちは、もともと不登校です。月に一回程度ROCKETのプログラムに参加しますが、学校に行かないことが以前から彼らの日常だったのです。ただ、意欲がある子はいつもと変わらず探究を続けているものの、意欲が前に向かない子に働きかけることは、集まって活動する機会が奪われる中で、難しくなっていると感じているそうです。

そこで、中邑先生はROCKET生にこんな課題を出そうと思っていると語りました。

そのお題は、『来週の月曜日までに1000円以内で温度計をとにかくたくさん集めてこい』

その意図はこういうことでした。
「アマゾンで注文すれば物流経済が学べるし、親に頭を下げて頼んだら道徳が学べます。受験や競争を考えるから不安になるのであって、本当は学びなんてどこにだってある。個人が好きなことをやろうと思えば何の不安もありません。月曜日に集めた温度計を皆で見せ合って比べるだけでも面白い学びになります」

中邑先生は、休校中で生徒が一堂に会して授業を受けることができない今は、一人一人に最適化した学びを探究する絶好のチャンスだと言います。ROCKETの子ども達だけでなく、多くの公立、私立の生徒に対して、「全員に違う宿題を出す」という提案をしました。

「いまは、子どもたちが先生と一緒にいるわけではありません。誰にどんな宿題を出したかわからないので今がチャンスです。全員が大学受験に向いているわけではありません。読み書きが苦手だけどパソコンを使えばできる子もいれば、体を動かす方が良い子、ドリルが向いている子、色々います。」

子どもにやりたいことをやらせたい親は多いものの、例えば子どもがゲームにしか興味を示さない場合はどうでしょう。中邑先生は、「本当はゲームばかりしていたらダメだ」と悩んでいる子どもも多いはず、と言います。

ゲームにのめり込むのは他に活躍の場がないからです。読み書きが苦手でかつ運動も苦手だと学校で活躍するのは本当に難しいのです。

この休校の時期は、先生や親たちが、子どもが得意なことをみつける手助けをしやすい有意義な機会になるのかもしれません。


コロナが突きつけた日本社会の本質的な問題点とは?

次に話題になったのは、日本社会の本質的な問題でした。工藤先生が強調したのは、もともと日本の教育が抱えていた大きな問題をオールジャパンで解決していく好機にすべき、という点でした。

コロナ禍によって、今、社会や経済は大きく揺れています。教育の手法も大きく変わりつつあります。コロナによって、私たちは、日本が諸外国に比べて、オンラインへの対応がいかに遅れていたかを知ることになりました。社会全体も問い直される時期なのかもしれません。

工藤校長が引用したのは、日本財団が行った、世界9カ国の17歳から19歳のランダムに抽出した子ども1000名を対象とした意識調査です。日本は「自分で国や社会を変えられると思う」とする回答者が18.3%と他の8カ国に比べて圧倒的に低く(8カ国平均は58.3%)、「自分を大人だと思う」回答者は29.1%(8カ国平均は76.3%)と、いずれの項目も他国に比べて際立って低いという調査結果が出ています。

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工藤校長はこう続けました。
「どの項目を見てもあまりにも世界の子どもたちと違います。自分を大人だと思えない、社会の一員だと思えない、自分で国や社会を変えられないと思っている…。子どもたちの姿というよりは新型コロナウィルスの問題で浮き彫りになった日本社会そのものだと思います。いつも与えられ続けそれに慣れきって主体性を失った我々大人社会は、常に不満を言い続け、誰かに何かを求めるため、自分たちが当事者として社会を変えていこうという流れにならない。それは日本の教育が与え続けているからです。自分の子どものためを思う親の率直な気持ちが、小さい頃から環境を整えすぎ手をかけすぎて、逆に、もともと主体的な生き物だった子どもの主体性を奪っています。与え続けられた人間は与えられたものに対して不満を言い続ける人間になってしまう」

日本の教育に足りないのは、『子どもたちが社会の一員であり、当事者である』という考え方です。それは、人と人とが繋がって多様性を認める中で生まれてくるものなのです。

休校を受けて「未履修問題」がフォーカスされていますが、文科省は未履修を問題と言いながらも、そもそも以前から「未履修」の不登校の子どもたちを卒業させてきました。制度自体が自己矛盾を起こしているのではないか。そうした矛盾を解消し、トータルで矛盾していない仕組みを作っていくことが社会に求められていると工藤先生は訴えました。

今の状況をありのままに受け入れて、その中でどうあるべきかを当事者として決定できるような大人でありたいし、そういう社会にしないといけないと思います。


大人とダイレクトにつながる機会を

議論は、社会人と子どもが交わることによる「効用」に発展していきました。

中邑先生は、ROCKETの子どもたちに社会の大人とダイレクトに深く繋がる機会を多く用意しています。そこで強烈な体験をした子どもは、学校の実習や社会見学でちょっと見ただけではわからない大人の本当の凄さを体感すると言います。

「漁師さんの凄さは、午前3時に叩き起こされて船に乗せられ、真冬に荒れ狂う氷点下の海に出て初めてわかるのです。これを毎日やっているのか、凄いっていう。こういう教育は学校では行われませんが、そうした学びに向いている子がいるのです。」

中邑先生は、受験勉強を否定しているわけではなく、受験が「世の中の絶対的な評価の軸」になっているのが間違いだと言います。それ以外の軸があるということを教えないといけないし、それ以外の軸を社会が認めていかないといけない。とことん受験勉強する子もいればとことん職人さんに弟子入りして実習してくる子がいても良い。

そして、大人が子どもに真剣に対峙することが必要と考えます。

「言葉は悪いですけど『お前らバカだな』と言う大人がもっと増えるべきだと思っています。バカというのは勉強ができないということではなくて、お前は物事の道理がわかっとらん、お前は自分がすごいと思っているけどお前の思っていることはたいしたことじゃないぞ、ということです。僕ら一人一人がすごい大人になって、『オイ、かかってこいよ』と言える、そういう社会にこの国がなっていないから、工藤先生が見せてくれた調査結果が出てくるのです。子どもをヨイショしすぎて子どもを結局バカにしてしまったのは我々の責任です。もっと本気でぶつかり合う場所が教育なのだろうと思うし、それはコロナがあってもなくても関係ない。そういう(経験をした)子どもこそ、こういう大きな変化に耐え得るのではないかと思います。」

工藤先生も、麹町中学校では、生徒が社会で活躍する「トップランナー」に話を聞く機会を、意識して多く設けました。それは、「社会に出るのを楽しみにする子どもを育てたかったから」と言います。生徒が、失敗する機会も時間もたくさんある若さの特権を幸福だと感じられるよう、「素敵な大人であること、世の中を否定しないこと」という二つの基準を持って、自慢話や失敗談をたくさんしてくれる大人に来てもらっていたそうです。

後編では、これから学校現場はどう変わるべきか、また、本来主体的な生き物である子どもを伸ばす本質的な教育について、語られた内容をお届けします。

※ より詳しい内容につきましては、本対談の動画をこちらからご覧いただけます。




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