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【読書感想文】 ホモ・デウス

今回は、ユヴァル・ノア・ハラリのベストセラー、ホモ・デウスの感想文を書きます。著者は、サピエンス全史でも有名ですね。

かつて宗教に支配されていた人類が、人間至上主義、データ至上主義と変わっていく歴史について描かれています。

このように語られると、人類の歴史の大半は宗教に大きく影響されてきたことが良く分かりますね。古代ギリシアや、キリスト教を国教にする前のローマは、それほどでもないですが、、キリスト教が欧州世界を席巻してから千何百年は、宗教の時代で、人間自身の思考が重んじられることはありませんでした。

十字軍、魔女裁判、ガリレオの地動説、など、宗教・聖典に基づく過ちは枚挙に暇がありません。現在でも進化論を否定する一派がおりますね。

近代の先進国においては人間自身の思考・悟性が尊重されるようになり、結果として科学的思考が重要視されるようになりました。。なんですが、未だに人間はさまざまな偏見に囚われていますね。

宗教などに依らず人間至上主義を貫くことは人類に可能なのでしょうか?我々は自分自身を御すことができるほど賢明なのでしょうか?

私自身含め人類はまだそこまで成長できていない、というのが私の意見です。科学的思考(あるいは他者にも論理が共有できる客観的思考とでも言いますか)を貫くことは人間にはかなり骨が折れます。概ね科学的思考で振る舞えるように成人できる成長環境にいられた人のほうが少数派でしょう。聖典に依って日々暮らしていくほうが余程精神的に楽です。

そのような成長途上の人類に訪れたのがデータ至上主義です。現在、膨大なデータによって導き出される遺伝子上の分析、金融市場予測、集団行動、個人の行動予測まで、積極的に同意せざるを得ないレベルまで向上しています。たとえ誰もその裏側で計算されているロジックを説明できなくとも。

恐らく宗教から離れつつある人間が次の拠り所はデータとその分析結果となるでしょう。それに対して人間の判断というものを最後に加えなければならないのですが、果たして人類にそれが可能でしょうか?

圧倒的なデータの説得力に対し、人類は為すすべなく立ち竦んだまま、多くの判断をデータ分析に委ねていくのではないかと危惧しています。


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