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『分裂病と人類』を読んで。:排除の始まり、共存という課題

 noteを始めて早1ヶ月が経とうとしている。もう書くネタない、どうしよう、別に自己満だしやめるか...とさっそく挫折しそうなので、noteに投稿するという目的のために、もう半年くらい読みかけで放置してしまっていた『分裂病と人類』を本日なんとか読破。しかし著者の恐ろしいほどの知識量と深すぎる考察ゆえに、私はおそらく半分ほどしか吸収できていない。が、それでもこの本が名著とされている所以はもう身にしみて実感したので、拙い文章ながら感想を綴ってみたいと思う。

『分裂病と人類』の著者は、精神科医の中井久夫先生。精神病理に関する著書多数あり、臨床現場で今も使用されている風景構成法という心理療法も開発していたりと、精神医学領域では知らない人はいない偉大な方である。

そんな中井先生の代表作の1つである本作では、「分裂病になる可能性は全人類が持っている」という仮定の元で、分裂病になりやすい「分裂病親和者」について、なんと狩猟時代にまで遡って論じている。

分裂病(今は統合失調症に病名が変わっている)は未だはっきりした原因は解明されていない。およそ100人に1人発症するという、けっして珍しい病気ではない。

本作によると、分裂病親和者に共通するのは「兆候=微分(回路)的能力」の卓越性であり、すなわち予測的、未来的な認知能力である。つまり分裂病親和者は、僅かな情報から未来の傾向を過敏に察知し、目の前の現実の受け入れよりも、未来の不安を解消し予防することへエネルギーが向かい、その結果不安定な状態になるという。

現代では分裂病親和者に見られるとされるこの能力だが、狩猟時代においては優位に働いていた。

狩猟時代では、生き延びるために周囲の危険をいち早く察し、誰よりも先に獲物を見つけ捕まえる能力が必要不可欠であった。それは「兆候=微分(回路)的能力」であり、すなわちこの力を持った「現在に先立つ者」こそが優位な社会であり、そしてこの微分的能力と同時に、未来(の危機)に対する不安こそが、生きるために大いに役立っていた。

しかし時代は狩猟社会から農耕社会へと移り、人々の間にはルールや秩序が生まれ始める。農耕民は母なる大地を傷つけ作物を得るために、神の怒りを鎮める清めの儀式を行う。これらの秩序によって自然対人間の構造が生まれ、人間は自ら作る文化の中から不快なものを排除し始め、ここで人間の排除の歴史が始まるのである。

著者は「人間が自然の一部であった狩猟時代から、自然と人間の対立が始まった農耕社会への転換期に、分裂病者が倫理的少数者となった」と主張する。

西欧の精神病史について述べた最終章でも、「西欧人が、自分たちこそが理性と自我を持つ存在である、としたのと同時期に分裂病が発見されたのは偶然ではない」という。

 精神病は、身体の病気と比較して病気の明確な定義が難しく、現在においても診断方法や基準についての議論が続いている。

病院で「〇〇病」と診断されると、安心することも不安になることもある。しかし精神病に限らず、病名はあくまで人が作ったもので。まして精神病に至っては、病気そのものも社会や文化の中で生まれた相対的な現象なのだ。

本作によって気付かされたこの視点は、けっして忘れてはいけないと思う。

...ちょっと読み込めてなさすぎて二章、三章については全く触れられずに力尽きた...また何度か読み込んでいつか感想を書きたい...。

最後に、まさに今も続く神なき時代に生きる私達にとっての示唆だなと思ったお言葉の引用で締め。

進歩とはなかんずく、邪悪なるものの排除であった。この観点からするとき、魔女も、働かざる者も、理性をもたざる者も、伝染病者も、いな病いもその原因たとえば細菌も、医学においても看護においてもひとしく排除清掃されるべきものであった。病気あるいは病者との共存は今後の課題となろう。


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