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知ってるつもり 無知の科学

無知の知。まず知らないということをわかっておかないと知ることはできない、というのをソクラテスはその昔説きました。その言葉を我々はみな知っていますし、意味も理解しています。
いや理解しているつもり、です。でも実際自覚していないだけで、知ってるようで知らないことはたくさんあります。本の中で出て来た事例ですが、たとえば水洗トイレの仕組みを我々は「知っている」か。水で汚物をみな流してしまう、というのはもちろん知っています。レバーを下におろす、なり
最近ではボタンを押すことで水が流れることも知っています。でも水はどう組み上げられ、トイレにたまるのか。そもそもトイレはなんであんな形なのか。流れた水はどう下水に繋がっているのか。詳細まで追及されると、とても知っている、とは言い難くなります。

では、毎日トイレを使っている私たちはトイレの詳細まで知らないと生きていけないのでしょうか。もちろん答えは否、です。人間がここまで人口を増やし、社会を発展させたのは、他の人の知を利用するからです。他の人と知をシェアしながら、我々は生きてきているのです。

知のシェアはいい形で展開されれば、複雑な社会の問題を解決するよすがになりますが、偏った形で展開されると、罵詈雑言、暴論、ときにはカルトにまでなっていきます。シェア、といっても同じ考えの人たちだけで、考えを深め合っているだけだとどんどん意見は偏ります。これは多様性の科学|luvhuey (note.com)でも指摘されていたことですね。

とはいえ、知識はコミュニティの中で身につけることが多く、どうしても
似たような意見を持つ人たちとしか交流が得られにくい。
そんな中で、多様な考えに触れるにはどうしたらいいのか。本の中では
大きなヒントが示されています。
それは賛成できない論について、自ら説明してみること。説明してみることで実は賛成できない論をさほど理解もしていないまま反対していたことに気づいていく実験も本の中では紹介されています。

政策の影響を説明してみることで、自らの理解度に対する評価が下がるだけでなく、意見も軟化することがわかった。説明後の平均値が中間点に寄ったということは、被験者全体で考えると両極端な意見が減ったことを意味する。問題を説明してみることで、人々の意見が収斂したのだ。

”しかし他の研究では、被験者に自らの意見について考えてもらったところ、さらに立場が強固になった例もある。おそらく集団で議論させると、意見が極端化するのと同じ理由からだろう”

興味深いのは、「意見を説明する」のだと立場が強固になる、というところ。事実ではなく自分の意志にだけ意識がいくと、視野狭窄になりがち、というところでしょうか。

本の中でも繰り返し説明されていますが、複雑化していく社会ですべてを知ることなど不可能です。また本の最後に、アメリカが60年代に月面到着を成し遂げる例が紹介されています。それがどれだけ困難であるのか、ケネディは知らなかったことでしょう。本では「傲慢」と表現されていましたが、
野心ある「無知」が、大きな成果をもたらした、ということでしょう。

複雑な社会ではもう一人の力のあるリーダーが道を示し、そこにみながついていくだけでは問題は解決しなくなっています。多様性の必要性を多様性の科学では説いていましたが、さて、では多様な人々の考え、社会の仕組みを
取り入れていくには、まず違いを「理解」することから始めなければなりません。まずは知ること。知ろうとすること、からスタートすることの大切さを学べる一冊です。



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