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ほんとうの道徳

苫野一徳 2019 トランスビュー

子ども達への信頼に裏打ちされている。そこが素敵な本だ。
公教育で道徳を教科として行うことが決まってしまったのであれば、それをどう活かしていくのか。
すればするほど価値の対立をもたらしたり、上っ面だけの茶番にならないように、実践的な方法論と哲学が積み重ねてきた知見が盛り込まれている。
世界がよりよいものになるように。そんな希望を思い出させてくれる点で、とてもよい本だった。

公教育で行われる道徳が、ムラの習俗のような一部の共同体にだけ通用するような道徳原理の教え込みになるのではなく、より普遍的なルールを目指す精神の陶冶になるような願いを込めて書かれている。
多様化に逆らうのではなく、多様化に対応していくために不可欠で当たり前のはずの考え方、ヘーゲルの掲げた「自由の相互承認」という原則である。

「わたしたちは、他者の『自由』を侵害しないかぎり、何をしてもいいし、どんな価値観やモラルを持ってもいい」(p.50)。

まず、お互いを認め合う。そこから、お互いに一緒に生活していくためのルールを作り、常に手直ししながら、お互いの自由をお互いに守っていく。
とてもシンプルな提案で、平和な提案である。

何が望ましい生活習慣であるか、それぞれの家庭の文化や宗教的な背景によって異なる。
この日本の国内において、海外から流入してきた人が増えるにつれ、子どもたちの背景は多様化が進んでいる。
その中で、ここは日本だから日本的なものをと声高に言いたくなる人の気持ちもわかるが、その日本的なものでさえ、時代や地域によって揺らぎがあるのであり、なにか真なる日本的な道徳のようなものがあるわけではない。

その前提の上に、これまで数千年にわたって哲学者が倫理学の問題として思索を重ねてきた知見を取り入ればよいのだ。せっかく、積み重ねられた知の財産があるのだもの。
著者は、カントやヘーゲルに触れながら、「どんな道徳の持ち主も、できるだけ自由に、そして平和に共存できる」(p.47)市民社会を目指すことを提唱している。
目指すなら、やっぱり、そこではないだろうか。

著者と似たような場所で倫理学や教育学を学んできた私にとっては、とても馴染みがある。
懐かしい思いで胸がいっぱいになった。
学生の頃に触れていたような言葉たちが、希望を紡ぐ言葉となってきらきらとしていた。

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