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【小説】 病室の手記



TO K.A AND N.T IN MY DREAMS




病室の手記


 作品が書かれる最も純粋な理由は一つだ。許せない者への復讐心である。幸いなことに、僕にとってそれは自分自身の病だった。どうして幸いだったのか、それはこの世界で許せないただ一つが自分に対する不幸だったからだ。たとえばこれまでの、自分に投げかけられた言葉や社会からの抑圧がどれだけ自分を苦しませたのだとしても、僕の病が生み出すものに比べれば戯言に思えた。病を、舞台に立つための緊張感のように捉えて作品の準備をした。
 こうして幸いだったと言えるようになるしか道はないように思えた。不幸の叫びが届かないことに絶望していたからだ。小さな声しか出ない人間に、誰も、静かに耳を傾けようとはしなかった。そんな余裕は誰にもなかった。 僕は病に犯された理由を、僕の膨大な記憶や記録から探究するために作品を書き始めることにした。復讐の実行には十分すぎるほどの下調べが必要なのだ。
 今のところ、僕が病気になった理由は作品を書くためなのだと思う。
 病気だけに関わらず、人々の不幸は、意味もなく輝いている星たちが星座として捉えられたことや、意味もなく起こる災害が歴史の教科書に刻まれたことに並ぶほど、必ず意義を見出すことができる。ある時は美しく輝き、またある時は重大な責任を問われる。
 そんな中で生まれた作品に対して一つだけ言いたいことがある。作品は手を差し伸べてくれる。もう少し正確に断言すれば、作品は一人で待っている。
 不幸を抱えて動けない僕たちには、同時に、”見る”という最も古い武器を見るチャンスが与えられている。僕たちの不幸は、そうすることしかできない種類の不幸だったのだとも言える。
 僕はただじっと見つめた。ダンスをする街よりも、止まろうとする街を求めた。 街に対して、最初、僕は病気のせいでただじっと待つことしかできなかった。そし て待つことはやがて自分自身を作品にしていく行為だと理解していくことになっ た。
 個々の感性で切り取られた一瞬の作品の連続で作られている街に、僕は僕の感性から手を差し伸べようとしていた。そうやって自分を作品だと思い込んでじっと待ち続けた。これまでそこで待ってくれていた作品の後を追うように。僕はこの作品を永遠の静止で終わらせる選択肢すらあった。しかしそうはならなかった。街という鑑賞者にはかすかな希望があった。僕は希望を見る夢想をするしかなかった。そういう時、僕は街に見られていた。自分という作品を見られる夢想の中に希望があり、夢の中で過ごす時間が長くなればなるほど、やがて、呼応するように街を見る時間も増え、バランスを取りながら街を聞く時間も増えていった。そうやって作品は出来上がっていった。街と僕、そこには何の関連性も運命もなかった。しかし僕の夢想を経由すればひとたび、その風景は作品になることがわかった。動いている人間を観察しても作品は書けなかった。人間は生きているうちに作品にはなれない こともわかった。人間がかろうじて作品に近づける時、それは止まろうという意識がある時だ。あこがれを見ればいい。夢を見ればいい。今すぐにそうする必要はない。常に進み続ける必要もない。むしろ止まっている時間こそ作品は進んでいるのだと思う。それは私がこれから書いていくように、1歩ずつ、以前のあゆみとは全く関連のないあゆみでも、あゆみを”見る”ことで明らかになっていく。
 天井を見上げる僕から溢れた涙は染みも凹凸も全ての風景を曖昧にさせた。ただ、ぼんやりとした風景を見たくなった。今思えば、僕の芸術的な感性の原点は、涙で切り取られたような風景に思いを馳せることなのかもしれない。世界中のあの写真は、誰かが泣きながら撮った一枚なのかもしれない。
 気づいたら僕はぼんやりと街を歩いていた。僕のあゆみは散歩だった。散歩にも段階があった。
 散歩をするという夢想から始まり、明らかな目的が決まった散歩を経由して、 徐々に、作品には無目的性が必要だと理解していった。目的のない散歩が優れている理由は、まず散歩は絶対に自分の力で捉えた風景を横切っており、無目的は、それを肯定するという出発から見出す可能性を信じられた勇気が込められているからだ。
 これは僕の病が作品になるまでの物語だ。目的は無目的を見出し、無目的は作品という目的を見つけた。うつ病患者として、僕と街を見る鑑賞者として、僕と街を組み合わせる編集者として、それらの責任を持つ管理者として、患者、鑑賞者、編集者、管理者と歩みを進める中で、相互の立場を見失わず、お互いの敬意を忘れることはないと編集者は誓う。
 この宣言で安心させたい読者は患者の僕だ。どうしてこの宣言がそうさせられるのか、それを伝えるべきでないことを患者の沈黙に委ねよう。
 書かないことを不親切だと言う特権階級に反論する必要はない。
 管理者の僕は今、この序文を任せてくれた全ての僕に感謝している。
 この作品は、患者の”あなた”が孤独への賛美を忘れなかった結果であり、鑑賞者の”あなた”が静止への美学を追求した結果であり、編集者の”あなた”が作品への理解を深めた結果である。
 僕は鼓動という軸を教えてくれる夢に希望を見出そうと思う。生は鼓動にある。孤独なリズムを鑑賞すれば、果たして復讐心が生む鼓動から逃れられるのだろうか。
 「夢みたいだ」と思う時に絶望が当てはまることはなくて、私も夢には希望を持っているのかもしれないと安堵することがある。
 僕は社会的に孤独だった。孤独をすぐに紛らわせることが、この世界においてどれだけ困難であるか。しかし、だからといって内面の世界まで孤独である必要なんてない。
 あなたが今この瞬間に手を取ってほしいと願う者は、孤独なあなただけが知っている。

スキップ

 薬局を出ると世界が青白く見えた。台無しを仕掛けたような絵。せめて、あざとさに隠したものを知りたい。
 クラゲに包まれた交差点、満開を備えた3月の暮れは、街を囲む山で生き続けている桜に、ひとときの休息を見せた。
 日曜祝日除く、あの標識も、歯医者の看板とガラスに書かれた水族館の絵、この街にしては大きいビルが消えた後の、工事現場のビニール、連続する街灯の柱、爽やかな選挙ポスター、深い、自動販売機の青、つめたい、水道のマンホール、夕陽を見ることはなかった、雨上がりの夕方だ。
 昨日は雨で野外ライブが中止になった。待ち続けていた。演奏する側になるはずだった。鑑賞者としては良い1日だった。友人の吹奏楽が良かった。あんなに大勢の仲間がいるのだなと思った。それでも素晴らしいと思った。しかし、自分がやることではないと思う。
 役割があるのだ。絶望から、希望や幸福で前に進ませると語る芸術に希望や幸福を持つ人間は多い。私は、一瞬でも、ただ一人で絶望に向き合うことに意味があると思う。誰にでも蹴飛ばされるくらい弱くなる瞬間がいつか誰かに必要なのだと思う。ぐにゃぐにゃのクラゲみたいに。そうやってぐにゃぐにゃと考えると、どこか良いかもしれない。
 お前の日記はどこにある。鍵をかけた机の引き出しが開かれる時だ。私の作品はそこにある。
 誰かの引き出しに詰まった紙切れがただのレシートだったのだとしても、日付は、番号は、名前は、色は、そこにあった。
 青だよって言ったら、あれは青じゃなくて緑だよって、灰色のコンクリートをジャンプする子どもたちが信号機を気にせずに笑った。そうだ。水溜りをスキップしてみた。砂利から伸びた樹木に両足を揃えて着地する。海底の砂が柔らかい布団を呼び寄せる。
 みちこちゃんが、生活を頑張りたいって言った。そうしたら次に、涙が出てきたって、言った。
 健康を志すことはあまりにもつらい。でも、絶望から心地よさを見出してきた私たちなら、今日だって、また明日だって、健康を目指す最初の一歩に、その怯えた宣言に、いつだって涙を流せるのだと信じている。それが、私たちにできる全てだと言えるだろう。
 彼女はさっき、焼き鮭と納豆を食べたそうだ。「ジムに行って、食事も健康的で偉い。」私は夜道でそうコメントを書き込んだ。
 青白く、青黒くなっていく空を見て、Wayne Shorterの『Night Dreamer』を聴いた。ショーターはこの間死んだ。彼の死を冷たく感じ、彼女に対する生を暖かく感じた。
 二日酔いだから寝ると言った彼女が心地よい夢を見られるように、私は画面越しに願った。
 私の腕が、足が、なぜこうして散歩をしていると動き出すのか。最初の一歩に膨大な時間がかかった。しかし、長い散歩はあっという間だった。そんなことを言うつもりはなかった。
 駅前の喫茶店ではクレジットカードが使えない。Wi-Fiもコンセントもない。それが良かった。
 もうただの夜だった。ショーターに来た夜。みちこちゃんと、私にも同じように来た夜。
 視力が弱いクラゲにも、光を捉える目は20個以上あるらしい。今この世界を同じように見つめることができない私たちは、クラゲのように、似たような光へ集い、 それでも、そこでは、誰かの顔を見ることも、握手で勇気をもらうことも、抱きしめ合って心振るわせることも、やがて消費される全てができないことを知ってい る。
 春という曲を作ったことがある。それは私にとって、初めて完成を見届けた音楽だった。
 話は夢想に戻るのだけれど、夢想の世界で音楽を捉える時、私はその師と必ず夢想の中で会っている。
 夢想に姿を移さない夜こそ私の影に時間が浮かび上がってくるように思えた。

まばたき

 人々は恐怖を忘れているだけだ。私はこの巨大な列車に対する恐れを思い出してしまった。
 心臓の鼓動が皮膚から飛び出してくるのではないかという恐怖を忘れている人々に、私だって15両編成の鉄が節々からちぎれて都市を破壊していくあの忌々しい光景と釣り合うほどの狂気から忘れていたことがあると話しかけることはない。
 トンネルの中にすら明かりがある。真夜中でも眩しい蛍光灯があり、人々の表情が見える。
 誰もいない、反射するガラスに自分の表情が見える。長い街のまばたきに、人々が細長い鉄を見て、叩き、振り回し、最後に、ひび割れた画面から冷水を浴びたような気持ちになる。長いまばたきにいる光を見た人々が生活の灯火に暗い影を振り回す。もう何度まばたきをしたところで、スベスベと絡まるフィルムが隙間を見せることはない。停電に感じる月明かりを探すしかないのだ。 歩くための街も走るための線路もない。ここにはそんなものがないと思い込むしかない。
 夜空に描いた高層ビルは霞に固まる月を見ない。天下の動態に意識を取られた都市だ。雲の切れ間に希望を感じる鑑賞者が何だって言うんだ。月はまた隠れ 、また絶望の層が忘れ去られる。また、誰もいないと月は思う。
 時間にかかる静止のフィルターが分厚く荒い模様を作った葉桜の絵画、地下駐車場行きへの藤色、極彩色のソフトクリームを食らう人々が夜空に合わないレンズを気にしたりしないように思えた。たまに横切る飛行機に預けた人々を見ている。機内アナウンスの音からコンビニの自動ドアの音までの距離。目の前のガラスに張り付いた虻の腹が向かいの壁の模様を、移動する人々が防犯ガラスの緊張を、焦点移動の広さに交わらせていく。

夜の根

 夜が明けていく。許せない。私はあなたに何も注ぐことができなかったから、夜が満たされるほど、水は消えていった。そして私が消えた時、夜は明けていった。 全てを許すことはできなかった。

救急搬送

 違う。いつもと違う、違う選択ができる日。そういったような、不思議な日。何が違うことをさせるのか、根拠だと言いまとめられるような出来事もない。病室まで歩くための準備があまりにも素早かった。無線イヤホンの中身だけを持ってきてしまったが、ただ一度家に戻って、また同じように家を出ただけだったのだ。すると、いつも忘れていた薬の手帳を今日は持っていくことになった。
 春の陽気を積もらせた、病院の、待合室の、目の前に続く短い廊下は、灰色の番号から怯えた存在を流していく。ちょうど、午後の診察が始まっていた。川の流れが花びらを撫でていた。振り返ると、そこにはまだ弱々しくも美しい入道雲があった。自動車の窓ガラスに反射して、私はどこまでもその川べりを眺めていた。底流に渦巻く絶叫のきらめきから逃れた私は、少しの間、幸福の願いを纏うクラゲからも抜け出し、わずかばかりの時間は白昼の調を変えていった。
 Bill Evans『Intermodulation』の演奏が、共存の変異や繊細の撹拌を後押ししてくれた。All Across The City...私は、この街を歩く。そして全ての道が夢にも現すほど輪郭を意識した街に、追い風と信じた新たな出会いが地面に眠る声を感じさせ るだろう。春の後奏は、午後の診察が始まったばかりの黄昏より、短い。田越川の赤い橋はさぞ、絵になっていることだろう。桜の道にくたびれた、遠く見つめる川の分かれがある。
 この街の新宿は、東京の騒がしさを忘れるほどくたびれている。スパカツを食べた、あのあまりにも急かされた昼休みが、新宿のダイニングで、流れる人々を眺めさせる雑居ビルにて、わずかに夢を語る場所になったこともあった。夢の続きが閉店の知らせを届けることはなかった。私は今、誰かの物語を読んで、地図にある赤い文字、閉業の赤い文字を見つめている。
 とんかつ屋に入れず、つけ麺屋にかけこんだこともあった。それは運の悪い日であり、ビルのすきま風に感傷を掴みにいくほどゆるやかな昼間でもあった。余裕を、コーヒー屋の二階で味わうこともあった。友人の恋人がいたが、どちらも友人であり、どちらも友人の恋人であった。当然どちらの友人にとっても私は友人であり、恋人の友人であった。夕刻、公園に響くテニスボールの音や、バスケシューズがなぞる砂利の音を聞き、自らその音を奏でたりもした。休憩の折には、茜色にくたびれた都市が、群青色に過ごす私たちを勇気づけてくれているようだった。本当に忘れてしまった。私はあの日、群青が奏でた音を思い出せない。テニスボールやバスケシューズは決して青く染まらなかったのだ。ただ私たちが、いつまでも青く、徐々に青白く広がる青をリュックサックに詰め込んでいた。アルコールの波を胃の中で飼い慣らすふりなんて、そんなことしなくても良かったのだ。地下室のスパゲッティも、破格のラーメンも、贅沢な海鮮丼だって、何でも良かったとは言わない。ただ、青白くなっていく話題が密度を取り戻していった二人の夜にしても、 いつだって私たちには西口の立ち食いそばがあれば、本当にそれで良かった。
 有名な横浜駅西口の立ち食い蕎麦屋は真昼の日差しをあまりにも涼しげに、 五番街の入り口を絵に変えた。しかしこの街で売り切れたかき揚げ蕎麦のボタンをじっと眺めても、ふたつの駅の、そのどちらにおいても私の記憶は一人だった。胃のなかの絵を見ていた。
 一人の時、私はいつも同じものを食べていた。それは、同じものを食べる決断も、違うものを食べる決断も、やはりそのどちらにおいても私の記憶は一人だった。
 思い返す人間がいたとしてもそれは私ただ一人で、私が思い出してあげることさえしなくなってしまえば、それは沈黙の美を讃美することになるのだろうか。
 繰り返しは継続ではない。今、私はただ今日の記憶を記録するためだけに生きている。無意識になればなるほど記憶の意識は遠のいていく。そして、取り返しがつかなくなったことを知らないふりして、今この瞬間に見た現象をそのまま記録してしまうのだ。記録は虫けらのように生き続ける。あの頃聴いたひぐらしの鳴き声はまだ続いている。私はただ、生き続けていた記憶を聞いている。

記録 救急搬送
水面に浮かんでいると、青空が見えました。
私の身体に住む幼虫が一斉に飛び出してきて、今年も夏が始まったの如く、アブラゼミの鳴き声が響き渡っています。
声は海の上から陸へ届きます。
大通りをまっすぐ行き、ゆっくり進む電車の音と交差します。
川の音が聞こえてくると声は体育館を突き抜けます。
金属音が響き、耳鳴りは止みました。
記録 救急搬送 おわり

 記憶の引き出しは重い。当然だ。いつも開け閉めしているそれが大きな緊張と硬質に包まれていたのなら人間はもっと儚い存在だった。戯言の記憶を詰め込んだ狭い引き出しが、やはり狭い部屋の中で存在感を増していく。それはいくら日常で気づかないふりをしても、気にしないように端へ追いやっても、目を閉じても耳を塞いでも無意味な膨張を感じるだけなのだ。観察が迫ってくる。観察を迎え撃て。別に今すぐにでなくても良い。記録は虫けらのように生き続けると言ったはずだ。灰でも塵でもゴミでもなんでも良い。虫けらのように生き続ける記録がある。私は誰にでもなく、今、画面の目の前にいる自分に呼びかけるように、この文章が、私の引き出し、救急搬送の記録を鮮明な記憶に変える。
 またいつの日にか、尊敬を込めた涙とあなたが再会する日が来るだろうと信じずに、私はどうやって119…110のたった3つの数字をスマホに打つことができただろうか。この部屋に帰ればあなたの文字がそこにあった。その弱々しく、自らのこころを抱きしめているようなあの暖かい文章を読まずして、私は思い詰まった過呼吸の圧力にたった3つの数字を生み出すことができなかっただろう。無駄にすることなんてできなかった。だから私は文字を打ちつけた。記録こそ全てだと。そこからは何も覚えていない。私は記録していた。それが希望なのか夢なのか、感情なのか複写なのか、全ての虫けらのような記録こそがそうさせていること以外、何も思い出すことができなかった。大雪の斜面を、ダンスやリズムを人間の生として捉えて滑っていく風景に飲み込まれた音楽への焦燥が、消えかかる火を全速力で吹き消そうとして、しかし轟々と音をたて始めた。滝のような涙が生み出す音を、誰かが聞き取れるなんてそんなことはあり得ない。聞いてほしいと願うことに記録の引き出しが迫ってくる。「どこに行っても同じだ」その言葉は真理だと思う。私はどこへ行っても記録していたからだ。そして、そこに誰の、どれだけ凍てついた記憶が現れたとしても、私は両手であたためてあげたいと思っている。私が知る必要もない、聞いたところで知ることもできない時代を生き抜いたあなたにも「人生で大事なのは許すことだ」と囁きかけてくれたあなたにも、ここからの感謝が伝わるだろうか。私がここで生に必要な何かを得たとするならば、ごめんなさいとありがとう、それを誰でもなく自分の口から飛び出させる勇気だ。
 私は許すことを学んだのかもしれない。しかし、それでもなお、さっき学んだことを今すぐに否定しなければ自分の生を続けられない人生もあるのだ。私は、自分の病気以外の全てを許します。これは幸福なことなのかもしれない。世界で絶対に憎むものが、自分の内に潜み続ける病だったおかげで、それは運命による病気、結局自らへ向けられた憎しみだったおかげで、私は自分以外の誰かを傷つけるために生きたいと思うことがないのかもしれない。誰かの憎しみを握りつぶしながら作られる芸術に賛美を送るほど、私は芸術を知らない。どんな歴史のどんな流れで生まれたのかも知らないあの作品に、記録に、存在してくれて、そこにいてくれて、日常的に、すぐそばに、今誰かの目の前にいてくれて、ありがとうと伝えることしか、できない。
 全てが焼き尽くされた後に書いた私からの手紙を、あなたは読んでくれたのだろうか。便箋と封筒をリュックサックに詰めて、本当に良かった。

鑑賞者

 私は私の鑑賞者になった。最も優れた鑑賞者になるためには、私はあの時の私に出来る限り気づかれないように、幻想を纏う私になるしかその道はない。しかし残念なことだ。私は、どれだけ輝かしい未来にだって、振り返った先のわずかな光を望む。私は、絶望すら見通せない灰色の夢にだって、立ち止まった場所を感じる。 私は鑑賞者になった私を、このささやかな祈りが誰かに見られたりしていないだろうかと、幻想を隠し続けるふりに負けて、そうやってまた、鑑賞者の記録に変えた。ただ、それだけのことだった。  特権的な鑑賞者よ。私は今、偶然の特権を得た指導者だ。ノートなんて取らなくても、きみの考えていることを光だと思え。私は言葉を尽くすしかないし、きみが尽くしていないと思う、その尽くされていない言葉は言葉はではない。失えば失うほど、きみのうちに残った何者かが輝く。そして、きみはからなず、それを見ることになる。私の音はあまりにも明確で、誰かと集まる必要もない。目を閉じて味のないガムをかめ。音を聞け。耳を閉じるまぶたはない。私の文字が沈黙を表しても、あなたには文字が絶えず続いていることを私は知っている。私はこうしていつまでもかきつづける。誰の名前もない真っ黒な映像にきみの目が慣れて、やがて何かが見えてくるまで。それはただの何か、何でもない何かかもしれない。何もないところから生まれてきた私たちは、その生に希望がなくても、私たちのような何かがあったのだ。見えるものを見なくていい。それは長く、長く長く長く、あまりも長いことなのだと思う。叫ぶことができるのだとしても、この希望から明確に絶望する人が近くに明確ならば、叫びを飲み込んだ光になろう。自分の中で起こることは、なんだって行動だけが接続ではない。音楽は人を黙らせる。私たちは黙ることで光を捉える。沈黙の光が、底流に姿を見せ続ける。きみの流れはここに繋がっている。
 今は私だけが、何かを観察する誰かの何かになったと思う。誰かが、そこで待っていろと言ってくれていた。

出会い

 嫌なことを思い出す度に、助けてと書く。助けてと読む。助けてと声を出す。こうやって、少しづつ自分に合うやり方を見ていった。嫌なこと、なんてものがなくても、忘れたって言って、助けてって言う。叫ぶ。この世界が狂気でなかった時代を知らない。どこか異常性に気づいて狂気だと表現することは、この世界のあらゆる現象で容易い。何かをやりたくないと思った時、実は他の何ものかもやりたくないと思い、安心する。本当はやりたくないけれど、暇ですら狂気だから、誤魔化しで何かをやっている。誤魔化して生きている。死ぬ勇気はなく、生きているしかないという意見に共感しながら、強い気持ちで生きる理由があっても、それはそれで大変な気力が必要なのだろうから、生きているしかないくらいがちょうどいいのかもしれないと思う。想像が残されている。夢を生きる自分が、リアリティなどと言って現実に溺れることは想像に容易い。私でも思い浮かぶ、誰かの最悪を肯定していきたいけど、それが許されない最悪がある。必ずどこかで線引きをしないといけないことが息苦しい。グラデーションという考え方が通用しない時、私はどうやってそれを眺めればいいのかわからない。守りたい気持ちを守ることが許されない。鑑賞者になっているしかない。どんな最悪であるか、理解をできていない上で通用する発言として、お前も私も最悪でいい。と言う。考えなければならないことは、その最悪を誰かにどうやって伝えるかどうか、それだけだ。無言を賛美することは、最悪を肯定することに繋がる。それで助かることがあるのだろうか。先人たちは、誠実な言葉を残してきたというのに。きっと私たちはいつだって助かりたいと言うのだろう。しかし、関わっていないことは、それは恩人にとって、存在していないことと同じだ。観察を記録するのではない。観察した記憶を記録するのだ。今の私に必要なことはそういった自分の過去だった。同時に、そういった誰かの過去を観察し、必要としていくしかなかった。それはどれだけ寂しくでも誰かがいたように思えるからだ。何かがあった。そんな青春を、寂しさがないものという概念で、私は信奉していた。私は忘れている人間を信奉していた。それは忘れたふりであってもそうだった。人は歩いていると全てを忘れる。だから立ち止まって書く。 文字は止まっている。リズムはない。人間を静止させている時間に価値のある音楽が好きだ。ダンスを否定してしまう。阿部薫の”誰よりも速くなりたい”という生き様を新しい物語で始めるのならば、私は、”誰よりも長く止まりたい”と書き出す。 踊らない音楽のように、リズムのない文字のように。
 駅前のコーヒー屋でかかっていたボサノヴァのスタンダードが私に文字を書かせているこの現象に、ダンスやリズムのなさを、どうやって説明していけばいいのか。音楽が生み出すダンスやリズムへのどうしようもなさを、どうしようもない時間の停止を見せてくれる。止まっているものを見る。その報われなさが人間ではない時、いや、人間だとしてもそうなのかもしれない。私は街を歩いてることに気づく。誰の散歩をも否定できない理由、それは必ず自分の力で歩いているからだ。自分が歩いていなくても、そばにいる誰かが必ず歩いている。その力を感じずに散歩を行うことはできない。家の中にいてもだ。散歩の可能性を見出していた。あらゆる場所で”歩くこと”が自分の力を否定してくることに、否定された散歩こそ歩くことだと思う。散歩に恐れ 、散歩を否定する。それこそが自分の力で歩く散歩なのだと思う。私の散歩は、誰よりも長く止まりたい自分が否定してくる散歩だ。自分への否定を無意味な比較だとは思わない。否定した先に、意味のない散歩があった。

きみとあなた

 誰かとしてではなく、私の中のきみとしてだけで、あなたと接してしまってごめんなさい。
 何者でもないあなただと捉えさせてもらえたおかげで、私は自分も、誰でもない人間で良いのだと思えます。ごめんなさい。でもあなたのおかげで生きています。 人は、伝えても無意味な、いや、むしろ傷つけてしまうような感謝を抱えながら生きています。この事実がいつかあなたを救ってくれるのではないかと信じ続けられると思うほど、私はあなたから素直さを感じました。あなたと、私の中のあなたで最も大きく共通していたと思う希望は、素直さです。私は、私の中のあなたに感じる欲望が素直になればなるほど、またあなたの素直さを感じたくなりました。
 私が誰なのか、あなたが誰なのか、それは、あなたが思う誰でもない私と、あなたが絶対に信じているあなたとしてのあなた自身です。そういった関連が、誰でもないきみを見続けている理由です。

シャララ

 今日、海へ来た人が、今日が年度末だということを知らないはずも、意識せずに海を眺め続けることなんてない。見えなかった足跡が見える。水面に近づけば近づくほど見えてくる足跡が私の目的を曖昧にさせていく。死に抵抗するはずが、どうしてもぼやけていく。それは素晴らしい生き方だった。使う言葉を選んだ自信に溺れることなく、疑いのない気持ちだけが紡がれていく。波が引いた時、息を吸う。波が打ち寄せた時、息を吐く。目を閉じていても波の音はわかる。耳を閉じていても波の形はわかる。風の流れは、鼓動の速さは、海にわかる。自分にひどく向き合った文章を書く時、他人からの意見や感想もひどく突き刺さってくる。もし、感情を賢く利用することができるのならば、今、私は最も正直なのだろうと海を見る。そして正直な言葉は、どれだけ不器用でも、誰かに届くはずだと信じることに罪悪感を抱くこともない。問題が、あなたの絶望にあるのならば、誰にも言えないようなことが自分に正直な文章を書かせていると、そうは思わないか?孤独の痛み から見出した音楽を、誰かとの友情のために、友情から育むなどという楽しみを私が許してくれないことに、自分の使命を感じている。悲しいから以外に音楽を聴く理由がわからない。音楽があるから助けてと言うのだ。私は音を止めないことにどんな悲しみがあるのか理解できない。音は止まらないと祈っているだけだ。世界中の全ての音楽は絶対に誰かの好きな音楽だ。この悲しみには作者だけが好きな音楽だって含まれている。自分の成果をパロディだと疑う姿勢が正しすぎるほど傲慢のフィルターを通させてしまった以上、それが、先人たちをリスペクトした芸術になることはない。許せないものが自分に纏わる悲しみだから、悲しみを必死に隠すことだけが纏わりの必然に変わる。他者の悲しみを批判するほど自分の理論に頼ることなんて”強くない”自分にはわからない。私は、”強さ”を見出すことにのっぴきならなさという絶望が浮き出てくるステージにいる者たちから、ただ、遠く離れていき、遠くから眺めることしかできないことを自分の心地よさに交わらせた”弱 者”に鑑賞者の自分を分け与えたいと祈る。波はどんな形を取っているのか。私は波をどんな形で捉えるのか。健康を目指すことが”お前はまだ弱者なのだろう”という同じ形でしか達成できないのであれば、あなたの鑑賞者がその認識に涙していることを忘れているだけだと信じたい。
 この空間に、今どれほど同じような現象をまなざす人間がいるのかを注視しなければならない。現時点での、そこからの道のりの、選択に対してこれまでの心地よさを利用できるか、できないか、その分岐点だと言える。私が見た、快速の鉄道がすれ違う5秒間。ほんの少し前の、ほんの一瞬の記憶が記録の形を必然にする。今見たものに今すぐ接続した記憶は欲望の記録となる。さっきの5秒間がまさにそうであった。私は恐ろしいほど街の同じ場所を見続けて、渇望を待った。
 何にでもすぐに駆り立てることが簡単な時代となり、当たり前に付き合っていくしかないその考えを否定することがさらに今の渇望を加速させている。それはフィルターを持たない者から出た透明な傲慢だったのかもしれない。私はそこに色を付けたいだなんて思えない。たくさんの色を見比べられる今がないと、今そうしている、今そうでないと、今始めないと、今認めないと、もちろんそういった人生もある。良いだろう。しかしあなたは色に溶けた透明な感情を否定し続けるしか自らの色を主張できない。私は、何色が透明に近いのかという議論を始めたくない。
 病気が良くなっていくほど、かつての絶望への向き合い方は難儀を高めていく。 狂ったように同じ音楽を聞いていた。今はそれを、過去を避けるように、お茶を濁すように、まずぬるま湯につかるように、何かほかの音楽を聴き始める。それがなんでも良かったなんて、誰かに伝える必要はない。
 桜の花びらが散る公園でOrnette Colemanの『Free Jazz』を聴いた。走り回る子どもたちを見て、歴史的なジャズの録音と同じくらいアヴァンギャルドな好奇心を感じた。私から彼らに何か言えることはない。ただそこに鑑賞者がいて、いつかそこに鑑賞者がいたことを思い出す記録に出会う一瞬の光を自らの記憶に感じる選択がある。思っている人がいるかもしれないと思えるようになるきっかけになるためには、思っていること、鑑賞者であることが必要だ。眺める。それは見ているのに、放出している。うちの中に潜む何かがあればあるほど、耐えられない放出の感覚が、今ある景色すら少しずつ変えていくように思える。鑑賞も老化していくのだから。

異相

 車輪を止めることができない。燃料を入れ続けるしか選択肢がない。それで進んでいるのかもわからない。熱量を感じていないと落ち着かない。レールの上で、大きな車輪で始まった人間の恐怖は、遠くから、ガタガタと、灯火を消し去る、迫り来る鉄の塊を意識させられているのだろうか。私はいちいち両足を揃えて数十センチの隙間をジャンプしている。高速で横切る風景と変化のない風景。踏み殺した速さは、それほどの速さでないといけない。高速で横切る情景と底流を見る風景。無数の恐怖は、鼓動を傷つけて誤魔化さないといけない。私は、急速に変わっているという世界を、過敏性が急速な変化に作用している人間たちの主張だと思う。あなたたちが緩やかな変化を見つめることはない。私も、あの情報を瞬時に取捨選択し、必要ないと諦める能力を持ってはいない。急速な変化と緩やかな変化は手を取り合わない。功績を忘れ 、過程を忘れる。
 疲労は脱力だが、緊張の鉤にかかりやすい。それが怖い。だから疲れることが怖い。たとえ緊張していても、自ら調整できる別の緊張を選択する。疲労は緊張だが、脱力の鉤にかかりにくい。それが支え。だから疲れるしかない。たとえ脱力していても、自ら調整できる別の脱力を選択する。
 信号待ちが怖い、マンホールが怖い、大きすぎるマグカップはスマホが落ちそうで怖い。過去の自分を否定する人間にはもうなれない。あなたはいつどこであの業火の否定を手に入れることができたのだろうか。道を作る同士に勇気を分け与えられるとは思わない。確かにその存在を認めているだけのことで、狭い意味で私にとってしてみれば、存在だけを無邪気に賛美して、与えられるものはないと思うのであった。孤独に慣れ始めると、それが孤独ではなっていく変化に勘違いはできるから、その度に孤独はいつも新しい。
 私にとって芸術は、題名を見て想像したものと遠くにあればあるほど優れている。通り過ぎていかない芸術を見つめている。ただ見る。たった一文字の変化に込められた題名が、作者が必然に、その作品にせざるを得なかった、今では一瞬にしか思えないほど過ぎ去った恐怖を表している。私はうつ病という題名を使わないだ ろう。いつだって、あなたはあなた自身をそうだと言っていいし、それが正しいのか、もうそうではないと判断することは難しい。しかし、そのような時、題名から芸術を受け取りたいという欲望が存在していることを考えることも、そのような時のその主張があなたにとって便利になっていることを願っている。
 私は、音楽におけるダンス、詩におけるリズム、絵画における時間、その全てを否定した芸術を作りたい。流れていいものがない。今、静寂に見えている絶望を知ることはできない。自立は絶望を知った瞬間から終わらない。しかし、絶望を知らない場所があることはなぜか、知っている。

孤独と太陽

 私たちは赤瀬川原平に出会えることを幸福に思えるだろう。重たいリュックサックを寝かせ、軽く、小さなポーチを肩にかける。私たちは温度計、時計、巻尺を揃えることになるだろう。服装を決める判断。行動までの判断。買い物の判断。ボタンを押せば時間が進む。時間は私たちとは関係なく進む。関わっている幻想を捨て、関わっている時間を把握する。カウントが上がって行こうが、下がって行こう が、ボタンを押した瞬間に、私たちの幻想の時間は動き出す。上を見る人は下を、下を見る人は上を見る。特別なものが、今、私たちにとって特別に思える場所にあるのか。
 私たちの特別の感度はどこにある。もう街には無用なものがほとんど残っていないように思えた。超芸術トマソンは、その巨大なインプットに私たちの感度を濁らせ、さらなる無用を街の中に隠している。
 マクドナルドでケチャップ抜きを注文するはずだった。私たちはなぜかトマト抜きを宣言してしまった。店員の服も、信号機も消火栓も赤なのだ。さっき見た夕日は赤だと言えないだろう。
 夕日は赤ではない。夕日を見て赤だと思わせるのは誰だ。
 レシートの数字を足し、車のナンバーを足し、一桁で区切った全ての数字を足した。三桁で区切られていても、いつも真ん中で、枠の外の世界へ行くことができな い。誰かに続いても、すぐに特等席を取られてしまう。電話がかかってくることは知っていた。でも、それがいつなのかはわからなかった。
 音楽の編成と同じ人数。利き手、進行方向、波の音を聞く耳。楽器の位相。
 トラックの荷台からジャンプする人。チューイングガムの板から水の中に飛び込む人。
 幻想の青春を思い出し、偶像の色彩を見る。そして今、私に訪れた初めての感覚を、幻想の中では青春と呼ばせてほしい。青春はどこにも行かない。私が逃げていくだけだ。
 もう赤い液体は、トマトジュースなのかリンゴジュースなのかもわからない。何も見えないから。赤い夜空に気づく人間。幻想が現れることにかけがえのない夢を与えている。
 沈む太陽が山に隠れる。日没の角度。水平線を見届ける。
 私たちが納得できる理由、直感、誰かが言葉を尽くし、説得してくれているからだ。誰かに尽くされたであろう言葉を省察しなければならない理由に思う。作品を発表することには無性の愛が含まれている。名指しの誰か、当て書きではないのかもしれない。たとえそれが当て書きだと気づいても、それが当て書きなのだと、私たちは言わない。過激な言動を繰り返すことに怯え、孤独な絶叫を愛する。私たちの個性を静電気のような笑いに変える。笑えればそれで良いのだろうか。私は提起する。
 水面を弾く電飾には波の力と別の意図がある。なぜ私がその風景に心を溶かしたのか、それは私が厳しい理論を持って決める権利に隠されている。なぜ私が今この音楽を止めたのか、その時の風景はどう迫ってきたのか、それは私の見た芸術の原点である。止まらせる風景が優れている。止まらせる音楽が優れている。あなたの目には今、何が映っている。
 音楽を丁寧に、大事に聴こうと思った一度に、作者、演者への気持ちを伝えたい感情が現れない、そんなことはない。音楽を逃避だと言うのならば、私は自分の感情だけを音楽へ閉じ込めている。あなたの前で素直になることはできなくても、あなたの芸術ではどうだ。
 風景を見て痛む身体にあなたは最も大切な風景を思い出しているはずだ。
 風景は全て直感で共有されるようになった。全てがあるようで、直感は直感のまま、通り過ぎてしまった。私たちは瞬間移動すらできるようになってしまった。
 SNSを見ている時、動かずに瞬間移動をさせられている。全ての風景は場所としてシェアされるようになった。 私は芸術家になる人間が行く場所に瞬間移動し、芸術家から離れていく才を持つ人間が行く場所の風景を見る。その風景は、あなたの意思表示が溶けたあと、耳を塞ぐためのイヤホンから解放されると、私は理解できる。いつかこの直感-芸術になる前の機微が存在しない芸術はない-を裏付ける理に辿り着くのだろう。
 夜に歩くこと。私たちは今日も一日生きられたことに感謝できない。夜を歩き切れば、私はきみのご加護を感じるだろう。それは容赦無く、太陽の光を加速させてしまうだろう。人間は音楽を耳に入れて、夜を過ごす時間を減らしてしまった。
 私はほとんど音楽になっていた。だから死ねなかった。音楽を止めても、音楽を包むさらに大きな音楽があった。どこかで鳴っている音を感じる、夜があった。
 抽象的になることは、瞬間移動を隠すことである。誠実でありたいことが、唯一あなたに返せる沈黙への感謝だ。
 あなたが、あなたの頭の中で作られてほしい音楽について、私はどれだけ美しい讃美歌なのだろうと思う。
 見せ付けられてしまえばそれはまた違うのだと、沈黙を追求するあなたに興味があり、私はいつも逃げていく過去に似たような興味がある。
 優雅な感傷だけは詩的に沈殿したままだ。

無駄な鑑賞

 無駄なことがしたかった。無駄なことをしようと思える気持ちが僕の中を疾駆した。無駄を恐れていた。無駄のそれ以外が無駄ではないと必ずしも信じられたわけではない。しかしそれが無駄以外の何かであると思わされるほど突き動かされる運命を纏わずして、僕はどうして今この無駄にかける迷いから緩やかな角度を見せる上り坂を見ることができただろう。ほんの一瞬という重苦しい時間が続く広大で恐ろしい荒野に立つ僕は、僕の嘘によって勾配を感じ、僕の嘘によって、緩やかな角度を頼っていった。速度を上げた嘘が近づいていく海は、あの山頂から見た水平線や夕焼けよりずっとゴミだらけの荒廃した終着点だった。しかしそこが行き場のない隅ではないと必ず信じられるほど、僕は隅が好きだった。必ずしもそこが僕の隅だと思えなくとも、そこが誰かの隅であることに僕は惹きつけられていた。あまりにも緩やかな下り坂をじっとしているように直線で動き、僕は海にいた。
 僕はK地点からH地点まで移動するために倍以上の時間をかけてJ地点を経由してみた。しかしそこにも海があった。海に沈んでいく僕らの代わりに太陽が水平線に沈んでいく姿を見せた。
 社会からはみ出すことは、常にあらゆる対象年齢から外れた世界にいる恐ろしい空気吸わなければならなかった。時代から抜け出すことが永遠の若さならば、僕はそれを幻想の中でだけ叶えながら今日も夕日を見つめていることだろう。
 原口統三は逗子海岸で死んだ。彼の『20歳のエチュード』は沈黙の前の謝罪を繰り返していた。僕は誠実の後に死があるのだと思う。死が人生を誠実にさせる。生の運命を否定しても、どうしようもなさが運命の水分に交わっていく。記念碑はどこにある。不如帰の碑よ。僕は君の死の前の誠実を見つけたい。誠実の前の、芸術の前の、底流や幻想や荒野の前の、運命や嘘の前の、水平線の前を見つけたい。
 一人の長い演奏が、勾配を緩やかに、この世界の広さを見せてくれる。それはその通り、緩やかな流れでしかないのかもしれない。
 僕は音楽を好きになればなるほど、音楽で踊る自分よりも、音楽で踊り出す文字が好きになっていく自分を感じている。
 僕は文字の鑑賞者であり、文字が僕の鑑賞者でもあるのだと思う。僕は音楽を聴き、音楽は文字を踊り、文字は僕を見る。その移動は複合的なものには何重にも交わる動きであり、周期的なものであった。たくさんの交わりは点を生み、血の巡りが悪くなるように僕の流れを堰き止めるようだった。
 実は僕は鑑賞者ではなかった。僕は音楽が好きなのだ。しかし、僕は鑑賞者になるふりをすることができた。それもやはり音楽が好きだからだ。しかし、鑑賞者のふりから逃れるために愛情があった。
 鑑賞者とは、ここではないどこかで自分ではなくなることだ。そこには誰かの希望や絶望があり、僕の今日を呼び出し、今日を生きられない僕が姿を表す。

図書館の中庭に風が揺らす木々の音を聞いた。
目を開けると、正面にぽつぽつと立つラベンダーが揺れた。
誰もいない、白く丸いベンチは、ブルーイングリーンの囲いに。
吹き抜けの青空とレンガの支柱が。遠くゴミ袋が。
清掃業者の制服に身を包んだ人がスルスルと、通り抜けていくのも今日だろう。
木々は正方形の花壇に根を張り、20°ほど開いたガラスに反射する日差しを見た。
私はテーブルに映るスマホの影を少しだけ動かしてみたりしたのだ。
4辺のガラスが呼応して、そのガラスはやはり、20°の角度で影を空に映した。

液晶画面に映された
紫色のカーテンは
花瓶や写真やトロフィーの
沈むオレンジ ラベンダー

習性

 習性の起源は絶望から光への逃避である。僕らは光から遠ざかるミミズのように夜の街を歩く。そこには、僕らの光となる光源がなく、目を閉じたときに聞こえる光がある。

圧縮

 圧縮された時間をなぞる音楽は、精神の時間を遅らせ、いくら音楽を聴いている体感時間が短くても、それでもバランスを取らせようと、自らの精神世界のスピー ドは減速している。決められた時間の音楽があることで減速した精神を感じる”ダウ ナー”は、世界との差異に適合するより、音楽を聴いている間の減速に適合し、圧縮された音楽から世界への解放に猛烈な速さを感じる。タイマーやアラームをセットし、その、迫る時間を認識している間、僕らは世界との間に音楽を作っていた。睡眠中の夢の中で目覚ましのアラームが迫り来ると認識した時、僕らは圧縮された音楽を聴いているだろう。僕は今、音楽について、音楽の時間が、音楽によって自分の体感時間がどれほど圧縮されているのか、自分の体感時間が世界からどれほど圧縮されているのか、その興味だけで、24時間の間、自ら選んで音楽を聴くことをやめてみた。
 音楽を聴かないと決めた途端、SNSを見なくなった。見なくても良くなった。音楽を聴くためにSNSを見ていたのだ。それは音楽を聴きたいというより、人間にシェアされた音楽を聴くことで陽動されたい欲求を満たすためだ。数十分間。音楽だと思ったことをメモしていた。
並んだスリッパのズレ
飛行機の音のうねり
鳥のさえずりの頻度
検索エンジンに打ち込んだ文字数
リバーブのようなあくび
 僕は改めて、これらの音を全て録音した。圧縮が行われた後、新しい音楽になった。
 窓を開けた会議室に流れこむキンコンカンコンという音を録音したのはレコー ダーだが、あの体感時間は僕の中の迫り来る時間との差異だった。
 僕は圧縮された時間ばかりを多く選択させられ続けている。精神世界のスピードは遅くなり、現実世界が早く感じる一方なのだ。音楽を聴かない時間を作ることは音楽を聴いている時間と似た、この時間は終わらなくても良いが、やがて終わるという感覚に、時間を区切ることの重要性を思い出させた。
 僕は最近、散歩にストップウォッチを持ち出し信号機の時間を計測していた。そして精神世界で困った瞬間、なるべくストップウォッチのスタートボタンを押し、 経過した時間を計測していた。それはより緩やかな圧縮が行われている音楽を感じる時間に思えて、音楽を聴くことに適合の適性がある自分にとっては、社会との差異を縮めるために有効な選択肢だった。
 あと何分、あと何分と精神世界が数える迫り来る時間は、圧縮された音楽を聴いている時ほど精神の時間を遅らせ、世界のスピードを早く感じさせてしまう。そんな時、音楽が好きな僕が聴くべき音楽はむしろ、世界の時間の流れに近く、音楽にも近いもの、単なる時間の経過を認識することなのだろうと思う。僕らの世界には基準となる時間があって、多くの人間がその感覚を信頼せざるを得ない世界に生きている。だから僕が今ストップウォッチのボタンを押してから止めるまでは、圧縮された音楽を聴くよりかは人々と近い早さの時間を認識できているのだろうと信じられるほど、僕は音楽を基準にしたトンデモ理論の拡張が僕にとって有効に働いていることを理解し始めている。
 誰かにとっての理解不能な、一見しても、読み込んでも、どちらにしても破綻している設定の拡張が、感情の継続で自然と圧縮されてしまった感覚からの解放によって、その人物の精神世界の時間とバランスを取るように作用していることを感 じる。

永遠の逗留

太陽
古い太陽の碑に晴天を仰げば、古い太陽の上に新しい太陽あり。古い太陽の碑に鉛 色を均せば、古い太陽の下に新しい太陽あり。ここに見える太陽に、常に輝く太陽に、逗留の一時で永遠を刻めよ。

停止
電気が止まり、音楽が止まり、人間は騒ぎ出す。電気が止まり、レコードは回り、 人間が静まる。蓄音機を回す君の手が音楽だ。

骨董品の鏡

なぜ、お前は幸せになろうとする?
骨董品の群れが、私の背中に問いかけてきた。
この狭い墓場に客は私しかいなかった。
私はドアのない出口を抜けると、話題の、新しい音楽を再生していた。
私は戦争映画を観た後の、サラリーマンで溢れた昼間の新宿に取り残された風景を思い出した。
私は瞼の裏で、曇り空に色づく風景を見た。

Mare Nostrum

 その日、柔らかいフライドポテトを食べ歩く人々によって砂色に香り付く商店街があった。聴覚と嗅覚を閉じ込められた僕が想像する風景と、束の間の休息に会話と食欲を大きくさせた人々が交わり、足早といっても僕にしてみれば落ち着いているように思えた。アイスクリーム屋のベンチから目の前の古本屋を眺める人がいて、ストリートの子どもたちは自転車で遊んでいた。バイクが横切る音に、キーンと鳴る太陽の光に、折り畳み傘を開けば白昼夢だった。老婆は時間をかけて商店街を往復した。今日もその表情を知る者はいなかった。洗濯物が店の二階で揺れてい る。誰も見ていないアーケードの上はいつだって彼らのステージだった。海を求めた僕らの潮騒には交わることのない役割があった。自動販売機で立ち止まった人がサイダーを喉に流す時、永久に動かない青空を感じている。犬の鳴き声が車道を横切った時、透明な鯨は空を泳いでいる。太陽が作る波のきらめきは、誰がきらめい た波を見るのだろうと水面を照らす。どの波がきらめいて、たくさんの波がきらめいて、人々がそのどれを見ているかなんてわからない。無数のカラーコーンと無数の轍があってなびくリズムに、またトラクターが横切る。未完成の木か、未完成の自然か、自らの目で捉えたものこそ、それは全て自然だ。その自然に影はあるか?下振れた夏の波に響く重機の音に希望を感じている僕が、どうしてこの進歩を、文化を否定するのか。どこにこの成長の文化から逃れた希望があるのか。希望とは、進むこと以外あり得ないのか。僕は、やがて壊れていく若さに、僕は今、若返ってしまったことに絶望している。崩れかけた砂の城が一瞬でゴムの跡になった。打ち寄せられた海藻を啄む鳥を切り取った僕がいる。僕はもう、イヤホンもマスクも外していた。ここにはもう、海に入る人たちがたくさんいた。
 夜、旗がぐるぐると巻きついて、何もわからないくらい風が強くて、スピードを 出す車がまばらで、引かれたら死ぬし、イヤホンを外してみたり、涙で自動販売機のひかりもブレて、コンクリートに、強めに足が引っかかって、自分の鼓動も聞こえてこないほど無音の街が暖かった。

気泡

 私は再び、成長という言葉を使い始めた。
 文字を書く。幻影のために。音を伝える。幻聴のために。僕は誰かの夢の中にだけ現れるような存在でも良い。目が見えなくても、耳が聞こえなくても、全ての感覚が消えかけても、夢の中の魂へだけに語りかける。
 それで良いのだと、私の長い話を聞いた人は言った。
 私は夢の中の底流を失った。だから成長を使ってでしか現実を語れなくなった。 その、明確で孤独な光の瞬間を、私は、眠りの暗闇の中で記しているだけだ。
 現実世界に発表された感傷から、誰も知らない気泡のようにわずかな笑いが割れ始めた。
 どれだけ静かにキャップを開けたとしても、炭酸は弾け飛んで行って、戻ることはないように思えた。

沈黙

結局、俺は星が泣く沈黙に耐えられなかった。
隣の誰かを願えば、お前の声は細くなる。

地図

 紙に書かれる全ての瞬間は汚すことだ。
 脳を駆け回る思考は罪悪感を繋ぎ合わせる負のスパイラルで、そういった思考自体が負なのではなく、そういった思考が生み出し、記憶を化合させて生まれた物質による脳の停止の瞬間こそが今も私に与えている最大の負だった。思考を止めるということは口を閉ざさせることでもある。今日の私に思い出させた”あゆみ”は脳以外のどこかに存在する記録だった。いつだってどこだって良かった。私が見て、聴いて、感じる街の全て、その永遠の静止を願うような崩壊に、私はただ歩き、書いた。私の膨大な罪悪感は今ここにあり、微かな責任感は過去にある。見守ることの大切さを観察とは取り違えない。私は自分の記憶を人と街に切り分け、見守り、観察する。
 真っ白な脳を歩こう、そして真っ白な紙に地図を書こう。私は残されていたことを理解した。脳を歩くことも、地図を書くことも、街を観察することだ。
 家を出た瞬間、コンビニでアイスコーヒーを待つ瞬間、トラックで運ばれていく空っぽの自動販売機を見た瞬間、私は涙を流していた。私は無意識で駅前の信号機を無視して横断歩道を渡っていた。私は振り返りながら、まあ、人はこんなもんで死ぬのだろなというしょうもなさ、しかしそういったものをいくつも避け続けてきたこれまでのことを思った。私はコンクリートを見ていた。それは過去を見ていたのだ。私はゆるやかな青空を見て、いつか死ぬ未来を見た。
 今を見ている人に死を見せるようなことはできないが、どちらにしても、今を見ることしかできない。罪は今にある。
 何度も何度も地図を見てジャンプして、私は社会へ無言の抵抗をしていたけれど、私は無言で無計画の散歩に出かけるようにもなった。

説明と沈黙

 説明をしないことが今の私の生きやすさであり、説明を聞かないことが今の私の生きやすさなのだとわかった。曖昧で良いなんていう説明をせずに、私はどうやってその肯定を伝えることができるだろうか。説明に対する怒りもまた説明であることが多い。私たちには無言を賛美することしかできない。無言を知っているのは自分自身だけだ。しかし私たちは誰の無言をも賛美できる。私たちは無言を知ろうとするのだ。意見の無い者による身勝手な期待だと説明する者は、むしろ私たちの無言を知ろうとしすぎていることすらある。しかしその期待は強さという言葉に隠した圧力だ。自らの期待を他人の上に乗せ言葉を封じている。私たちの無言は自らの期待を自らの上に乗せる。自らに課した沈黙こそ最大の肯定だ。期待した瞬間の肯定を夢に見る。別にそれだけでも良いのだろう。これを、説明を聞くことが生きやすさである人だけに届けることができたのならば、いやしかし、そうでもない場合にこそ存在している私が知らない沈黙に、御託だと思わせることができたのならば。どうしようもない私は、自分の説明を御託だと何度も言われひどく傷ついたことがある。正しさに言い返せなかっただけだ。私の説明は御託で正しかった。それは、その説明がどんな人に伝わってほしいか、ほとんど無意識で決めていたからだろう。

信号機

 ここには昼間のように点滅で変化を煽る青信号もなく、常に黄色い警告が鳴り、 閉場の薄明かりと、遠く、赤く、長く、閑散と照らされた裏通りがベンチを一晩中眺めている。電光掲示板から消えた文字に、満車の列に並ぶ恋人たちを満たされているのかと思うように、空にもなれない僕たちの存在を知られることはない。灯台が投げかける。水面に。夜空まで青く見える。商店街を高速で通り抜けるバス、お前が知っている光は駐車場とクリーニング屋とコインランドリーだけ。運転手は後でインドカレーを食べたらしい。よく見たら自動販売機も営業中。マンションの一階が眩しい。広く、怖く、遅く、平常心で佇む廊下だ。壁はボロボロなんだけれど、耐震、免震は、どうやらしっかりとしているらしい。僕は思い出すことが少しだけ心地よかった。痛みに慣れるしかないと思っていた。だからぼやけたあの世界の地図を書きながら、言った。同じ道をもう一度歩いてみることだ。地図は彫刻刀で書く。刃物で傷ついた色を眺めているしかなかった。手で掘った砂が城を作る。 潜る速度すら速くないといけない世界にはしたくない。今では、水を吸いこんでしまった時のプールがうつの苦しさを対比させていたように思える。底に散った透明な光を持って帰る。輝かせていたのは圧力か。集めたとて、もはや誰かに見せても理解できるような光ではなくなっていた。ただの不親切だった。サービスを提供するために妥協するのならば不器用で身勝手で、ただ不親切でも、そうでないと伝わらない人のためだけに地図を書く。それが理解のために読まれるべきだとは全く思わない。透明な地図は無色の地図に、そして曖昧な地図に変わる。方角はなく、直感の磁場を見て、しかしその意味とは方角だった。信じられる方角には何があったのか。決して未来を殺すための詩ではなかった。実際僕は未来を殺そうとは思えても、できなかったし、そんな勇気がなかっただけにしても、できなかった。それでもあなたは行動だけが真実と言うのだろうか。”お前は”行動が正しいと言って殺した。生き残ったものには死を突きつけた。振り返って長かっただとかあっという間だったとかそんなことはどうだっていい。想像上の一歩に無限の可能性を描くことが希望であって、夢も幻想も抱きしめられないことが希望だ。僕は夜空に点滅する信号機を見て泣いた。今日はかつての散歩の記憶を拡張させた。僕は想像の中でしか歩いていないから。

アフターグロウ

 ひとつの連絡と、ひとつの準備を済ませた私は、これっぽっちの予定を完遂して海へ歩いた。たったの数十分が彼にとってどれだけ暖かく輝いたか。夏の日差しが海面を煌めかせた爆発。波のひとつをよく見れば、彼の目で感じたこれっぽっちに近い輝きだろう。缶ビールをひとつだけ空けた。もうひとつはリュックサックに入れた。炭酸が弾ける音はいつだって、この街の潮騒を淡い思い出にした。海で聴いた音楽のことを考えることはあるが、今ここでその音楽を聴く必要はなかった。彼は人を頼ることは苦手でも、音楽に支えられていた。だから自分が音楽に愛されているような現象をたくさん見てきた。今日はひとりで大丈夫だと思った。耳を塞がなくても、街の声をそのまま聞いてもいい。なぜなら目の前には穏やかに沈む夕日と、穏やかに続く潮騒があって、ただそれだけでいい。そんな事実を僕が受け入れ られない時でもずっと、そのままにしてくれていた海があって、海は、受け入れることも話しかけることもなく、ただ、"僕"の幻想が夢になってまた最初の砂浜に足を踏み入れた一歩に戻ってくるまで、いつまでも海はひとつの海なのだろう。
 夕焼けには間に合うようにと、何時間もかけて家を這い出た彼が、彼にとってもかつてと言えるほどのあの頃に聴いた音楽を再生していた。ずいぶん久しぶりのような気持ちであったが、その時の一瞬の気持ち以外は嘘だった。その日の夜、彼は、あの曲を歌っていたかつてのきみが̶-今こそ伝えるべきだと思った。いや、実際はきみがまだあの曲を好きでい続けているだけなのだろうけれど̶-歌っているあの曲を見た。"私"は自分のこと、そしてこれまでの全ての感謝を伝えてしまいたい気持ちになった。今すぐに、簡単にできることだった。どうして夕焼けに間に合うよ うに家を出ようと思えたのか。どうして夕焼けが美しいと思えたのか。それは、音楽が風景に重なる瞬間だけ、きみは光でいてくれていると信じていたからなのだと思う。たとえ夜に沈む痛みの叫びを知っていたとしても、どうして今だけは美しい風景を見てはいけないと思わせていたのだろう。どうして変化のための力学が人間との会話でなければならないのだろう。きみが歌う一瞬を、私はゆっくり見ることができた。音楽との対話が幸いなことだったのか、それはまだよくわからなかった。
 夕空に立つ一番星をきみの光だとは思わない。しかしこうしてこのまま見上げていればいつか、同じものを見て、近い感情を心に沈めていたのかもしれないと思 う。
 声と耳が繋がっているだけだった。
 夕焼けを逃した日に、痛みを癒す方法が見つからない夜に飛び出した路頭でもうただこの身体を走らせるしかないと駆け出す感情に、私は病によって抑え込まれた選択を見た。現実でも想像でも幻想でも夢でも嘘でもいつだって、私たちは全力疾走を持っている。 作者には物語をハッピーエンドにする選択肢がある。私はそれに救われたのではないか?私はとびきり明るい音楽を選んで、最後に流す涙を信じられるのか?
 翌朝、水たまりに映った一瞬の笑顔よりも、水面の底に揺らめくただひとつの月が、彼の脳裏に焼き付いていた。

遡行

 私の数年間は、病の速度に合わせる期間を社会から阻害された魂の人格が生み出す作品で計ろうと、釣り合いの取れた無言で、個人的な境遇が無意味に広がった暴力を抑え込むための緩やかな道だ。他人を塞ぐ感情が自分にも向かってきた時、私には病を支配する選択が、やはり緩やかに遠くの方から感じていた。

“現代人は自分の膚の感覚を信用しなくなつてしまつた。本当に明晰なものは自己の 裡(うち)に住んでゐるのに、彼等はそれが外から与へられると思ひこむのだ。"
二十歳のエチュード 原口統三

 外を求めた瞬間、釣り合わせるための忙しなさは外から迫る。私は内なる病から得た自己の感覚を信じるために、理解するために内に潜む痛みから芸術を鑑賞するだけだ。

潮騒の夜に

 私があのホームに立っていた時、コンクリートの隙間から見える青空が呼びかける夏風の音より、何も知らない地面が叫ぶ無音に価値を感じていたのかもしれない。
 無音に応えるように無言でその価値を感じることができたとて、追い求める積極性が内に潜むほどの境遇ではない。目の前の鉄道がずいぶん遠くの軋みに聞こえた。それはいつも自分の部屋から聞こえる電車と似ていた。魂が全力で抜けていくように夜の街を散歩させられることが決まった瞬間と、気力のない自殺を考えることは似ている。
 気力のなさは私の幸いであったが、気力のなさを引き出したこともまたそういった境遇のおかげだった。結局、私は最後まで外部に何かを求めようとは思えなかった。
 耳の中に直接投げかけられていた音楽を歌う君はどこか遠くにいて、しかし絶対にどこか遠くにいることを知っていた。だから私は、君に会いに行くことだけを決めさせられた。何も言えず、誰もいなかった時、砂糖みたく甘い潮騒を聞いてい た。

タイムスリップ

僕が街を歩きながら聴く音楽は僕ではなく、
僕の脳の街を歩く僕に向けて聞かせている。
疲れてしまった。

ゴミ

ばきと一瞬の音で死んでいた道の靴べら。

電話

結局だ。私は結局電話をかけた。
もう、電話が苦手だと思わなくていい。
トラウマがあることを思い出しても良い。
しかし、できないと思い込む必要はない。

私は誰よりも説明がしたかったのだろう。
自分に向けての説明を納得に変える希望だ。
他の誰にとっても説明はただの御託だ。
そんなことはよくわかっていた。
でも、結局私は説明をしていた。
まだ、怖かったのかもしれない。
それでも結局、私は電話をかけていた。
なぜそうしたのかですら、私は説明する。
誰でもなくあなたへだ。
何かあればあなたはすぐに電話していた。
あなたにとってそれはただの日常だった。
あなたの日常こそ今日、私をそうさせた。
弱々しく消極的だった言葉を思い出す。
軽さだ。つまらなさだ。それが合っている。
いくら噛み締めても軽く、つまらない言葉。
自分への説明にだけ意味をなす言葉。
私はもう、ごめんなさいと言える。
残り香が帰ってくる。
救急車のサイレンをよく覚えている。
その風景を、私は結局文字にした。

シェルター

 夜空は、身体の痛みも音を立てないように息を止める静けさだった。野生動物や自動車、酔っ払いや鉄道、全ての音が鳴き声に聞こえても、夜空は高く、どこにも反響していない全ての音が聞こえていた。私が夜道で聞いていた音は、聞こうとしていた声だけだったように思える。
 理解したい他人があまりにも多く、そういった身勝手で、しかしやがて光となる声が選ばれるための感覚に、それ以外の他人をここへ引き摺り込もうとは思えなかった。

換気扇

 換気扇を通り過ぎた。波の音が聞こえて、来る日も来る日も。想像にも距離が合って、どこまでも行けそう。真夜中のマンションをあっという間に歩いた。

殺人

 行って帰って、行って帰ることができた。これまで3日間もかかっていた生活が1 日で終わった。僕は現実で必要な何もかもを続けることができない。
 内臓の痛みで中断されて、精神の不安で中断されて、もはや1日を肯定することだけで精一杯だった。馬鹿げている。現実には誰もいない。当然だ。
 孤独の文章をここに書け。現実の誰をもここに連れてくる必要がない。

目玉

 僕にとって美しい音楽は緊張感を纏ったものであった。僕は音楽になりたかった。美しい音楽に。だから僕は幻想の中の僕を美しい音楽にするために、幻想にすら緊張感を求めてしまっていた。

 ひと呼吸もつかない長い下り坂だと思えば、ぼくが歩いているこの道を振り返ろうとすれば、えぐり取られて剥き出しになった地下道があるのだろう。
 やっと、信号機が赤になっても、歩いている高層ビルの隙間には誰もいない。
 なまぬるい5月にきみの音がとろけた。そして、消えるまで立ち止まって、消えるまで歩き出すことをやめていた。
 夏日にしては風があるようで、大通りの紫陽花も飛んでいきそうだ。高級車が猛スピードで走り、すぐに見えなくなった。
 リュックサックの中から取り出した、まだ半分くらい残っている炭酸水のペットボトル、プシュと鳴ったキャップの隙間から街に溢れ出す、微睡むにしてはやけに待たされる寂れた薬局と、真夏の屋上まで立ち上っていくような生臭い魚屋の香り。前を歩く人々の誰かが振り返ったとしても、今夜の晩御飯が焼き魚になるなんてことはないだろう。
 交差点の向こう側の、雑居ビルの裏口の前で、誰かの車のクラクションが鳴り響いていた。
 ぼくはきみの声を聞いたが、ぼくは音楽で街の音を塞いでいた。そうすれば、巨額の土地を見ても、大きな貯金箱を見ているように思えた。

アーカイブ

 時間を釘付けた作品が遠くなっていく。過去に救われるとはそんなことだ。昔を好くとはそれくらいのことだ。
 あの時の執着ですら、遠くなっていく。長い時間が経ってしまっただろう。あっという間なんて、言うものか。

地下一階

 もうここに入ってくる人なんていない。いや、入れないのだ。店主だって管理人だって、ここにいる奴ら全員が出ていくしかなくなってしまった。そして金曜日になった。
「お疲れ様」
こんな日でも、小さな掛け声がほとんど同じ時刻でコンクリートに響いていた。
「これからどうするの?」
 最上階の社長だ。
 マスターは、カウンターに置いたケーキを見つめる。
「また、似たような場所を探すかなぁ」
 雑居ビルにも名前があった。
 老婆はいつも車椅子に座っていた。ビルの合間の、狭い店の前で眺めていた。 いつだってぞろぞろと、彼らは階段を降りていった。

角の煙草屋

ショッピングモールが完成した。
数ヶ月後、商店街に逃げてくる客がいた。

天使の魔法

入道雲の裏側に、出番が終わった舞台。
高層ビルの影が、高架線の日照り間に。

ゴミ箱

100円のコーヒーを飲み干してもゴミ箱が見当たらない。

空の紙コップに反響する案内放送。地下鉄の音。
轟音でエスカレーターに運ばれた楽器。
封鎖されたゴミ箱に訪れた静寂。都会の人々。

ビールの空き缶がなんとも上手に置かれているゴミ箱を見かけた。

桜と梅の木の下で

昔、彼の自宅近くには小さな町医者があった。
土曜日は、午前診療を受けようと、朝早くから予約の紙に名前を書きに来ていた。
皆、近所の人たちだった。
近頃は、ファミレスの順番待ちで苗字を書くことも減った。
オンラインの予約に置き換わってきたからだ。
苗字は番号に置き換わった。
鉛筆は指に置き換わった。
6行目に「石原」と書いた彼は順番が来るまで、家に帰った。

数年ぶりに会った彼は変わっていなかった。
風貌はあの頃と同じだった。
順番待ちが懐かしい。
しかし一度だけ、心臓辺りの痛みを話しに行くと、彼は心電図を取ってくれた。
ただの波形は今でもお守りになっている。
彼の横顔が通り過ぎていった。
私は、番号が書かれた紙と無機質なモニターを見ていた。
「119…110」の紙を持った彼を置いて、私はハンバーガーを手に階段を上った。

いつだって大人しい子だった。
家族全員でインフルエンザの予防接種に来た時の話だ。
彼はいつも、俺は最後でいいよと言っていた。
母親や兄弟を連れてきた時の話だ。
受診中だって水分をこまめに飲ませていた。

彼は大人しく、話に耳を傾けて、頷きながら斜め上を見ていた。
「背も高いし、しっかりしていますよねぇ」
彼が来た日に、彼女はいつもお茶を淹れながらそう言っていた。

彼は常に不安そうな表情をしていて、大丈夫ですよと声をかける時の笑顔が柔らかい。
笑っている時の顔ですら弱々しい。
待合室が新しくなった。
トイレはそのままだった。
外壁の工事をしていた。
平日の昼間、現場の兄ちゃんたちが駐車場に座って弁当を食べていた。
彼は彼らのことを思い出すだろう。
ここで最も新しい人が彼らなのだから。

花火大会

ひどく穏やかな朝、午前5時。
昨晩のもっと前、オレンジ色があわい海岸を歩く人々の姿を見た。
人々は長い間そこにいて、これから真夜中が来るなんて思えない。
砂利やゴミや流木は、誰の目にも触れられないように思えてくる。 た
だ、静かな真夜中があった。

蘆花よ。あなたはここから見ていたか。
統三の死を。太陽の碑を。なぎさホテルを。
今日は、あなたに見せたいものがある。
少しばかり騒がしくなるだろう。
山の隅まで照らす、大きな花火だ。

私が中腹にたどり着いた時、先客は一人だった。
その青年は自分のカメラを撫でるように見ていた。

君はよく喋る素直な人だ。
写真が趣味なのか。旅行も好きらしい。自転車も登山もやっている清々しいほど外交的なやつ。
稼げるようになったらもっと良いカメラがほしいと言った。
寺社仏閣の近くに、いつか京都の一等地に住みたいと言った。
スマートフォン一台だけで人気を博した先人が憧れだと言った。
君はこの町を気に入ってくれたことだろう。

電波のない場所。人気のない場所。花火が見える場所。
どうやら繋がる人間もいるようだ。
それと子どもたちもやってきた。
江ノ島と富士山と国道134号線。
お前は太陽よりも人気者だ。
海岸は日の入りを待つものたちで溢れている。

皆ぞろぞろと下山していく風景があった。
そんな中、君は駅まで延々と話し続けていたのだ。

蘆花よ。あなたはここから見ていたか。
統三の死を。太陽の碑を。なぎさホテルを。
今日は、あなたに見せたいものがある。
少しばかり騒がしくなるだろう。
山の隅まで照らす、大きな花火だ。

町を、いつもより賑わっていると、いつもより華やかだと、いつもより楽しげだと、いつもよりしょうもないと、いつもより馬鹿らしいと、いつもより笑顔で溢れていると、思った。不思議な行事だ。一足はやく、夏がはじまった。もうすぐ梅雨が来る。そしてまた、夏が来る。不思議な季節だ。悪くはない。消えた人々はどこへ行った。栄光の瞬間を見届けよう。誰かに届いている。そう信じた人がいる。悪くはない。思い返せば、私も昨日はよく喋った。

潮騒の夜に(2)

 街灯が続いていく夜の街の中で、僕は一人、切り貼りの道を作っている。
 孤独くらいは独り占めしたかった。だから僕はそんな道を作っては歩き、また同じ道を作っては歩いた。何も目的を持たず、どこへ行くのかどうなるのかもわからず、歩いていた。僕はベッドで寝ている僕を看病することを忘れることなんてなかった。僕には重たい扉を開けて夜の空気を吸って、行き場のわからぬ身体を進ませ、そして夜の街を見ることだけが許されていた。星もなく、街が何の光かさせもわからなかった。それでもなぜが僕も光になるように、音楽はもちろん光ってはいなけれど、光っているように見えてきた。
 砂浜で、遠くからのろのろと来た猫が、目線を合わせてじっと見つめてくるのだけれど、あっという間に目の前を駆け抜けて、向こうに行く姿を見た。そうしたら 一瞬だけ振り返ってきたんだ。ゆっくり前を向き直して、やっぱりとぼとぼ歩いていってしまった。

潮騒の夜に(3)

お湯を沸かしている時の音。炭酸水のペットボトルを開ける音。蛇口から大量に出る水の音。昼間の風呂場の乾いた音。

腹痛の時は梅雨が楽だった。空気が重たくて低音の痛みが和らいだ。痛みで疲れた身体には結露している窓がちょうどよかった。

晴れの日。この街に青と緑と、あと白が少しあった。ほとんどそれだけだった。

水の中も心地よかった。涙で空気中の水分が増えた。湿度も黄昏も重い。風が厚い。風が速く、なびく旗が激しい。

身体の波がうねる。 鼓動。脈の移動。身体の核を縮める鼓動。 脈の凝固。体を撹拌させるような波。

麦日和だった。

歴史書。作者の妄想に付き合った。

砂と酒。

面倒なことをやる。空のペッドボトルのラベルを剥がす、洗う、乾かす、捨てる。

ペットボトルに詩を書いてみた。

傍観者

 主人公ではないが、楽しいことは起こった。登場人物ではないが、楽しいことは起こった。私は傍観者になった。復讐を鑑賞し、編集し、管理した。私は復讐の傍観者になった。

家出

手荷物の量はどうだろう。
お守り一つで十分だろう。

流れる街で 僕らを運ぶ 波を遡行した 鉄道へ

君はいつでも他人だった。
太陽が現れて消えるように 月や星が見えたりするように
君は罪深くそこにいた。

楽園

 諦めではなかった。偶然でもなかった。曇天に顔を上げた。空に光はなかった。 湿ったコンクリートを見ていても、乾いていく様子への感度が高くなるだけだった。ここにいるのも、また、やめようと思っていた。どうせ何もないのだろうと思う夜空を見上げた。中途半端で何も明らかにされない曇り空なのだろうと思っていた。少しずつ崩れていく天候に、何度、安堵すればいいのだろう。そんな時はやっ ぱり、ここにいるのも、また、やめようと思っていた。天気を待つしかなかった。 雲や雨に行くことはできなかった。やってくるという感覚とも違うようだった。天気を待つしかなかった。個人より学校より社会より大きな自然の中では孤独になることができた。しかし記憶の中の孤独は個人であり、学校であり、社会であった。そんな孤独を主張したところで、乾いていく様子への感度が高くなるだけだった。蒸発した涙を運ぶ風が水平線に向かっていた。薄めた孤独に孤独を干渉させる力はなかった。しかし記憶の中の孤独は個人であり、学校であり、社会であった。曇天に顔を上げた。運命からあぶれた雨粒が眼球に広がった。視界はぼやけ、街も溶けた。視界は恵まれていた。街は優しかった。だから見た。そして応援した。そうであってくれることを願った。届かない言葉こそ信じた。誰にも辿り着けない場所の存在を祈るしかないのか。楽園よ、あなたは神ではない。目の前にあるのか。山の頂上か。海の底か。その場所を決めたあなたは神ではない。風景を見た。手放された孤独を手に取ることはできない。風景を見た。それは楽園にすらあるべき孤独の涙を見たまでだ。

聴覚の孤独

孤独は孤独を見る。
孤独の輪唱を見る。
孤独に手を伸ばした瞬間、輪唱に入れない孤独は孤独より街に見られていた。
孤独と手を繋いだ瞬間、街に見られた孤独は孤独より作品に見られていた。

鑑賞者の芽

 僕にはいつだって、僕のいるすぐそばに穴がある。僕にはいつだって、そこへ飛び込むことができる。
 僕のうつは、細く深い穴の底にいるようだった。底は狭い場所だった。底には誰も見えなかった。しかし、寂しくはないと思い込ませない他、そこでは生きる術がなかった。元々一人が好きなわけではなかった。ここでは一人でいる以外の選択肢がなかった。そういった状況だった。
 夜を越えるくらいの長い時間をそこで過ごしていても、一体どれくらいの時間が経っているのかすら曖昧だった。
 体内時計は狂い、-いや、ぼやけている状況を正常とする場所だったのかもしれない- 徐々に時間の感覚も失われていった。
 僕は社会に適合する能力が低くても、うつの世界を生きる能力は高かった。うつになる人にはそういった素質があった。あるいは小さな素質に針を刺したような出来事があった。
 僕は寂しさを失い、時間を失い、そんな状況で、ここにいることを心地良いと思うくらいの過敏性を研ぎ澄ませていない限り、目の前に死があった。だから一瞬でも地上に意識が戻った時、この世界のあらゆる現象に、あの世界で得た感覚から死を感じていた。
 遮断機の警報音や救急車のサイレンがそうだった。現実では映像も付いていた。 穴の底では音楽も地上から降り注ぐように聞こえていた。もちろん音だけだった。 だから僕は今でも、地上で聞けるそういった音に居心地の良さを感じている。あの時遠くから聞こえていた音が、今は目の前で聞こえてくることにいつだって余計に感動してしまう。
 確かにあの時、寂しくないと思い込ませない他、生きる術はなかったのだが、その狂気を作り出す精神世界の仲間はいた。そういった状況の時、周りに誰もいない狭い空間にも関わらず、僕の両手はその仲間の誰かに握られていた。こうやって表現すると、仲間がいるというその感覚が僕に多少の安心を与え、寂しくないと思い込ませたプラスの要因なのかもしれないが、しかし仲間と両手を繋いでいるという問題の方がはるかに大きかった。
 穴の底にいる時は寂しくなかったのだが、常に両手が塞がっていた。穴の底には誰もいないけれど、仲間のような意識だけがあり、常にその中の誰かと手を取っていた。手を使ってもがくことができなかった。だからこそ、ここにい続けることに心地のよさを見出さないと、やはりその先は死だった。仲間は大勢いた。しかしその仲間との共同意識のせいで穴から抜け出すことは困難を極めていた。それは罪悪感のおかげで犯罪が実行できないような人間と同じような状況なのかもしれない。 僕が作り出した精神世界では、同じようなレベルで感じ取るうつが仲間だった。仲間のおかげでこの場所にいる心地良さを見出せたが、仲間のせいでここから出られなくなっていった。この場所はほとんどそういった意識だけでできていた。
 しかし、出られなくなってしまったことを理解した瞬間、僕の両手を塞いでいた仲間が、僕が作り出した意識だけではないことにも気づき始めた。その意識は僕が作り出した意識なので、当然僕の過去の記憶と結びついており、音楽を愛する僕は、過去の記憶に様々な音が結びついていたことを強く意識し始めた。
 僕は両手に音楽を感じていた。
 ここで何を感じるのかは人よって違うのだろう。自分の記憶から、別人格の自分を結びつけるのかもしれないし、理想や夢といった未来の自分かもしれない。
 僕にとっての音楽のように、偏愛しているもの、あるいは強く憎んでいるものかもしれない。
 うつの穴の底の狭い世界では、自分の記憶が作り出した意識、自分にとって最も根源的なものに手を握られてしまうのだ。そして強く手を握り返す。僕らは必ず手を握り返す。その行為はそうすることでしか生きられないという最後の希望だ。
 分かれ道だと思う。何かを愛すること、憎むこと、それらの感情を意識だけのレベルで伝えられるかどうかだ。それを現実の社会では行動と言う。しかしここでは行動の意味が違う。行動とは”感じる”だけで良いのだ。他人に干渉しすぎることを批判してくる現実がある。過度な共感や期待を不健康だと言う現実がある。しかしそれらは、この場所では大いに僕を助けてくれた。
 僕はうつの時、干渉しすぎるほど音楽を愛し、共感し、期待していた。
 神や天使がいる高いところに、僕の意識が呼応することなかった。それは僕がそういった信条を持っていなかったからかもしれないのだが、僕の意識は天とは逆に、深く潜っていった。
 あの場所でのうつへの愛、共感、干渉は異常なほど鼓動を高めさせた。
 意識を考えられるようになるくらいの頃、まだ残る鼓動の記憶は恐怖だった。
 あの場所は、意識でだけ呼吸ができる水中だった。意識を研ぎ澄ませれば研ぎ澄ませるほど、深く呼吸ができた。
 あの場所は、僕の故郷は、海だった。
 そして地上からわずかに聞こえてくる波の音だけを頼りに、いや、僕は浮かび上がれなくても、ただじっと、波の音に耳を研ぎ澄ませることができればそれで良いと、ただそれだけに集中し始めることができた。その時、僕の両手を握っていた音は明確だ。はっきりと覚えていることだ。
 それはアルトサックスの音、トライアングルの音だった。
 僕は音によって集中し始めた意識を機に、様々なものへ短時間で感情を移入させ、音楽作品と自分の意識の境界線を曖昧にさせ、そうやってできた共同の意識を自分の軸として海面へ伸ばしていった。切り貼りで脆い軸だった。短時間の作業でも、三日坊主でも、それでも確かに、軸は伸びていった。身体にまとわりつけた作品の重さで、よじ登ることも簡単ではなかった。しかし僕は君を見つけてしまったのだ。ここにおいて行くわけにはいかないし、君の手を離した瞬間、また、底で感じる根源に逆戻りするだけと怯えた。深く怯えていたからこその上昇だった。 どれだけの時間が経ったのかはわからない。それでも僕は、僕が見た風景の結果としてだけで言うのならば、僕はついに海面から顔を出していた。その風景はあらゆるものがはっきりしており、ただそのはっきりした風景がそこにあることに、鑑賞に目覚めた僕が自信を持てるような風景だった。

子どもたちが海で遊んでいた。
しばらくすると、夕方のチャイムが鳴って、彼らは全力疾走で、大声で笑いながら、帰っていった。
僕は砂浜にある落とし穴を埋めた。その上には砂のお城が立つのだと思う。

そしていつかまた、大きな波が来て泣いた。
僕はそんな彼らをただ見ていることしか許されていない。
こうして僕は鑑賞者になった。
鑑賞者の僕は時たま、街の中にある穴の中を覗いた。
落ちないように、吸い込まれないように。
それらを砂で埋めようとは思わなかった。
僕は水を注ぎたい気持ちを必死に押さえつけていた。
僕は彼らを信頼しているから。それは悲しくも見守ることだった。

ダンス

 確かに文学というものは、お前もこのステージに来いと言ってくるような学問なのかもしれない。待っていればいいものを傲慢にひけらかす態度。沈黙を賛美する僕がなぜ書いているのか。なぜスポットライトはフロアも照らすのか。

雨上がり

無伴奏の町。ソリスト。静寂を捉えたライブハウス。

エアコン

傘ふたつ。リュックサック。交差点の葬式。

おまえのことはよく知らない。そういった人間がたくさんいた方がいい。しかしぼくはそうとも言えなかった。

街には物が希望のように鎮座していた。
僕の希望は目の前にあるだけだった。
目を開けた瞬間だった。

初夏の後刻

巨人は静かに歩く。どの街にも似合わない新しさがあった。

真昼の夢

お前が誰かだと言われることはない。
誰かの中に紛れることができる散歩だ。
大都会の集団に紛れた君。僕と君は似ている。
出会った理由が似ていたからだなんて、
お互いに夢を見ていないと成立しない。

白昼夢

無言で街を通り過ぎた者は、
そこがどれだけうるさい街でも、
自らをこの喧騒に負けない音楽だと信じていた。
木々の隙間を見上げれば、
誰もいない狭い青空を歩けるような気がした。

 おかえりなさい。過去を愛するわたしは、ずっとここで待っているからね。戻って来たあなたを考えることに、その時のわたしはもう誰でもなく、あなたはあなただけであってほしいと願います。それでもあなたがあなただけではなかった時のために、わたしが受け入れられない状況に自信を持つためだけにあなたに投げかけた言葉は一つもありません。それをわかっていただきたい。わからない損失を考えないでほしいです。わたしは説得しています。あなたがあなただけではなくなった瞬間、確かにわたしの、いつだって歩き出す瞬間の長さを見る重さはあなたの日常どころか、煩わしい業務に変わっているのかもしれない。しかしあなたがあなただけではなくなった瞬間は本当に一瞬だったのだろうか。どうしてそうなっていったのか、わたしがそうやって考えていたことをあなたは思い出す。あなたが過去の全てを捨ててまで歩き出さなければならない瞬間があるのだとしても、その決断にわた しが何を助けられるでしょうか。全くもって無力です。しかしそれまでの瞬間がどれだけ長いものであったのか。過去を捨てたあなたが一瞬でも追い風を感じたくなった時、あなたは、自分が歩んできた長さをいつまでも書き続けているわたしを見ることでしょう。だからあなたの心配は全て、向かい風の隙間に切り込むための新しい武器として使っていいのだと思います。こっちは任せてください。わたしが代わりに託すものなんて何一つとしてありません。わたしがいなくてもあなたの過去は存在しているからです。

病室の手記

引きこもることは家が病室になるくらい苦しい
きみは希望があるから家を出たんじゃないのか

やっと馴染んできたと思えば、季節はもう行ってしまうから。



『喫茶店の手記』へ続く



 この作品は逗子文化プラザで行われた展示『流謫』内の小説『病室の手記』です。展示については展示後記を、公開作品についてはリストページをご覧ください。



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