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寛大なこととお人好しであることはちがう


これは自分に言い聞かせるようになった言葉。


それまでに
本当に いろいろな人達と関わってきて
本当に いろいろなことを経験してきて
少しずつ 
疑問を持って考えながら、
自分の考えに迷いながら、


だいぶ大人になってから
今では
確信している と言える言葉。


日本人は真面目で
お行儀が良くて
愛想も良いし、責任感もあるし
大好きだ
めてくれるイタリア人は多い。


これは 今(現代)だけではなく
それまでの歴史のなかで 多くの、
そして一人一人の日本人たちが
地道に積み上げてきたものが
評価されている面も大きいと思う。

でも、世の中にはいろんな人たちがいる。

そういった〈美徳びとく〉に注目し、評価して
それらを褒めてくれる人たちが、
同じように
〈美徳をそなえた真面目でいい人たち〉
とは限らない。


逆に
失礼千万せんばんなことを言ったり、やったりしても


怒らず、
文句を言わず、


それどころか

「自分の認識不足だったことが悪い」
「これは勉強料だ」 などと
却って自分自身を責めて、
不当に要求されるお金を大人しく払ったうえ
笑顔を残して去っていったりする…


だからこそ
「日本人が大好きだ」
と言っている人たちも (世界中に) いるんだ
ってことを、
きもめいじておいたほうが良い。


「自分が我慢すれば事は済む」
たぶん日本人はそう思いがちで、
実際にそうする人が多い社会文化だけど、
それは外国では
たたえられるべき立派な態度〉になどならない。


上手うまくいった。次も日本人をカモろう」
そういう決心を相手悪人にさせ、
〈新たな被害者を生み出すことに加担かたんする行為〉
になってしまう。


銃やナイフをつきつけられることは
イタリアでは先ずないけれど、
世界情勢は刻一刻と変わっているから、
今後もないとは言い切れない。
それでも イタリアでの被害といえば 
命よりもお財布だと思うから、
そっちの話をしているけど。


「おかしい」と思ったら
自分の身を守るのはもちろん大原則だから、
とりあえずその場で相手の言い値を払って
安全なところまで逃げたりするのは
仕方のないことだと思う。
(本当の本当はしない方が良いけど)


でもその後 そのまま沈黙せずに、
〈その時点で信用が置ける人〉に助けを求めて
(泊まっているホテルのフロントでもいいから)
警察に訴え出ることは したほうが良いと思う。


私がまだフィレンツェに住んでいた頃
イタリア国内で報道された 
日本人観光客の被害で、
たしかローマで
二人でせいぜい6000円くらいの会計に
8万円くらいを払わせたレストランが、
当局から 営業停止処分か何か、
社会的制裁をくらっていたことがあった。


あのニュースにはイタリア人たちも
「何て恥知らず💢」だと、みんな腹を立ててたよ。


その被害者の日本人は
よく泣き寝入りせずに訴えた、
偉いと思う。
そんな面倒くさいことはせずに黙って去って、
早く忘れるほうがだんぜんラクだもの。


届け出たとしても
そういった犯罪が 完全に無くなる訳じゃないけど、
少なくとも次の被害者の数を減らすことには 
貢献できる。


当時のフィレンツェで有名だった
超高級レストランで働いていた日本人の友達に、
そのレストランでも
日本人客をめて扱っていた という
実話を聞いたことがある。


その話のお客さん(達)は 
ホテルに戻ってから
よくレシートを確認したらしく、
お店には
翌日クレームを入れに来たらしいけど
警察沙汰にするほどの被害金額じゃなかったから
おもてには出ていないみたい。


でも応対した店(オーナー)側は 
言い訳したり しらばっくれるばかりで、
日伊両方の従業員たちも 聞いていて
情けない気持ちになったそうだ。


そのお客さん達は最後には
「私たちが間違えました、すみません、と
謝っていただきたいだけなんです!」と
半泣き状態で訴えられていたって。


ずっと長いこと
「フィレンツェに行ったら、そのお店で食事をしたい」
という夢を持っての来店だったそうだから、
どんなにがっかりしただろう…


実は怖いことには、こんなことは
いかにもな観光客相手の店みたいに
従業員の国籍も、
受けたであろう教育のレベルなどもバラけていて
社員教育といったものすら受けていない人たちが働いてる場所
だけのことじゃなく、


イタリア人のなかでも
弁護士や 経営者など 
社会的地位の高い人たちのなかにも
「大人しい日本人」が大好き♪ な人たちもいる 
っていう現実がある。


お給料の未払いに苦しんでる話とか
(イタリア人同僚も同じ目に遭っているケース、
日本人のその人だけのケース、両方)


その裁判を頼んだ弁護士が
イタリア人オーナー側と結託けったくして
被害者側のほうに不利な条件で結審けっしんさせられた 
とか


アパートのどこかが壊れた。
(「壊した」わけではない)
「住んでるあなた日本人の責任だから、あなたのお金で直してね」
(ちゃんと住める環境を整えるのは大家の責任、
そういう家を貸して初めて、家賃が請求できる。
↑これも最初の数年は、知らずに過ごしてた)


「この仕事手伝ってくれない?」と頼まれて
「私でよかったら」と引き受けて
単に好意で 何故かこちらが
微細びさいな費用の持ち出しまでして手伝っていたら、
そのまま「どうもありがとう、じゃあね」
で終わる…


いろんな話を聞いたし、私自身も経験した。

(一番最後のはイタリア人ではなく、
フィレンツェ市内に複数お店を持っている
お金持ちのユダヤ人男性と、
フィレンツェ生活の先輩である
年上の日本人女性に
私がされたというか、されそうになった二つの事例。
両方とも状況的に「え、おかしくない?」と思って
勇気をふるい起こして頑張って、
最後には働いた分のお金は払ってもらったけど)

嫌だと感じているなら
話をハッキリさせないと、
欧米は「異議いぎ無きときは沈黙をって」
の文化だからね。

「物言いをつける」を行動に移すのは
物凄ものすごくエネルギーが要るし、
自分自身も不快になったりで
避けたいことではあるけど

そこを面倒がっていたら、状況は
更に望まない方向へ行ってしまう。

みとどまって解決しなくちゃいけない時って、
人生の局面で 大小もろもろあったりするから
そういう時は自分にむち打って、
頑張らなくちゃいけない。

外国なら尚更なおさら

それによって
何ヶ月も体調が悪くなったり、
良い人だと思っていた人の本性を見せつけられたり
自分のことを逆に悪くうわさされるようになったり
降りかかってくる火の
たしかにある。

でも

「日本人は大人しいからいいように出来る」
という意味で
「大好き」だと言われるのではなく、

「日本人は誠実で、愛らしい人達だけど 
理不尽なことには毅然きぜんとした態度をとるから、
だませない」

これからはそんな評価を目指して、
一人ひとりが 地道に頑張っていかないと、
本当の意味で尊重され、
好かれる存在にはなれないと思う。

寛大かんだいであることと、お人好しであることは
ぜんぜん違うことだから。

そういう利益を得ている人たちのほうから
みずからをかえりみて反省し、態度を改めてくるなんて
ずないことだし、
下に見ている相手に対して
徐々じょじょにそれが
軽蔑けいべつから嫌悪けんお、憎しみに変わっていくような心理も、人間にはある。
(理不尽な話だけど)

世界にしていくためには、
日本人はこのまま 
ただの〈良い人〉でいるのは、
危険だと思う。

〈日本人〉を〈あなた〉に言い換えて 
考えてもらっても良いかも。

ひとつ前の記事では
日本社会での事例をベースに書いたので


今回はイタリア、というか海外での
事例で書きましたが

今回のタイトルの言葉を実感させられた経験は
日本でも 多々ありました。
(私って舐められやすいのかしら…💧)

こんな事を語って
外国暮らしへの夢を壊すようなことをして
怖がらせてしまったかもしれないけど

実際のところ
良識的で親切な良い人たちのほうが圧倒的に多い 
って事実も、
付け加えておくね。

多くの良い人たちのなかに
悪い人たちが混在こんざいしてる。


日本でもイタリアでも、
きっと他の場所でも、
世界中 どこも同じ。




🌟イタリア情勢、こちらもどうぞ ↓

* イタリア関係は〈Italia〉マガジン、
文化論的なものは〈Pensieri * Idee〉に、他記事あります😉



書いたものに対するみなさまからの評価として、謹んで拝受致します。 わりと真面目に日々の食事とワイン代・・・ 美味しいワイン、どうもありがとうございます♡