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宿災備忘録 四季 対岸の君と逡巡の季節 夏・参7 

 紫黒に染まった空を渡り、鷹丸家へ。二階にある維知香の部屋の窓へ向かって、灯馬は器用に風を操る。その巧みさに、維知香は心を弾ませた。

「風と一体になるって、どんな気分なのかしら?」
「今、維知香様もひとつとなっておりますよ」
「貴方によって、だわ。私自身、そうなってみたい」
「ご希望とあれば、お教えしますよ」
「本当? 教えて欲しいわ!」
「必ずや……さあ、到着です。ご家族が驚きますから、屋根に足音を響かせないよう、お気をつけ下さい」
「ええ」

 維知香は囁くように返事をし、窓枠に腰かけて履物を脱ぐ。そして部屋の中へ。

 宙に留まる灯馬。維知香が無事に床を踏んだのを確認し、笑み。

「それでは、これにて失礼いたします。楽しい時を、ありがとうございました」
「こちらこそ。本当に、本当に楽しかったわ……ねえ、どうすれば、また貴方に会えるの?」
「心で呼んで下されば、参ります」
「わかったわ。今日は、ありがとう」
「ぜひまた、ご一緒させて下さいね」
「ええ、勿論よ」
「では」
「ひとつだけ、今聞いておきたいことがあるんだけど、いいかしら?」
「はい。何なりと」

 維知香は細く息を吐き、静かに口を開いた。

「こんなこと、誰にも言ったことないんだけど……私、深遠が黒に見えるの」
「黒?」
「えっと、なんていえばいいのかしら……雰囲気というか、周りにある気配、みたいなものなんだけど、なんだかいつも、夜の中に立っているように見えるの」

 言い終えて、維知香は全身が熱を帯びていくのを感じた。そんなこと、自分だけの印象でしかないのに、なぜ口にしてしまったのだろう。

「よくわかります」
「本当に?」
「ええ。あの方は、そうせざるを得ない立場にいますからね。維知香様は、よく見ていらっしゃる」
「夜は、いつか明けるわよね?」
「明けない夜は、ありません」

 微笑んだ灯馬。微笑みを返し、維知香は頷く。

「ありがとう」
「どういたしまして」
「じゃあ、また」
「はい。おやすみなさいませ」
「おやすみなさい」

 維知香の音が止まると同時、灯馬は余韻を残さず、夜に溶けた。

 しばらくの間、維知香は宙を見つめ続けた。三日間感じていた胸の痛みが、和らいでいる。深遠への気持ちが薄れたのではない。気が紛れた。おそらくこれは、そういうものなのだろう。

『心を許せる友を作りなさい』

 維知香の中に、祖父の言葉が甦る。

 灯馬を、友と呼んで良いのだろうか。敬いに近い感情すら覚えているが、できれば友となって欲しい。そう願いながら、維知香は部屋を出た。


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