見出し画像

宿災備忘録 四季 対岸の君と逡巡の季節 夏・壱7

 正直に胸の内を吐き出した。その安堵なのか、若干心が軽くなったように感じる。本当に、わからないのだ。維知香から向けられる好意を、どう受け止めたら良いのか。そして、自覚しつつある思いと、どう向き合えば良いのか。

 しばらくの間夜風に髪を弄ばれながら、深遠は考えた。答えは見つからないとわかっていても、やめなかった。己のことでありながらわからないというのは一種の罰のように思えて、ならばこの先ずっと、その罰を受けながら生きるのも悪くないというところに辿り着いた。しかしそれは単なる自己満足であり、逃げに過ぎない。そんな思いが頭を過ぎり、ふりだしに戻る。

「いやあ、お待たせして、すみません……酒以外のもので喉を潤しましょう」

 戻った吾一。その手にある盆には、湯飲みが二つ乗っている。

 深遠は、座敷を出た吾一がどのような行動をとったのかすぐさま悟り、思わず腰を持ち上げる。

「申し訳ございません。私がするべきところを」
「構いませんよ。実は私、家事が好きなんです。桜子がいると、気が引けて手を出さずにいるのですが……どうぞ」
「……ありがとうございます」

 注がれているのが、ほうじ茶であると、深遠は湯飲みの中を覗く前に気づいた。おそらく淹れる直前に、茶葉を炒ったのだろう。

「いただきます」

 鼻腔に入り込む香りは、香ばしくも穏やか。口当たりはまろやかで、口内に広がり喉を滑り落ち、体の真ん中で温かな塊となる。

 厚意を体に取り込む深遠の横で、吾一は柔らかな表情のまま、言葉を紡ぎ始めた。

「うちは兄が二人、早くに亡くなりましたでしょう。母は随分と責任を感じていました……他人の声というのは、影で言っていても聞こえきますしね。それに祖母は、母にきつく当たることもありましたし……私は幼かったので、何故大人達が男児や生まれた順番に拘っているのかわからなくて、ある時、母に聞いてしまったんです。末の子や女では跡取りになれないのか、と……いや全く、気遣いの欠片もない、まさに子どもです」

 苦笑し、茶を飲み込んで、吾一は首を横に振って見せる。

「今はまだ、そういう世の中なのよ、と、母は答えました。あの頃は、そこに込められた想いがわかりませんでした。あとから思えば、周りの人間を悪者にせず、自分も納得させる答えというのが、それしかなかったのかもれない……それと、男は強ければ良いってものじゃない、女性の助けにならないといけない、おばあ様には内緒だけれど、とても大切な考え方なのよ、なんて言っていました。ですから私は、祖母の目を盗んでは母の手伝いをしていましてね。私が作ったとは知らずに父が味噌汁の味を褒めたり、ご飯の炊き具合を褒めたりすると嬉しくて……ですが桜子は、私が積極的に家事をするのを好ましく思わないようなんです。桜子にとっては食事を作ることも、掃除をすることも、幸せのひとつなんです」

 言ってひとつ、ため息。そして、

「ですから私がそれを取り上げてしまうのは、いけないのかな、と。私にとっても幸せではあるのですが、あえて桜子から取り上げる必要もない、なんて思って、最近じゃあ滅多に台所にも入りません……深遠さん、幸せの在り方なんて、考えたところで、どうにもなるものじゃないと思うんです。今お話したような小さな幸せを、無意識に取り上げてしまうことだってある。どちらかが、どちらかを幸せに導こうなんて、無理なのではないでしょうか。お互いが、相手の幸せを願いながら暮らす、私はそれで充分だと思います。例え同じ場所にいられなくても……すみません、長々と……ですが、これが私の本音です。先程、貴方も正直に胸の内を話して下さった。あれが全てなのだと理解しております。後は、お任せします」

 言葉終わりに、爽快な笑み。吾一は湯飲みを傾けると、一気に茶を飲み干した。

 幸せの在り方。吾一の語りを脳内に巡らせながら、深遠は己を恥じた。自分が抱えていた驕りを、強く恥じた。誰かを幸せにできる可能性を探る前に、己の未熟さと向き合うべきであったと。

『常に謙虚であれ。決して己の力を過信するな』

 幼き日、父から受け取った言葉。それは術師としてだけではなく、人としても重要な教えであったのだと実感する。

(俺は、俺自身を知らなければいけないな……)

 吾一の思いに感謝の念を抱きながら、深遠は湯飲みを空にした。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?