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宿災備忘録-発:第4章1話②

月夜にいななく高らかに
いずこいずこと高らかに
月 微笑みて我を照らし
今宵も我に何も語らず
 
 
「月夜にいななく高らかに。いずこいずこと高らかに。声、枯れ果てて風に嘆き。空をさまよい何も届かず」
 
続く歌に声を重ねた美影。歌は音を潜め、美影の耳は次に訪れる音を待ち侘びる。しかし歌声は止み、夢の中で聞いた少女の声も、聞こえはしなかった。
 
「今の歌、知っているのか?」
「うん」
「話してくれないか……俺も、話したいことがある」
 
久遠は起き上がり、美影に視線を。美影は、歌を聞いたのは夢の中だと話した。巫女を探す少女。空間に流れる悲し気な歌。頻繁に見る夢であり、ずっと気になっていた、と。
 
「さっきの歌が聞こえたからって、夢で見た場所がここだとは言えないけど……この石のことで、気になることがあって」
 
美影は胸元の石に触れた。
 
「巫女の涙石の話は、知ってる?」
「ああ」
「何回もばあちゃんに話してもらった。湖野の民話で一番好きで……なんでそうだったのか深く考えたことなかったけど、石のこと、忘れているようでちゃんと覚えてたんじゃないかって……ばあちゃんに一度言われたことがあった。山で石を拾っちゃダメだって。それは巫女の涙石かもしれないからって。巫女の涙は石になって、それが山神の泉で洗われることで穢れが消える。だからどんな石も拾ってはだめだ、まだ洗われていない、石になった穢れた魂かもしれないって」
「お前はそれが、巫女の涙石だと?」
「あ、えっと、わかんないけど……もしかしたらって。もし、そうなら、元々は巫女の持ち物なんじゃないかって……そして、その巫女が、私の……」
 
お母さん。その言葉を言えず、美影は石を握り締めた。黙った美影に変わり、久遠が口を開く。
 
「夢で聞こえる歌、巫女を探す少女の声、巫女の涙石……山神の庭だってあるんだ。その石が普通の石ではない可能性も、十分あるだろう」
 
久遠の言葉に頷き、美影は首に巻かれたチェーンを指先で摘んだ。Tシャツの中から現れた石を、久遠の視界に入れる。
 
「全部、これを手にした時から始まってる……過去にあったことも、香織さんの家からいなくなった日のことも、祠に向かってる途中でだんだん思い出した。私の結界、っていうのが、原因なんだよね? 石を隠されたことで、祠を忘れた、っていう」
「ああ」
「空間の区切りじゃない結界っていうのが、私に……えっと、設定? なんて言えばいいの?」
「施されている」
「結界が施されている。いつ誰がそんなことを? 全然記憶にない……その記憶さえも消されてるってこと?」
「そうかもな。俺も正確にはわからん」
「特別な結界って、なんでわかるの?」
「お前に会った時にわかった」
「先生の家で?」
「いや、アパートのそばだ。派手に転んだだろう」
「うん」
「宿災は、宿る災厄が放たれないよう生まれつき結界を持って生まれる。占爺と会った時に見た、あれだ。普段は目に見えていないが、俺も同じように結界を持っている。初めて会った日、俺は自分とお前の結界を同調させて……」
「同調? 同調させて、何?」
「……保護、か?」
「え?」
「ああいう行為は、なんと言えばいい? お前を、先生のところに連れていっただろう」
「ああ、えっと、あれは……拉致?」
「そんな犯罪めいたものじゃないと思うが」
「保護でもないと思う……私の感覚だと、連れ去られたぐらいのインパクトはあったけど」
「捕獲はどうだ?」
「どうだって言われても……まあ、生け捕りだし、人間も動物だし。いいです、捕獲で」
「捕獲しようとしたが、できなかった。お前に施された結界にはね返された」
「それが、あの衝突の原因」
「そうだ」
「やっとあの時の謎が解けたと思ったら、また謎が増えた感じ、結界の同調とか」
「増えただけじゃなくて良かったな」
 
ぼそりと言って、久遠は傍らの小石を拾い上げた。露出した土面に小石を走らせる。円を描き、それを更に円で囲み、でき上がったのは二重丸。
 
「外側の円は湖野全体に張られた結界。内側は九十九山に張られた結界だと考えてくれ。おそらくだが、外側の円内、つまり湖野に入った時点で、お前の災厄が活性化するよう計算されている。そして内側の円、九十九山の深部に近づくほど記憶が甦る。その石を持っていれば、あの祠に辿り着いて、全ての記憶が戻る……憶測でしかないがな」
 
久遠は、内側に描かれた円の円周上に小さなバツ印をいくつか描いた。
 
「鷹丸さんに調べてもらったが、九十九山を囲む結界の側には、祠や御神木、民話にちなんだ名がつけられた洞窟、泉……そういった場所が少なくとも10ヶ所はある。それらは結界の境目にあると考えられる。そのいずれもが、山神の庭への入り口になりうるということ……遺体があった場所も、おそらくは」
「あの場所も山神の庭の入り口……でも、あそこに近づいた時には、なにも思い出さなかった」
「お前の結界はおそらく、あの祠にしか反応しない」
「どうして?」
「反応する範囲が広くなれば、それだけ強力な結界が必要だ。負担になると思ったのかもしれん」
 
円周上のバツ印を適当に増やし、久遠は小石を傍らに。そして、浅いため息。
 
久遠のため息。美影がそれをはっきりと耳にしたのは、初めて。目の前に座る男。その頭の中には、どんな世界が描かれているのだろう。その中に、自分の知りたい事柄は、あるのだろうか。美影は素直に知りたいことを口にした。
 
「香織さんの家から山に向かった時のこと、記憶にはあるんだけど、それ自体がふわっとしていて、夢のなかの出来事みたいで……自分の意思だったのか災厄の意思だったのか、それもちゃんとわからなくて……災厄が勝手に私の体を動かすこともあるのかな?」
「灯馬に対し、勝手に反応を示すことはあるだろう」
「でもあれは、ほんの少しだから……町から山までって、相当な距離だし」
「ないとは言い切れない。灯馬がお前と同調して体を動かしたようにな」
「それ、いつの話?」
「初めて会った時、気を失ったお前の体を動かしたのは灯馬だ。正確に言うと、灯馬が同調したことで、お前の災厄が優位になり、お前自身は眠った状態になった、というところだが」
「いい、細かい説明されても飲み込めないし、今更な感じだし」
「……お前が気を失っている間に、無理矢理筋肉を動かした。だから体に痛みが残った……これは理解可能か?」
「可能だけど、それって今しれっと言うことじゃないと思う……ここにきて謎が解けていくのってどうかと」
「謎のままのほうが良かったか?」
「そういうわけじゃないけど……話の続き、どうぞ」
「お前が祠を抜けて山神の庭を目指したのは、俺も灯馬も予想外だった。灯馬は自分が至らなかったせいだと言っていたが、俺も同罪だな」
「同罪って、おおげさな言い方」
「危険な目に遭わせたのは確かだ」
「すまないとか、言わないでね」
「……山神の庭から、お前を導いた者がいるのかもしれない」
 
視線を僅かに持ち上げ、久遠は口を結んだ。美影の中で、夢と歌が再生される。自分を呼んだのは――
 
 
湖野の民話
巫女の涙石
九十九山
結界
導かれた自分
今ここにいる現実
 
 
「5歳の時は、ちゃんとここに辿り着けなかった。同じように滝つぼに落ちたのに」
「滝つぼは、それであってそれではない、と言っただろう。5歳の時は、自分の意思ではなく、足を滑らせて落ちたんだったな。それなら、ここに辿り着きたいという意思はなかった」
「じゃあ、香織さんの家から出た時は、どうして途中で?」
「お前を導こうとしたなにものかに迷いがあったのか、お前の無意識を司るなにものかに迷いがあったのか、零念が大量に発生していたことも、原因かもしれない」
 
わからない。音を止めた久遠の顔は、そう言っているように見えた。では、別の問いを。
 
「私達、別の背中を追ってきたんだよね? それなのに同じ場所に……滝の所まで追っていたものは、なんだったの?」
「民話の通りであれば、つくも神……それ以外だとしても、山神の庭に入ることを許されたものであることには違いない。もしかしたら、お前を導きたい誰かがよこした道案内かもな」
「道案内……でも滝つぼの飛び込んだあとは、別の背中だった」
「そちらが本来、お前が追いたいものだったのかもしれない。記憶の底にずっと残っていたのかもな」
「じゃあ」
 
貴方が見た、男の背中は? と問う前に、空間に変化。
 
鼓膜を震わせる高らかな響きに、美影と久遠、2人ほぼ同時に反応。視線は音の在り処へ。緑豊かな木立から現れた白馬。数秒2人と向き合った後、白馬は再び嘶き、2人に尾を向けた。木立に歩を進め、立ち止まる。振り返って、鼻先を空へ。
 
「あれって馬、だよね……」
「牛ではないな」
「冗談のつもり?」
「さあな。話の続きは歩きながらだ。行くぞ」
 
美影は頷き、胸元の石を握り絞め、久遠の後を追った。


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