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宿災備忘録 四季 対岸の君と逡巡の季節 秋・壱3

 水に浸して柔らかさを取り戻した野菜と粗塩を入れただけの、質素な粥。しかしひとりではないせいか、妙に旨味を感じる。いつもより時間をかけて味わい、深遠は食器を置いた。

「ごちそう様。とても美味かった。重い荷物を背負っているだけのことはある」
「おかしな褒め方しやがって。でもいいや、深遠に褒められるなんて滅多にないからな」
「それなりに甘やかした気もするが」
「冗談だろ? 結界が何かもわからないガキに、心得だなんだって散々教え込んだくせに」
「必要だからな。知らなければ危険が及ぶだろう?」
「確かにそうだけどよ……相変わらず、真っ直ぐだな」

 道行は笑いながら、鍋に残った粥を椀によそった。

 真っ直ぐ。

 道行が放った言葉に、深遠は維知香を思い描いた。

 真っ直ぐな瞳、言葉、思い。彼女に何度、真っ直ぐさを感じたのかわからない。揺ぎを見せない彼女の在り方を羨ましいとも思った。これからも、そう思い続けるだろう。

(喜怒哀楽、全て知りたい……あんなこと、俺にはとても言えない)

 自分は臆病者なのだ、と深遠は痛感している。他人に全てを見せるなど恐ろしい。それでも彼女に対し、真実を伝えておきたいと思った。だから南天を贈った。しかしあとになって後悔した。次に会った時、一体どんな顔をすれば良いのだろう。会わずに陰ながら見守るという、最後の手段をとるべきだろうか。

(……もう二度と、会わずに)

 胸の奥に疼きを覚え、小さなため息を零した深遠の横で、道行はいたずらな笑みを浮かべて見せる。

「そろそろ俺の出番かな?」
「出番、とは?」
「完全に恋わずらいの顔をしているくせに、とぼけるのか?」
「わずらってはいないし、とぼけてもいない」
「頑固だねえ……素直じゃない、いや、素直に頑固なのか? ん?」

 ひとり難しそうな顔をして、道行は首を捻る。その様子は何とも滑稽だが、深遠の顔に笑みは浮かばない。

 深遠は立ち上がり、椀を濯ぎに川べりへ。すぐに道行が隣に並ぶ。何か言いたげな道行に、深遠は問いを投げた。

「何故、そんなに気にかける?」
「何故って……俺は、うまくいかなかったから、だな」

 からりと言い放ち、道行は濯いだ椀を拭きながら、対岸に視線を向かわせる。

「俺がひとり立ちしようって決めたのは、女に振られたからなんだ。おっと、不純だなんて言うのはやめてくれよ。俺にしたら、相当きつい出来事だったんだからな……相手のことは、子どもの頃からずっと好きで、向こうも、そう言ってくれた。いつか一緒になりたい、なんてな……だから話したんだよ、俺の任を。馬鹿だよな、理解してもらえるはずないのに」

 道行は、水を愛でるように、流れに手を伸ばした。手を浸し、感触を楽しむかのように笑う。

「もっと上手な嘘が良かったって言われた。俺が心変わりしたって思ったんだろうな。俺は馬鹿だから、まともな嘘が思いつかなかったって……空間を行き来するようになってからも、たまにそいつの様子を見に行ってたんだ。嫌いって言われたわけじゃないし、向こうもある程度年とったら、考えも変わるかもしれないし……

顔を見に行くたびに、向こうはどんどん年をとって、結婚して子どもを産んで……あっという間に婆さんになってさ。旦那が死んで、ひとりぼっちになって……そうなってやっと、俺は、そいつの前に姿を見せられたんだ。あんな事、しちゃあいけなかったんだろうけど、俺は心変わりしたんじゃないって、ちゃんと伝えておきたかった……

言葉が出ないくらい驚いてたよ。当たり前だよな、俺は今と同じような風体でさ、自分はちゃんと年をとった婆さん。死んだかと思ったらしいぜ、びっくりしすぎてさ……触ってもいいか、って言われた。本当に生きてるのかって。俺は生きて、若いままだってわかって、もう一回びっくりして、泣いてた……

で、別れ際に言われたんだ。貴方とは悲しい別れだったけれど、幸せに生きてこられたって……何だか二度振られた気持ちになったよ。向こうは、そんなつもりなかったんだろうけど」

 音を止め、手を水から引き揚げると、道行は足元の小石を拾い上げた。大きく振りかぶり、対岸に向けて放り投げる。

 放物線を描いた小石。対岸には全く届かず、飛沫を上げて川に飲まれる。

 悔しさは滲ませず、道行は長い息をひとつ吐いて、言葉を繋げた。


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