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宿災備忘録-発:第2章7話

ビレッジツクモは、山岳信仰団体ツクモが運営する簡易宿泊施設。建設費の出資者は石寄。湖野の町と九十九山の中間地点にある木造2階建ての施設は、春先にリフォームされたばかり。建築材の匂いが、まだ仄かに残っている。ツクモに入会している鷹丸が、久遠と中森の滞在先として手続きを済ませている。
 
深夜の到着。3人は足音を潜め2階へ。廊下の奥で足を止め、鷹丸はドアノブを静かに回し、照明のスイッチを入れた。光が注がれた室内。蒸した空気と畳の匂い。
 
入り口から続く短い通路を挟んで、2段ベッドが向かい合っている。その先には、床から少し上がった畳敷きのスペース。
 
部屋に入るなり、鷹丸は通路右側のベッドに腰を下ろした。スリッパと靴下を脱ぎ捨て、布団の上であぐらをかく。
 
「シンちゃんはそっちのベッドね。上下好きに使いなよ。久遠は畳のところな。布団は置いてあるやつ適当に。一応、干しておいた」
 
すらすらと指示を出し、鷹丸はスマートフォンの画面を顔に近づけた。
 
「何だか合宿所みたいな雰囲気だね。若者向けのドミトリーって、こんな感じなのかな」
 
中森は背伸びをし、ベッドの上段を覗き込む。畳の間を指定された久遠は、真っ直ぐにそこへ向かい、
 
「少し、開けます」
 
鷹丸と中森から反対の声が上がらないことを確認し、サッシを開放。ほぼ同時に鷹丸は部屋の電気を消した。吹き込む夜風と、そろそろやってくる雨の匂い。スマートフォンの画面が、暗い室内に鷹丸の顔を浮かび上がらせる。中森はベッドに腰かけながら、肝試しみたい、と笑った。
 
「網戸に虫が大量にくるから。シンちゃん、虫苦手だもんな」
「大量はちょっとね……」
「ベッドの頭のところ、明るくなるから」
「うん」
 
中森はベッドにあがり、枕元に明かりをともした。鷹丸はスマートフォンをスクロールしながら欠伸をひとつ。
 
「もう1時か……風呂入るなら先に行ってこいよ。タオルは風呂場に置いてあるから。お湯ためんのめんどくさかったら、シャワー室もあるから、好きなほうで」
「じゃあ僕、シャワー浴びてくる」
 
中森は、着替えを手に部屋を出て行った。
 
足音が完全に去ると、鷹丸はベッドから腰を持ち上げた。裸足のまま通路を歩き、畳の間に進入。狭い押入れから座布団を2枚取り出す。1枚を久遠に渡し、もう1枚を自分の尻の下に敷いて、あぐらをかいた。
 
「これ、まだ見せてなかったな」
 
デジタルカメラの液晶画面を久遠に向ける。神社の駐車場で美影に見せた、山護美代の写真。初めて目にする山護美代の姿に、久遠は視線を刺した。
 
「何か言っていましたか?」
「隣にいるのが誰なのか見当もつかないって顔してた。つーか写真があるってことに驚いてたよ。1枚もないんだとさ、ばあさんと一緒に撮った写真は」
 
長い息を吐き出し、鷹丸は画像をスライドさせ、別の1枚を久遠の視界に滑り込ませた。新たに表示されたのは、あの遺体。灯馬が美影に見せたものと、同じアングル。
 
「前のものより鮮明ですね」
「これは元データ。お前に送ったのは写真を撮った写真。意味わかるよな」
「はい」
 
小さく言って、久遠は刹那、視線を入り口に向けた。そして、
 
「灯馬、いるなら姿を見せろ」
「よく気づきましたね」
「くだらないことを……冗談にもならない」
 
短い通路をやってくる、白い輪郭。鷹丸が、よお、と笑みを浮かべると、灯馬は微笑んで、頭を下げた。
 
「なあ灯馬、お前のご主人は怖いヤツだよ。俺が送った遺体の写真、まさかあれをあの子に見せるとは思わなかった。見せらんねえだろ普通……」
「彼女は抵抗がないようでしたよ。ちゃんと驚いてはいましたが」
「ちゃんとって……あの写真、スマホで写して保存してんだぞ。知ってたか?」
「はい。知っていますよ、私は」
 
笑みを零し、久遠を覗き込んだ灯馬。久遠の反応は無。その様子に鷹丸が笑いを零す。
 
「灯馬のほうがよほど対人スキルあるもんな……ああ、新しい写真があるからスライドしてみろよ、遺体の横にメジャー置いてるのがあるから。正確な身長じゃねえけど、結構デカイ。お前と同じくらいだよ。生きて町歩いてりゃ目立つに違いねぇけど、湖野の人間じゃないんだろうな……俺の予想では山人(さんじん)だ。この前話しただろ。読んだか、あの本」
 
頷き、再度画像に見入った後、久遠は自分のバッグに腕を伸ばした。
 
取り出したのは文庫本。石寄から預かった、湖野の民話集。久遠はページをめくり、山人が登場する一節で手を止めた。口語訳された文章に、目を走らせる。
 
***
 
里の娘が山に入り、そのまま帰らなくなりました。年月が流れたある日、娘はいなくなった時と同じ姿で里に戻りました。娘は身重の体で、やがて赤ん坊を生むと、亡くなりました。
 
赤ん坊はどんどん大きくなり、髪の毛は燃えるように赤く、里の子ども達とは見た目が異なっていました。里の年老いた者達は、山人の子に違いないと言い、赤ん坊を山中の御神木にくくりつけました。
 
泣き声が響くこと、一昼一夜。声がやんだので様子を見に行くと、燃えるような髪の大男が、赤ん坊を抱いて山に戻っていくところでした。
 
のちに御神木の元に祠を作り、山人を祀るようにすると、里の娘が山で行方不明になることはなくなりました。
 
***
 
久遠は視線を民話集に留めたまま。その横顔に、鷹丸の響きが刺さる。
 
「燃えるような髪の大男……何者なんだろうな、山人は」
「先日聞いた仮説、あり得なくはないと思います」
「おお、そりゃどうも。まさかお前が、山人イコール外国人説を推すとは」
「天狗の正体は異国の民であったという仮説もありますし、湖野のように山深い土地であれば、なんらかの理由で迷い込んだ者が身を隠すことも、不可能ではないと思います」
「身を隠す、か……もし隠れた場所が空間の歪みの向こうだとしたら、娘が変わらない姿で戻ったって部分も納得なんだがな……実体験を持つ者としては、それも含めての、あり得なくはないって感想なんだろ?」
「はい。この地であれば、むしろあり得る話です」
「そうか……なあ、お前の読みが当たりだとして、身の振りようはあの子に選ばせるつもりか?」
「はい」
「お前は決められなかったからか?」
「こちらで生きると決めたのは俺です。もう迷いはありません。山護美影を湖野に連れてきたのは、自分で真実を確認させるためです。アイツ自身が動かなければ、自分の深部と向き合わなければ、真実は明らかになりません。真実を受け止めた後どうするか……それは、俺が判断することじゃありません」
「ん、まあ、判断は任せるにしても、相談くらい乗ってやれよな。他にアドバイスできる人間なんていねぇんだから」
「……建物の中を見てきます」
「真夜中だから静かに、って、お前が騒ぐワケねぇか」
 
久遠は部屋を出た。灯馬も続く。非常灯に照らされた階段をおり、1階へ。空気を揺らしているのは、単調な機械音。両目は素早く暗さに順応。照明のスイッチを探す手間をかけず、広間に向かう。
 
「久遠……なにを考えています?」
 
灯馬の問いに答えず、久遠は歩を進める。
 
夜に染まった空間に、整然と並べられたテーブルと椅子。食事時には施設利用客の声と活気に満たされるであろう空間も、今は完全に眠りについている。
 
遠慮なく窓辺に近づき、久遠は閉じられたカーテンに手をかけた。サッシの向こう。建物を囲むイチイの木は、細い葉に夜風を受けている。
 
久遠は首にかけた皮紐を引いた。現れたのは、乳白色の石。それを灯馬に。
 
「これを渡してくれ」
「あの石では弱すぎましたか?」
「そうじゃないが、予想以上に一体化が速かった。もう俺の気は、ほとんど感じない。完全にわからなくなると厄介だ。山に棲むもの達に会ってから、アイツの気配が少し騒がしい。なにかに呼応しているようにも思える」
「己に宿るもの以外の何者かに、ですね?」
「ああ……強固な結界よりも、強いものがあるようだ」
 
言葉終わりに、刹那揺れ動いた久遠の気配。その原因を追究せず、灯馬はただ、頷きを見せた。そして、
 
「水輪と鎖火は零念を見張っています。やはり九十九山周辺に多く集まりますね。遺体が発見された辺りは特に多いようです。集まりすぎると少々手間取るかもしれません。祓っておきますか?」
「頼む」
 
久遠は灯馬の顔を一瞥し、すぐに視線を夜空に向けた。見上げたまま、瞬きを忘れた久遠の横顔。それをじっと見据えた後、灯馬は無言で頷き、姿を消した。
 
垂直に立ったガラスに、久遠はそっと触れた。同時に、最初の雨粒が窓を叩く。雨粒の数を九つ数えた所で、水滴が窓ガラスに斜線を描き始めた。
 
静寂が支配していた空間に雨音が流れ込み、どこからか漏れ出していた機械音は行方をくらました。激しさを増す雨音。紛れ込む遠雷。寄りかかるように、久遠は額を窓ガラスに押し当てた。
 
遥か上空で生まれた雷鳴は、空気を伝い、ガラスを伝い、体の芯に入り込む。鼓動の加速。確かな高揚感。
 
「アイツも、感じているのか……」
 
夜の向こうにいる他者を思って、緩んだ口元。久遠は額をガラスから離した。ガラスに映る自分の顔。口角が持ち上がった自分など、久しく見ていなかった。
 
「……俺が高ぶって、どうする」
 
口を固く、一文字に。久遠はカーテンを閉じ、雨粒のざわめきに背を向けた。


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