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宿災備忘録 四季 対岸の君と逡巡の季節 秋・壱2

 この空間で誰かと過ごすのは、いつぶりだろう。深遠はおそらく思い出せないであろう遠き日に、気持ちを飛ばした。以前も、出会ったのは道行だったような気がする。彼が独り立ちして間もない頃だっただろうか。

 ここを出て向こうの世界へ行けば、任を退いた術師に会いに行くことは可能。術師達の立ち寄り場ともなっているため、様々な情報を得ることができる。

 現在、任をもって動いている脱厄術師は、現在両手の指で数えられる程度しか存在していないと聞いた。そんな中で、誰かと出会えることのほうが稀有。道行は唯一の教え子。縁があるのかもしれない。どこかにいるであろう父親には、一度も会えていない。血縁であるからといって、めぐり会う縁を持っているとは限らないのだろう。

 深遠は、道行の話に耳を傾け、時に相槌をうちながら、夕餉の支度を手伝った。火種が安定した頃、道行がふと、真剣な面持ちとなる。

「守人(もりびと)の話は、深遠のところにも届いているか?」
「ああ。前に戻った時に、長老達が話していたな。随分前から話題には出ていたようだが、交代を考えていると聞いた。守人の精神が、不安定な状態だと……詳しいことはわからない。何か動きが?」
「次の守人の選定に、俺も加わるんだ」
「それは、なかなかの重責だな……大丈夫か?」
「必要なことだからな……長老達で決めてくれたら、楽なんだけどな」

 道行は言葉を切り、力なく笑って、すぐに表情を明るく変えて見せた。

 【守人】とは、空間に据え置かれる宿災を示す言葉。万が一、零念が入り込んだ場合は祓いを行う。また、空間の安定を図るためとも伝えられているが、なにゆえ守人が必要であるのか、本当のところはわかっていない。

「俺達に話すってことは、長老達もそろそろお迎えが近いのかもな。次に戻ったら、何人かいないかもしれないぜ」
「それが常だ。いずれ俺達も、あの立場になる」
「いやだな俺は。一生術師がいいや。死ぬまで、ずっとな」

 言って道行は、薪を一本くべた。炎に照らされたその顔は生命力に満ち、死とはかけはなれた場所にいる自信を現しているかのように、深遠の目に映った。

(長老達は、俺達に采配の権限を譲るつもりなのだろうか。道行も俺も、まだ未熟だというのに……選定人を任せるというのは、信頼の証でもあるのだが)

 深遠は、道行に悟られないよう、その顔を覗き見た。表情も口調も、明朗という言葉が良く似合う。重責に押しつぶされない強さは、備わっているはず。持ち前の気質を失わずにあって欲しいと願いながら、深遠は活気づいた炎に視線を移した。

 鍋を満たした水が湯気を放つ頃には、空間は黄昏時を迎えていた。途切れない川の流れのように、道行の話は尽きない。遠方で目にした古い結界や、たまに戻った生家での出来事、いずれも、やや大げさに語っているように聞こえるが、おかげで全く退屈しない。

 深遠は、泣いてばかりだった幼子の姿を思い出し、口元を緩めた。道行は即座に反応。明らかに不思議そうな表情を作る。

「なんだよ」
「いや、すまない……随分と喋りが達者になったものだと。初めて会った時、喋れもせず、うなってばかりだったことを思い出してな」
「赤ん坊と比べるなよ」
「すまん。おそらく、技も鍛錬しているのだろうな。喋り方に自信が溢れている」
「褒め方が下手だって言われないか? 心配になるぜ、そこまで不器用だと」
「不器用……考えたことが無かった。心得ておく」

 朴訥な答えを返し、深遠は自分の鞄から小さな紙袋を取り出す。

「これは、今でも好きか?」
「勿論。日に一個と決めているけどな。気持ちが緩むから」
「今日は?」
「昼に食った」
「なら明日にしよう」
「真面目過ぎるだろ……ひとつくれよ」

 呆れたように笑いながら、道行は深遠に向かって手を伸ばす。深遠は紙袋から飴玉をひとつ取り出し、大人の大きさとなった道行の手に乗せた。

 飴玉を含んだ道行の頬に幼き日の有り様を重ねる。他者の成長を目の当たりにできるというのは、おそらく貴重な体験なのだろう。自らが育てたわけではないのに、決して他人とは思えず、愛おしい。

「にやつくなんて珍しいな」
「そんな顔をしていたか?」
「ああ……さては、女のことでも考えていたな?」
「考えていない。君の成長を喜んでいたんだ」
「やめろよ、正直に言われたら言われたで、何だか不気味だぜ……なあ、鷹丸家のお嬢さんとは、どうなっているんだ?」
「宿災と守護の関係に、変わりはないが」
「つまらん答えを返すなよ。全く自覚がないのか、あっても認めたくないのか……深遠から本音を聞き出すのは時間がかかりそうだ。話している間に粥が焦げちまう。食ってから話そうぜ」

 食物が口に入れば、道行も言葉を止めざるを得ない。静となった空間で、向かい合わせで粥を腹に入れる。


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