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宿災備忘録 四季 対岸の君と逡巡の季節 春・参3

 再開した正一の響きは、篤実さを増し、重みを含んでいる。それ感じとり、深遠は座を改めた。正一は柔らかく笑い、言葉を繋いだ。

「こんなことをお願いするのは、貴方の重荷になってしまうかもしれない……ですが、貴方にしか頼めないと思ってね。落ち着いて、いや、貴方に落ち着いてというのも、可笑しな話ですが……突拍子もないことを、と思うかもしれません。ですが、最後まで聞いていただきたい」
「はい」
「……貴方に、維知香を託したい」
「……託す、と言うのは」
「どういった意味でしょうか? そう、続けるつもりですか?」
「はい」
「貴方は、そう言うだろうと予想しておりましたが……いや全く本当に、期待を裏切らない人だ」

 頷き、正一は笑顔。

「これは、菊野、吾一、桜子、皆と話し合って出した答えです。託すと言う言葉の意味を貴方がどう受け取るかは、お任せします。ですが一応、私の希望も伝えます……私は、貴方が維知香と添い遂げてくれたらと望んでおります。まあ、あの子はまだ十ですし、貴方は宿災の守護以上の感情をお持ちでないことも承知ですし、無理に私共の気持ちを押し付けようとは思っていません。そうですね……私の最後の願い、いや、望み、とでも捉えて下されば……やはり、重いですかな」

 言い終え、笑みを絶やさない正一。

 目の前にある笑顔。それを消さない答えとは、一体何なのだろう。深遠は自らに問いを投げ、返った答えを、正直に口にした。

「他者と時を過ごすことは、私にとっては、恐怖です。いずれ、私は独りとなります。相手が誰であれ、思えば思うほど、独りは恐ろしく、耐え難いものとなります」
「今この時も、貴方の中では、いずれは辛い思い出となる、そういう理解で、よろしいかな?」
「いえ、決してそういう意味では」
「ないんですね?」
「そうしたくは、ありません」
「そうしたくはない、か……いや、申し訳ない……深遠さんの背負うさだめは、私などには到底……しかしあの子は、維知香は、貴方の心に寄り添い、全てとまではいかないが、ささやかながら恐怖を和らげる存在でいられると、私は思います。幼いながらも、あの子の気持ちはずっと貴方に向かっている。こちらが恥ずかしくなるほど、あの子の思いは真っ直ぐで、強いんです。どうかそれは、忘れずにいてやってくれませんか? 貴方の気持ちを無理矢理こちら側に縛り付けようなんて思ってはいないんです。あちら側での任を妨げてはいけないのは、重々承知しております。ただ、貴方が帰る場所が、あの子のもとであれば嬉しいというだけなんですよ」
「……私は、時代をいくつも超えてはおりますが、中身はただの未熟者でございます。己の任を果たすことを目的として生きて参りました。ですから……正直申し上げますと、わからないのです」
「他者との関わり方が、ということでしょうか?」
「はい……ですから、すぐ答えを出すことは、私には難しいのです。正一様のお心、この胸に深く刻みます……今はそれで、何卒ご容赦を」

 正一に体を向け、縁側に膝をつき、深遠は頭を垂れた。思わず瞑ってしまった瞼。開けば滴が落ちそうで、開けない。次に見た正一の姿が最後になってしまいそうで恐ろしい。大切な人がまたひとり去ろうとしている現実が恐ろしい。

「深遠さん」
「……はい」

 至極穏やかな正一の響きに、深遠は頭を垂れたまま応える。僅かな間を空け、深遠の後頭部に温もりが触れた。それは深遠の記憶にないに等しい、人の手の温かさ。

「申し訳ないが、少しこのままで……私には息子が三人おりますが、貴方も、いつの間にか息子の列に加えてしまっていてね。初めて会った時は、貴方のほうが、ずっと年上だった。おそらく貴方がまだ、独り立ちをして間もない頃です。それなのに今は……」

 小さく柔らかな笑い声が、深遠に注ぐ。


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