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宿災備忘録 四季 対岸の君と逡巡の季節 秋・壱5

「彼女の気持ちは、ありがたい。存在も、とても大切に思っている。許されるのなら、ともに時を過ごしたい……」
「一緒に時を過ごすといっても、中身だって大切だと思うけどな」
「中身?」
「想像してみろよ……自分以外の男が彼女に触れ、重なり合う。そいつの子を産んで、その子を抱いて喜ぶ……一緒に時を過ごしながら、それを見続ける自信があるのか? なかなか酷だぜ。経験者が言うから本当だ。まさかと思うけど、彼女の心は決して自分から離れないと思っていないか?

人は変わる。そういう可能性を秘めた生き物だろ。繋ぎとめるだけの何かが必要だってことさ。そばで見守るっていうのも悪くはない。だけど、そばで見てたってさ、触れられる位置かそうじゃないかってのは、大事なんじゃないか?……ほら、あの対岸だって、そばって言えばそばだろ。でも触れられない。ただこうして突っ立って見てるだけだ」

 道行の語気が強くなる。彼が感じた痛みがどれほどのものであったのか、深遠にはわからない。しかし道行の響きには確かに、苦悩が織り込まれている。

 維知香の手に、体に、知らぬ男が重なる未来。誰かの子を抱く維知香。あの晴れやかな笑みを向けられるのは、自分と全く縁のない命。

「……具合が悪くなりそうだ。考えたくない」

 ぼそりと零した深遠。道行は刹那驚きの表情を作り、続いて満面の笑みを浮かべる。

「何だよ、相当重症じゃないか」
「重症?」
「そうだよ。これはもう、治す方法はひとつしかない」
「どうするんだ?」
「具合の悪くなりそうな想像を、現実にしないことだ。これ以上言わせるなよ。俺は無粋な男にはなりたくないからな。まあ、俺が話せるのは、こんなところだ」

 言葉を切ると同時に、道行はどこか満足気な表情を見せた。

 厳しく接するたびに泣きべそをかいていた男児が、まるで師のような顔をして、目の前にいる。それが微笑ましく、嬉しく、深遠は目元を緩めた。

「楽になった。感謝する……まるで立場が逆になったな」
「本当だな。だけどこれからも、深遠は俺の師匠でいてくれよな。術は、まだまだ未熟なんだ」
「では、術師の心得から教え直そうか」
「それは勘弁してくれよ!」

 道行は頭を抱えながら焚き火の方へと走った。

 ひとり、川べりに残った深遠。維知香への思いを同志に語る日が来るなど、思ってもみなかった。

(思いを音に変えるというのは難しい。だが、語らなければ伝わらない……)

 深遠は足元の小石を拾い上げ、対岸に向かって放った。

 放物線の美しさ。自然の摂理が描く、二度と見られぬ形。同じ時は訪れない。同じ人間も、どれほど待っても生まれてはこないのだ。

 会いたい
 維知香に会いたい

 深遠は浮上した思いを、素直に受け止める。そしてまたひとつ小石を拾い、美しい放物線を求めて、宙に放った。


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