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宿災備忘録 四季 対岸の君と逡巡の季節 春・弐2

「ひとり……私は、ひとりだなんて思ってないわよ。思ったこと、一度だってない。家族、深遠、私のことをわかってくれている人は、たくさんいるもの。それじゃあ足りないかしら……私にお友達がいないと、心配?」
「そうだな。できれば同年代の友人と、楽しい時を過ごして欲しいと思っている」
「どうして?」
「俺には、そういう記憶はない。君がさっき言った通り、友はいない。友がいるものに比べたら、知見や、思い出も少ないのだと思う。経験もな……君には、たくさんの物事に触れて欲しいし、考えも学んで欲しい。楽しい経験も、なるべく多く」
「いやだわ、深遠」

 維知香は呆れたように息を吐いた。

「自分のできなかったことを人にたくそうなんて、まるでお年寄りじゃない」
「実際、君より年寄りだ」
「今だけよ。深遠が向こう側に行っている間に私はどんどん年をとるの。いつの間にか、私のほうが年上になる。おばさんになって、おばあさんになって……そうなった時に、私が同じように言ったらどうするの? 深遠、あなたはまだまだ若いんだから、友達を作って楽しみなさい、無理にでも笑って楽しそうにしなさい、なんてね」
「それは…………」
「どう? できそう?」
「いや、難しいな」
「でしょう? 人間なんて、そうかんたんに変わるものじゃないわ」

 凛とした横顔で言い放った維知香。その表情のまま、団子を頬張る。ふくふくと動く頬と目元の表情が余りに不釣合いで、深遠は思わず笑い声を零した。

「めずらしいわね、深遠が声を上げて笑うなんて……どうしたの? 私、何かおもしろいことを言ったかしら? すごく真面目に話したつもりなんだけど」
「……いや、すまない……一瞬、本当に君のほうが年上になったような気がしたのに、食べている時は、やはり年相応だと……」
「何よ……人の顔を見て笑うなんて、失礼しちゃうわね。深遠は、そういうところを直したほうがいいわ」
「ああ、すまない……だが、一体誰にあんな考えを学んだんだろうかと……それもまた、可笑しくてな」

 深遠は言い終えると、一度深呼吸をして笑いを追い払い、草地に背中をつけた。

 ひたすらに広がる青の海を、雲は滔々と、風に流れる。時が刻一刻と過ぎゆくさまが、はっきりと示されている。それを感じると、深遠の中に、ごく小さな恐怖が芽吹く。何度抜いても生えてくる、置き去られることへの恐怖だ。

 いつの間にか、私のほうが年上になる
 おばさんになって、おばあさんになって…

 生意気な発言を遠慮なく投げて来る少女は、いずれ本当に大人となり、確実に老い、決して手の届かない場所へと旅立ってしまう。これまでと同じように、自分は旅立つ者を見送ることもままならず、ただ己の任を背負って生きて行く。自分が旅立てる日は、いつ訪れるのだろう。あといくつの時代を渡るのだろう。幾人が故人となってしまうのだろう。全く見当がつかない。終わりが見えないというのは、恐ろしい。とても。

 思わず零れそうになった、ため息。深遠はそれを飲み込んで、座して団子を頬張る維知香を意識する。

 春の陽気を体現したようなたたずまい。風に乗ってふわりと空を飛び始めても不思議ではない、軽やかな気配。宿災は通常、宿る災厄の影響を受けるとされている。しかし維知香は、災厄と通じているというのに、その性質を全くといっていいほど感じさせない。

 維知香に宿る災厄は三つ。猛吹雪と豪雪、そして台風。いずれも暗の性質をもつものだが、維知香にそれは感じない。むしろそれらが去ったあとの青空、日差し、穏やかな風といった明の性質が、彼女をかたち作っているように思える。

 これまで深遠が出会ってきた宿災は、みなどこか、かげりがあった。自らに宿るものの影響だけではなく、自分は普通ではない、という重荷のせいなのだろう。維知香が自身の身の上を嘆くことがないのは幸いではあるが、本心はどうなのだろう。


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