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宿災備忘録-発:第2章5話

湖野の中心地から少し離れた場所。バイパス沿いの食事処。美影は久遠とともに鷹丸が運転する車で、そこまで移動した。パーキングに入ると、店の前に立っていた香織が目に入った。美影は思わず、ため息をひとつ零した。
 
「露骨にため息なんて、なにげに傷つくんだけどな」
「別に……そういうつもりじゃありませんけど」
「そういうつもり、がどういうつもりか知りたいところだけど、ま、とりあえず飯でも食おう」
 
ハンドルをさばきながらニヤリとした鷹丸に、どういうつもりか知りたいのはこっちのほうだ、と言葉にださずに、美影は心の中で舌を出した。
 
美影が久遠とともに家に戻ると、暗い茶の間で鷹丸が眠っていた。驚いて声を上げた美影に、鷹丸は、うるせえなぁ、と言った後、名刺なしの自己紹介。
 
美影は、自分の身辺調査をした男に、よろしくお願いします、と言える余裕はなかった。形式的な挨拶をしただけ。香織と中森を待たせている、と言われ、行動をともにしないわけには行かず、促されるままに車に乗った。車内で、あの報告書について聞くことはできなかった。美影の思考は、新たに得てしまった謎に多くを占められていた。
 
「美影ちゃん、大丈夫だった?」
「はい。心配かけちゃって、ごめんなさい」
「大丈夫、大丈夫! 久しぶりに山の中歩いて、疲れたでしょ? お腹すいてるわよね、お昼、ほとんど食べなかったもんね」
「はい、めちゃめちゃすいてます」
 
美影は、明るく答えた。香織に会えて安心したこともあるが、自分に【非日常】が起こった事実を、気づかれたくなかった。
 
香織は鷹丸から、何を、どこまで聞いているのだろう。美影は聞けなかった。おそらくは、何も聞いていない。鷹丸がどういった事情で久遠に情報を流したのかは確認できていないが、車内でのふたりの様子を見る限り、親しい中ではあるようだが、気軽になんでも話せます、という関係とは思えなかった。2人の関係性もわからない。さりげなく探りを入れられるほどの対人スキルを、美影は持ち合わせていない。
 
美影達は、香織の後ろについて店内へ。美影に続いて鷹丸、最後に久遠。店に入るなり、先客の視線を浴びる。誰の目から見ても美人の部類に属する香織に続いて、高身長の3人。自分の赤毛も悪目立ちしている、と感じ、美影はうつむき加減に席に向かった。店の奥の席で待つ中森が、こっちこっち、と言って大きく手を振ったから、テーブルにつくまでずっと、他人の視線が美影達を追った。
 
3対3でテーブルを挟んだ広めのテーブル席。中森の隣に、鷹丸が大きな体を下ろす。その隣に久遠が。香織が中森の向かいに座り、美影は香織の隣に。正面は鷹丸。座るやいなや、小さく息をもらした美影の背中を、香織がポンポンと叩いてねぎらう。
 
「湖野に帰ってきたって感じでしょ」
「はい」
 
香織の言わんとすることを察し、美影は苦笑。閉塞的な盆地の町では、よそ者の顔はすぐにキャッチされる。やたらと目立つ者もまた、よそ者と同じ視線を浴びるはめになる。
 
「山護さん、メニュー見なよ。僕らはもう決めてるから。久遠君も、ほら」
 
中森は、後からきた3人の前にメニューを広げた。鷹丸は、もう決めた、と言って、本日のおススメ定食を指さす。大盛りで、と付け加えた後、美影にチラリと視線を。
 
「あ、えっと……私も、おススメ定食で」
「ほい。お次は久遠」
「B定食ときつねうどん」
「相変わらず、よく食うねぇ」
 
久遠のダブル注文に頷き、鷹丸は手を高く挙げる。美影は心の中で、そんなに食べるのか、とツッコミを入れてしまった。うっかり言葉にしてしまわなくてよかった、と妙な安堵に戸惑いながら、タンブラーの水を飲む。中森宅で暮らした数日、久遠とともに食事をすることはなかった。昼食休憩の時も、久遠は食堂に入らず、車に戻った。勝手に、人と食事をとらない主義なのかと思っていた。
 
気づけば店内は満席。訛りのきつい中年男性の声が店内を賑わせる。5人が座ったテーブルの上を飛び交うのは、主に香織と中森の会話。町の観光や、夜神楽の話題。そこに鷹丸が時折参加。注文を口にして以降、久遠は口を閉ざしたまま。
 
美影も口を閉じ、香織達の会話をなんとなく耳に流し入れていた。木製の硬い背もたれに体を預け、山に棲むものの言葉を頭の中で繰り返し再生する。
 
 
そごでしんでらったやつこな
やまがみさんのにわがらではってきたんだっけ
 
 
――しんでらったやつこ……
 
九十九山中で亡くなった男
写真で見た赤い髪
自分と同じ色
それを持った存在は山神の庭から出てきた
 
――山に棲むもの達は久遠を案内した。なぜ?
本当に山の神が存在しているから?
本当に山神の庭が存在しているから?
そんなこと信じられる?
 
 
正直、信じられない。しかし、久遠達に出会って今日までの間、美影は散々【信じられない】体験をしてきた。この世界の絶対は、死ぬことと、自分の影は自分に逆らわないこと以外にないのでは、と思うほど。
 
仮に、本当に山神の庭が存在するとして、山に棲むもの達が言った、山神の庭とは、湖野の民話に登場する場所をさすのだろうか。美影は民話を思い出しながら、脳内に九十九山の景色を広げた。山道、樹々の連なり、静寂のようでさわがしい、命に溢れた場所。
 
 
いぎものだのなんだの
にわがらいっぺえではってきた
 
――生き物や色々なものが庭から出てきた
なにが出てきたの? 色んなものって何?
 
おらだぢはにわさいぐ
いってなにがおぎでんのがみでくる
くんならおめもこい
 
――なぜ庭に行くの? 何を見に行くの?
くるならお前も? 私に言ったの?
 
 
くるなら、お前もこい。山に棲むもの達は、確かにそう言った。あの時の状況では、自分に向けられた言葉と受け取るのが正解だろう、と美影は考えていた。
 
 
――なぜ私に?
 
 
思って、あの遺体を思い出す。ミイラのように乾いた、赤毛の男。あの男は、やはり自分となにかしらの関わりがあるのだろうか。
 
謎でしかなかった点と点が、急速に近づく感覚。それらが結ばれて線となった時、自分は、なにかを受け入れなければならなくなる。そんな予感が、美影の鼓動を速くした。
 
 
――落ち着いて、信じられなくて当然
  受け入れられなくて当然なんだから
だから、落ち着いて
 
 
自分の心を整えるために吐いた息は、予想以上に大きかった。やってしまった、と自覚して、美影は視線を持ち上げた。
 
真正面。受け止めたのは、鷹丸の鋭い目元。
 
「大丈夫か?……すんげえ疲れてるみたいだけど」
 
言った鷹丸の顔に、からかいや【とりあえずの気遣い】はなかった。美影が、はい、と放つ前に、香織の声が美影に触れる。
 
「夜神楽やめとく? 私の家で休んでてもいいのよ」
「食べれば復活します」
「そう? 無理はしないでね……あ、ほら、きたわよ」
 
5人分の夕食がテーブルを賑やかに彩る。一番に箸を割ったのは鷹丸。その音を合図に、それぞれが、いただきます、と口にし、手元で乾いた音を鳴らした。
 
美影の鼻を刺激するのは、出汁の効いた味噌汁の香り。息を吹きかけ、ひとくち。口内を温めた熱は、食道を滑り落ちて体の中心へ。汗ばんでいた体は、いつの間にかクーラーの風に冷やされていたようだ。
 
 
――なんだか熱っぽい
 
 
美影は味噌汁を口に運びながら、自身の体調を意識した。頭が重い。痛い。さり気ない寒気が、全身に纏わりついている。体の感覚は、風邪の引き初めに近い。それを確かめながらも、頭のどこかで山に棲むものたちのことを考え続ける。
 
二つの思考は本当に自分ものなのか、なんてことを考えているのは、本当に自分なのか。では、それを考えている自分は本当に自分なのか。自分の考えを否定する自分も自分。肯定する自分も自分。どの自分が正しいのか。どの自分の思考が真実なのか。
 
 
――私は……
自分は、自分の中の、どこにいるの?
 
 
『己の深部に宿るものと向き合うのは、怖いか』
 
 
美影はふいに、久遠の言葉を思い出した。あの時は、怖いのではなく、自信がないと答えた。しかし今は、怖い。自分の深部を覗き込めば、全く見たことのない顔を持つ自分と、目が合うかもしれない。その自分は、どんな顔をしているのか。どんなことを考えているのか。想像しようと試みただけで、美影の鼓動は拍を速めた。
 
 
――あの人は、怖くないの?
 
 
久遠は、自分に宿る災厄と向き合えているのだろうか。聞いて良いのかもわからない。久遠に宿る災厄の正体を、美影は知らない。それどころか、年も知らない。中森や灯馬を介して知ったのは、無愛想だが律儀で、真面目な男だということ。
 
答えに辿り着くために、久遠と話したい。美影はそう思っていた。しかし実際は、核心に迫る話はできていない。僅かに言葉を交わせば、あっという間に反発心が生まれる。聞きたいことは尽きないのに。
 
 
九十九山で見つかった遺体の正体
自分の生い立ち
宿災とは何か
他にも色々
 
 
全てが解明されることを望みながらも、知ることに恐怖を抱いている。真正面から久遠にぶつかれば、自分がダメージを負うかもしれない。そんな予感が、美影の感情にブレーキをかけている。
 
 
――ブレーキ?
 そんなんじゃない。楽なほうに流されているだけ
 
 
宿災という運命に生まれた者。【運命】というドラマチックな言葉に逆らわず、今ここにいる。本当は逃げ出したい。逃げ出したいと思っている自分に、気づいて欲しいのかもしれない。気づいて、道を示して欲しいのかもしれない。
 
 
――気づいて欲しい? あの人に? 助けて欲しい?
  まさか
  そんなはず
 
 
美影は、久遠の顔を盗み見た。腹が立つほど涼しげで、口に運んでいる食事が美味しいのか不味いのかすら、わからなかった。
 
箸を緩めた美影。その斜め左向かいで、食べることに専念していた中森が、御飯茶碗を手にしたまま口を開いた。
 
「どれもこれも美味しいねえ。本当に美味しい物食べると無口になっちゃう。やっぱり地元のお米と野菜だからかな?」
「お水も美味しいし、食材の鮮度が違うのよ」
「そうか、お水ね。もしかしてこれも、水道水?」
 
中森はタンブラーの水をぐいっと飲んだ。香織が頷いて笑う。
 
「買ったお水、飲む人いないかも。いい水と綺麗な空気と健康な土で育った野菜が自慢です、なんてね。そうそう、さっき公民館でいただいた野菜も早く食べないと。美影ちゃん、トマト好きよね? 明日の朝、サラダにしましょうか?」
 
突然名前を呼ばれ、美影は反射で視線を振った。香織と、思い切り視線がぶつかる。
 
肩が触れそうな距離にいるせいか、香織の視線が真っ直ぐなせいか、美影は頭の中を覗かれた気分になった。本当は逃げ出したくなっている自分を、隠さなくては。
 
「美影ちゃん……?」
「……トマト、好き。後で、食べる」
 
美影が言い終える寸前。味噌汁を口にしていた中森がむせ返る。香織は手早く紙ナプキンを差し出し、鷹丸は箸を置いた手で中森の背中を叩く。中森は、ごめんごめん、と言いながら、涙が浮かんだ目元を拭った。
 
「やめてよ山護さん、笑わせないでホントに……もう、なんで片言なの?」
 
言って中森は、堪えられない、といった様子で笑い始める。美影は片言だった自覚も、笑いを取った自覚もなかった。しかし、すみません、と小さく零し、むせ続ける中森に愛想笑いを見せた後、半分以上残っている白飯を口に頬張った。
 
その斜め向かいで、うどんの器を空にした久遠は、横の騒々しさを気にする素振りも見せず、御飯茶碗に手を伸ばしていた。
 
「いいところで育ったな」
 
唐突に。久遠の口から放たれた小さな声に、美影は目で反応した。驚きで白飯を噛む口は一時停止。美影が咀嚼を再開し、白米を飲み込み、話せる状態になる前に、久遠はB定食と向き合い始めてしまった。
 
 
――褒められた、んだよね?
 
 
美影は、自分の中にほのかなあたたかさを覚えた。何が起こるのかわからない、帰ることが怖い、そう思っていた故郷。その場所を、いいところ、と久遠は表現した。
 
「……ありがとう」
 
小さく言って、美影はお椀に残った、冷めた味噌汁を飲み干した。


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